――アニュス・デイ、片目の魚、そして人。

 珍妙な図であった。

 昼下がり、時間をずらした昼食や、はたまた早めの三時のおやつ、ひどく混み合うことはないけれど、かといって空いているわけでもない、そんな時間帯の食堂はさきほどから静まり返っている。
 誰もいないわけではない。むしろ、ひとり、またひとりと足音を忍ばせてやってくる獄卒たちで、普段よりも若干多めの客入りとなってはいるものの、その全ての注目を集めている一行、それ以外の者が口を開かぬものだから、こんなことになっている。

 食堂のほぼ全ての視線の先は、言わずと知れた有名人(?)、閻魔大王の第一補佐官、鬼神鬼灯。その膝の上には、童子と見えるも鬼の身ですら想像も出来ぬ長きにわたって存在する、木霊がちょこんと座って、嬉しそうにパフェなどつついている。両脇にぴったりと寄せた椅子には、閻魔殿に住み着いた日本妖怪、最近は鬼灯の愛娘とも呼ばれる座敷童子の一子と二子が、無表情ながらほのかに嫉妬を覗かせてぴったりと貼り付き、その向かいにはにこやかな鬼女、お香が座っている。お香の隣には子鬼の茄子と唐瓜が陣取って、一つ開けて、なんだか珍しいことに極楽に住む神獣白澤、向かい合い、部下の桃太郎と、床の上にはシロとルリオと柿助がいた。

 大所帯である。

 泣く子も黙る鬼神鬼灯の膝で生クリームとバニラアイスとコーンフレークの絶妙なハーモニーをぱくついている木霊以外の面子の目前にはあんみつが置かれており、それはとても減っていたり白玉だけなくなっていたり、全く手をつけられていなかったりもした。
 ただでさえ目立つ一行に、さらに上乗せして目立っているものが、鬼灯の前、つまり、鬼灯の膝に座す木霊の前に鎮座している。小さな子供の身体の木霊と、同じくらいの大きさの、柔らかな薄桃のリボンを首に結ばれた、ふかふかのテディ・ベア。

 本日、三月十四日である。

「木霊さん、ついてますよ」
「あ、ありがとうございます」

 まろいすべらかな頬の生クリームを、鋭利な爪のついた鬼の手が、傷つけぬように繊細なやさしさでもって拭い、その指を木霊がぺろりと舐めた。
 あの、鬼灯が、ふと頬を緩めた表情(かお)というのは想像もできないが、いま現実に目の前でおこっているのだから、受け止めきれずにあちこちで倒れる獄卒がいるのも無理からぬことである。

「気持ち悪い、」

 神獣白澤のげっそりした悪態は、常のような悪意もなりを潜めて、いささか元気がない。日頃朴念仁と罵る鬼が、惜しげもなく甘い顔をさらしていれば天変地異の前触れのように感じるのかもしれない。

「初恋の方からチョコレートを頂けば、私だって浮かれることもありますよ。あなたにどうこう言われる筋合いはありません。」

 対して当の本人は普段通り、と思いきや、こちらは膝上の小さな神に気をとられて、視線をやりもしないのだった。
 お香と茄子とシロは、鬼灯の幸せを喜んでニコニコするばかり。ルリオと柿助も微妙な顔をしつつも「よかったですね」とは思っている。座敷童子は相変わらずの無表情ながらどう見ても嫉妬のかたまり。唐瓜と桃太郎は心の底から引いている。まったく温度差のひどい集団である。

 発端は、ひと月前。
 二月十四日、バレンタインデーにさかのぼる。

 噂が立った。
 あの、鬼灯様が、もらったチョコレートをいかにも大事そうに手に乗せて、軽く鼻歌、スキップせんばかりの上機嫌で、閻魔殿の廊下を歩いていた、というのである。

 普段が普段だけに、もちろん信じない者のほうが多かった。鬼灯様にそんなかわいげがあるならもっと親しみやすいものを、という意見も多かった。バレンタインにチョコレートをもらって浮かれていたのなら、誰もが似ているという極楽の神獣白澤が、女性獄卒に手を出していたのじゃないか、と当然の推測も出回った。
 しばらくは閻魔殿のなかだけの噂に留まっていたが、なにしろ鬼灯は朝な夕なにニュースにも出る有名補佐官、あっという間に地獄に広まり、ついには極楽の白澤のところへ真偽を確かめにゆく者もあらわれた。

「僕じゃない」

 白澤は嘘をつかず、つまり本人が否定したのなら、あれは白澤ではなかったのだ。
 では誰か。
 そこですぐに「じゃあやっぱり鬼灯様が」とならないのは鬼灯が鬼灯たる所以ではある。

 黒髪直毛の鬼が他にもいたか、野干が鬼灯様に化けて悪事を働いたか、ありとあらゆる議論をされつくした頃に、馬鹿という名の勇者が降臨した。もしかしたら馬鹿という名の馬鹿だったかもしれない。

