朧月を肴に一杯、

 なんて、誰が言い出したのやらもう定かではないけれど、ただの思いつきから全員の賛同を得て実行に移すまでの手際の良さといったら、ない。

 月の満ち欠けを調べ、効率よく酒宴を行うためのスケジュール、知る人ぞ知る幻の銘酒をお取り寄せetc.。第一小隊の隊長殿が見ていれば、何故そのフットワークを半分でも仕事に生かせないのかと頭を抱えたに違いない。

「酒買ってきたぞ」

 ぎっちり壜のつまった重い買い物袋をかちかちと鳴らしながら歩いてきた遊馬が給湯室を覗いて声をかける。

「お嬢様の言いつけ通り強いやつ」

 幻の銘酒はあくまで本日の目玉。有象無象たちにはまず度数の高い安酒を食らわせ、生き残った者のみが美酒にありつける。酒豪の道民(家業:酒類販売)曰く、「味のわからないのに飲ませるにはもったいない」。

「原付サンキュ、」

 リノリウムの床をごとんと響かせて半透明の袋を投げ出し、赤く跡のついた手でポケットから取り出したキーホルダーをちゃりちゃりと弄んでみても、こちらに背を向けた野明は振り向きもしない。

「お酒と一緒にそこ、置いといて」
「そこってどこだよ。床か?」

 給湯室にはもうもうと湯気が立ち込めている。野明が一人菜箸を握り締め、大きな寸胴を、あたかも一号機で右翼団体の暴走レイバーと対峙しているかのように熱く、見つめている。

「………、いまだぁっっ!!」

 気合一閃。

 野明は菜箸を投げ捨てると布巾で鍋をつかみ、流しの中に鎮座していた大きなザルに中身をぶちまけた。

 一瞬、視界が白く霞む。前髪がわずかにそよいで、頬がしっとりと光る。すぐさまカランを全開にひねった。きゅずごごごごご、と小さな排水溝に大量の湯が吸い込まれる音と、すっかり使い古して変形した蛇口からざあざあと降り注ぐ水音とが拮抗して、消えた。

 そこでようやく遊馬は給湯室に足を踏み入れ、野明の肩越しに手元を覗き込む。

 しなりとした濃い緑が鮮やかに。真っ直ぐ天に向かったであろう力強い茎は水滴をはじいて目にまぶしい黄緑色。先端には所々、小さな黄色が見え隠れしている。

「、なに?」
「なばな、だよ。ひろみちゃんがね、お昼にそこの土手で見つけたって、摘んできてくれたんだ〜」

 経緯はどうあれ、男にもらった花を、食う、というのがなんとも野明らしいことだ。

「こういうの、茹で加減が難しいんだよねえ」

 言いながら、茹であがった菜の花を一口大に刻んでいる野明は相当な上機嫌。気迫の甲斐あって出来は上々といったところか。

「あ、あすま、冷蔵庫にカラシ入ってると思うんだけど」
「へーへー」

 ばこ、と、普段は軽い冷蔵庫の扉が異様な抵抗を持って開いた。容量オーバー。もちろん、詰まっているのは今夜の肴だ。

「うへー…あ、おタケさんが作ってきたっつー煮物って、これか?」
「そうそう!すっごいの…って、こら!つまみ食いはだめだぞ!」
「うるせーな、しねーよお前じゃあるまいし…ほい、芥子」

 受け取る時こそむっつりとしてみせた野明だが、ボウルで菜花と芥子醤油を和える頃にはもう鼻歌なんぞが飛び出していて、後ろで見ている遊馬は笑いをかみ殺す。

「…うん、味よし!茹で加減よし!ほら遊馬にも、ご相伴ー」

 そんなだから、ふたり、何の含みもなく。野明は形ばかり左手を添えておひたしをつまんだ箸を突き出し、遊馬も自然にそれを口にする。そこに他意はない。

 なかった、のに。

 遊馬は野明の持つ箸の先を咥えたまま、ひどく狼狽する。

 確かにそれは口癖だけれど、何もこんなタイミングで思い出さなくてもいい。そもそも菜の花を口に入れたらすぐ離れればよかったのだ。後悔は遅い。

 どうしてこんな時に頭に浮かんでしまったのか、


 …フォワードとバックアップは一心同体、なんて、










05/01/13
「文字書きさんに100のお題」28:菜の花