機械鎧の右腕が、10cmにも満たない付け根の部分を残して、食いちぎられたように消えている。かろうじてしがみついた残りの部品は、無残な爪痕を刻んだ金属片に過ぎず、かえってそこに在るが故にエドワード・エルリックの姿をみじめたらしく見せていた。鉄塊を繋ぎ止めぶら下げる太い、細い、様々なコード。銅線を被うビニールの、緑は静脈、赤が動脈、まるで、血管のような。
ロイ・マスタングは肩に黒いコートをかけたまま、誰のものとも知れない蹴り跡などがついた煤けた壁に軽く背を凭せ掛けて立ち、すぐ隣、壁際に寄せられたがらくたの詰まった木箱に座っているエドワードを眺めていた。右手には煮詰まり気味のコーヒーを満たした白いマグカップがあり、破壊された機会鎧の残骸をぶら下げた子供が左手の脇にある。
くわえ煙草のジャン・ハボックが両手にマグカップを持ってやって来る。マスタングが持っているのと同じものだが、概ね階級順に配られるコーヒーは彼らが手にする頃には煮詰まっているのに冷めていて、陶器にもあちこちがひび入ったり欠けたりこすっただけでは落ちないシミがついている。
「大将、」
「サンキュ」
「…なーんか、痛っそーだな、それ」
眉間にしわを寄せマグカップと一緒にそんな言葉を置いて行ったハボックの背に苦笑を返すと一口だけコーヒーをすすり、エドワードはコードの先の残された部品をひとつずつ取り外し始めた。それははがねであり血肉であった。だが今は廃棄物である。ささくれだった木箱の上の白いマグカップのまわりに、二時間前には確かにエドワード・エルリックを構成していたものたちが並べられてゆく。
手袋を嵌めてしまえば義手なのだと一見にはわからないほど意識と肉体とに隷属して、伸び、縮み、回転し、動作する機構が、活動中に突然破壊され痛みがないなどという事があるだろうか。
「本当に、痛くないのかい」
問いかけに、微かな舌打ちを洩らして悔しげとも忌々しげともとれる複雑な表情をのせた顔を上げはしたが、何も言わない。
「ちょっと見せてはもらえないかね?」
「…好きにしろよ」
小さく答えたエドワードのらしく無さは、早々に役立たずと成り下がった現状に負い目を感じていると見える。しゃがみ込むと、遠慮なくじっくりとためつすがめつ、タンクトップの肩口から覗くくろがね色の肉を見る。
黒光りする無機物は、正常な皮膚の象牙色、引き攣れ盛り上がったケロイドの薄桃色と正しくかみ合い、接合し、それは本来の、生体部分の断面の表層から数p程度の深度で組み込んであるに過ぎないはずなのに、全身に鋼鉄がめぐっているのではないかと錯覚するほどしっくり嵌まって、己こそが正当なエドワード・エルリックの右肩であると主張していた。
不要な金属片はほぼ取り除かれ、義手を取り付ける接合面はマスタングの眼前に遮るものなく曝されている。いま、中央にある軸受けの機構がジ、と僅かな駆動音と共に回転したのは、息がかかるほどに顔を寄せられ驚いたエドワードが反射的に「右腕を引いた」ためである。振動で、留める部品をなくし外れかけている小さなネジがカタリと鳴った。
「あ、んた、何…」
狼狽した声を遮って小さな身体を引き寄せ、マスタングは浮いたネジを唇に挟んで抜き取り口に含んだ。目を合わせながら、舌で転がしわざと音のするように吸い立てたり歯をあてたりしてみせると、顔を強張らせ右肩を押さえる。吐息で前髪が動くほど互いの顔は近く、エドワードが息を止め首筋に鳥肌を浮かせているのがはっきりとわかった。
ごくり、と音をたて見せつけるようにゆっくり、ネジを飲み下す。口内に鉄と油の匂いが強く残り、小さな塊が喉を通る現実の感触と血の滴る肉片を飲み込む心象が脳裏で重なる。
「早く治るよう祈っているよ」
金色の瞳が零れ落ちそうなほど目を開いて固まっているエドワードにマスタングは薄く笑い、そして鋼の血肉を持つ右肩にそっと口接けた。何の反応も返さない生体に代わってその神経から繋がる銅線が活動電流を伝達し、絶縁の剥がれた部分に触れたマスタングの舌をぴりりと刺激した。
05/01/26
「文字書きさんに100のお題」15:ニューロン
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