「鬼灯様に直接訊いたらいいじゃない」

 周囲が必死に止めるのも聞かず、茄子とシロが連れ立って突撃した。
 小鬼と犬のための墓穴を掘る獄卒たちを尻目に、鬼の第一補佐官様はあっさり答えた。

「見られていたんですか、ちょっと恥ずかしいですね」

 こじゃれた美容室で最強に恥ずかしいオーダーを恥ずかしげもなくしたこともある鬼灯が、無表情のまま少しはにかんで(!)答えた。後の騒ぎは推して知るべし、である。

 さて。
 静まり返った食堂で、木霊を膝に乗せながら、いつの間にやらあんみつを完食していた鬼灯は、ずず、と茶をすすった。

「木霊さんは、私の初恋のひとです。」
「なつかしいですね」
「そうねェ」

 驚天動地の告白に、目を細めるのは当の本人の木霊と、鬼灯の幼馴染であるお香のみ。

「……そ、それって、ロっギャッ」

 鬼灯の手から、目にも留まらぬ速さであんみつの匙が飛んだ。

「当時の私は、人間だったときを合わせても、十年も生きていませんでしたよ。ロリコンとは心外ですね、桃太郎さん」
「す、スミマセン……」

 匙で済んだのはひとえに鬼の機嫌の良さゆえだろう。ただでさえ低い鼻を顔にめり込ませた桃太郎を顧みることもなく、パフェを食べ終わった木霊の手から、柄の長いスプーンをそっと取り上げ、失礼します、と言いながらおしぼりで優しく顔を拭っている。木霊は、ふう、と満足げな息をついた。

「ごちそうさまでした」
「いいえ、こちらこそ。チョコレート、ありがとうございました。嬉しかったです」

 今度こそ明らかな微笑みを見せられ、顔を背けた白澤はぼたぼたと血を吐いた。

「お香さんの女子会に誘っていただかなければチョコをつくることはなかったですし、鬼灯様に差し上げてみては、というのもお香さんの提案なんです」
「それでも、私にくださったのは木霊さんの意思ですから。あの頃の気持ちを思い出して、つい浮かれてしまいました」
「お味は、どうでした?」
「もちろん、おいしいです。冷蔵庫に保管して、仕事上がりに少しずつ頂いています」

 実は仕掛け人であったお香が、二人のやりとりを見て微笑ましそうにフフと笑う。白澤に続いて桃太郎までもが血を吐き、唐瓜は今にも倒れそうだ。そんな中、

「ねえねえ、鬼灯様、恋のキッカケは?」
「それ知りたいなぁ」

 馬鹿という名の馬鹿コンビが、さらに燃料を投入した。見た目からは分かりづらいが確かに上機嫌の鬼灯は、請われて素直に口を開いた。

「……私を黄泉に連れて来てくださったのは木霊さんでした。人間だった頃は、それこそ人間扱いもされていませんでしたし、いきなり『人と鬼火のミックス』などという意味の分からないものになって一人さまよっていた時に、ずいぶんと可愛いらしい方が優しく案内してくださったものですから、もうすっかり、ぼうっとなってしまって」
「鬼灯様は子供の頃からしっかりしてましたし、そんな風にはちっとも見えませんでしたよ?」

 鬼灯がこきりと首をかしげて言うと、膝の上の木霊も反対側にこきりと首をかしげた。見目の良い青年と、愛らしい童子と、何も知らない者が見たら、眼福と思ったかもしれない。

「数百年は懸想していましたか、しつこくつきまとったりして、子供の頃のこととはいえ、お恥ずかしいです」
「つきまとうだなんて、毎日いろいろなお話をして、楽しかったです」

 叶わなかった初恋の話を当人同士がしていると言うのに、普段から「無」である鬼灯はともかく、その膝に乗っている想いを寄せられていたはずの木霊も、世間話のような気軽さのものだから、「コイバナ」という気がまったくしない。
 皆が覚えた違和感に気づいたのだろう、ふ、と鬼灯の唇からやわらかな苦笑のようなものが押し出された。

「木霊さんがこのような様子ですから、私も脈無しと悟ったのです」

 最初は、いつも穏やかに笑っている顔を崩してみたくて、必死に集めた贈り物をしたり、聞き覚えた熱烈な愛の言葉を贈ってみたり、それも効果がなければ、わざと怒らせようとしたり、泣かせようとしたり、色々なことをした。けれど、ついぞ木霊の心を揺らすことはできなかった。
 木霊は、いくら童子のような容姿をしていようとも、鬼灯、丁に出会った時点で既に数億の時を過ごした存在である。元人間の子供がいくら熱を上げたところで、人知を超えた年月を存在する神の視界に、真に入ることはありえないのだ。
 丁は物わかりが良く敏い子供だったから、神と人との違いを悟れば、それ以上木霊をわずらわすことはしなかった。そして、数百年をかけて、必死の恋心を穏やかな慕情に昇華させる努力をしたのだ。

 幼い頃の情熱を静かに語る鬼灯の膝の上で、にこにことそれを聞きながらお茶を飲んでいる木霊の姿を見れば、恋をあきらめた幼い鬼灯の気持ちの一端が、一行にも確かにわかるような気がした。

「思えば私も、神への生け贄として殺されながら、生け贄としての役は果たさず鬼となりましたから、神に恋をしたのは必然かもしれません」

 そう話を締めくくった鬼の子を、神獣が金の瞳できろり、と見たけれど、視線はかみ合わなかった。

「……さて、次はあなたたちの番ですよ」

 鬼灯はすっかり拗ねかえっていた座敷童子を左右の肩に乗せた。木霊はホワイトデーのプレゼントとして贈られたテディ・ベアを抱えて、ぴょこんと膝からおりた。

「わたしたちも、くま」
「くま、ほしい」
「わかりました。おもちゃ屋へ行きましょうか」

 鬼灯が立ち上がれば、事情を聞くため集まっていた面子も立ち上がる。目立ちすぎる一行が解散すれば、食堂も常を取り戻し、穏やかで賑やかな日常が戻ってくるのだった。





別名義で公開している小説を転載しました

白鬼のつもりで書いたものの
微妙すぎてタグがつけられませんでした……
鬼灯様の初恋が木霊さんだったらいいなあと
初めて読んだときから妄想していたので
書けてまんぞくです。
2014年2月12日