※来栖くんと春歌ちゃんと四ノ宮くんが卒業後に三人でいちゃいちゃしてる話
※アニメ未見、Repeatの四ノ宮くん恋愛エンド来栖くん恋愛エンドプレイ済み
歌手ってやつはアーティストに分類される人種なんじゃなかったか。
重い防音扉を押し開けて、来栖翔は詮無いことを考えた。音も、気温も、湿度も、光も、遠ざけられたレコーディングルームに篭れば、外界は遠い。今は何月で、どんな季節で、例年よりもちょっと肌寒いとか、雨が多いとか少ないとか、今は何の花が咲いているとか、どんな鳥が鳴いてるだとか、少なくとも今までの人生では「アーティスト」に少なからず必要な要素だと思っていた、感受性のようなものから隔離されている。それが普通になっていく。
帽子の下の顔を少しだけゆがめて、三日ぶりの家路を辿った。
シャイニング事務所の寮の近くまで来たなら、知った顔も多く見える。寮にまだ住んでいるような連中は、自分も含めて、売り出しの最中で、一日中仕事、ということもめったになく、出入りの時間も不規則だ。三年先に学園を卒業したはずの、この寮では一番の古参の先輩が、エントランス前で煙草をふかしながら(寮内は喫煙禁止だ。アイドル歌手を目指していてそんな喉に悪いものを嗜む人間の気が知れないが)、王子様のお帰りだ、と明確な嘲りを込めて言う。その荒んだ目に、ああはなりたくないな、と思うと同時に、同じ目標を持つ人間として物悲しくもある。彼の姿を見るのももう少しだという予感がする。良い意味ではなく。帽子を取って、ただいま帰りました、と平坦な挨拶をして脇をすり抜ける。
オートロックを開けてエレベーターに乗って、そこでようやく、疲れたな、と素直に思った。以前は、疲れた、と表に出すのは、いけないことだと思っていた。もちろん、今だっていけないことだと思っている。仕事中には。
同期生ばかりが住んでいるフロアで、重い扉が静かに左右に開く。そこでやっと肩の力が抜けて、はあああ、と深く長い息が肺から押し出された。やたらと豪華な大理石風の床を、スタッズとチェーンがかしゃかしゃと鳴る重たいブーツでずるずると進む。
一人暮らしの自分の部屋、もちろん戸締り火の用心はしっかりしているその扉が、開いていると疑いもしない。
「……たでーま、」
何の抵抗もなく開いた扉の向こう、玄関先には、赤い小さなサンダルと、白い巨大なスニーカーが、きちんと揃えて脱いである。大きさが違いすぎて親子のようだ。室内は柔らかな光に満ちていて、穏やかな春の夜風が吹き抜ける。締め切った澱んだ空気なんて欠片もない、良く干した洗濯物、花瓶の野の花、紅茶や、小麦粉やバターや砂糖を混ぜて焼いた菓子の香りが鼻腔を掠める。「おうち」の匂いだ。帰って来た、
「おかえりなさいませっ、王子様っ!」
ぱたぱたと賑やかな足音(防音は完璧だという話だ)が部屋の奥から近づいてきて、低くて甘い声と、高いさえずりのような声が、ぴったりとユニゾンする。
低くて甘い声の持ち主、四ノ宮那月はブラックジーンズに白いシャツ、チェッカー柄のベストというモノクロの装いで胸に手を当て、執事のように優雅に腰を折って一礼。
高くさえずるように喋る七海春歌は、昨年から流行りの薄く透けるアイボリーのチュールスカート、けれど丈はその手のものには珍しい足首までで、上にはタイトなシルエットの七部袖の真っ赤なパーカーを合わせて、スカートの長い裾を両手でつまみ、片足を下げて腰を低く、にっこりと笑って首を傾げる。
王子を迎える従者の礼だ。
「うむ、出迎えご苦労!」
王子様らしく振舞えたのはそこまでで、那月が上からかぽんと帽子を外し、下駄箱の上の帽子掛けにちょこんと乗せる。
「ほーら、高い高ーいっ」
「うわっ、お前いい加減それやめろっ」
「王子様、お足元、失礼致しますっ」
それから有無を言わさず脇下に手を入れて持ち上げられ、膝を着いた春歌がブーツを脱がしに掛かる。定型のように嫌がって見せて、わあわあと喚けば、仕事の間貼り付けていた「芸能人の顔」が簡単に剥がれていく。意識しなくとも、表情が変わる。
「翔ちゃん、暴れたら、ハルちゃんに足が当たって危ないよぉ」
「ぐ……っ、」
「すぐ済ませますね!」
レコーディングの間、履きっぱなしだったブーツとくつしたは臭うんじゃなかろうか、と落ち着かない。春歌は気にする様子もなく、足首に巻きついたチェーンとごてごてしたベルトを外して、足枷のように重いブーツをすぽんすぽんと脱がせて、那月のスニーカーと、春歌のサンダルと、その間にきちんと揃えて並べる。
「できました!」
「参りましょう、王子様」
とん、と廊下に下ろされて、右手を那月に、左手を春歌に、委ねてリビングへ、と思えば
「きゃああ、」
「ああっハルちゃんっ」
「ばっ、何やってんだっ」
膝立ちの状態から立ち上がろうとした春歌が、長くふわふわしたスカートを脚に絡ませてすっ転ぶ。床板に熱烈なキスをかますところを、翔と那月が間一髪で抱きとめて、結局は春歌を真ん中に挟んで、リビングのドアを開けるのだ。
「春歌、お前、ドンくさいんだから、あんまり長いスカートはやめろよな」
「だってこの方が召使いのお辞儀が綺麗に見えますっ」
「ハルちゃん最近長いスカートをよく穿いてるなぁと思ったら、家来の鑑ですね、偉いっ」
「だあっ、那月も止めろよ!大体、お前は露出度高いほうが好きなんじゃねぇのか!」
「あのねっ翔ちゃん、長い裾に隠れたハルちゃんの可愛いあんよが、チラッと見える瞬間の方が、ずっと見えてるより興奮しませんかぁ?」
「……春歌、そこ、照れるとこじゃねーから、」
春歌も那月も、翔をからかっているわけではない。心の底から本気で言っている。このシュールな漫才を聞くと、帰って来たな、と思う。
「翔ちゃん、お疲れさまぁ」
「痛ってえ、力強すぎだっての」
ぽすんとソファに座ればさっと後ろに回った那月が肩を揉む。春歌はカウンターチェアに掛かっていた、以前、翔と那月がプレゼントした、ピンクにフリルのエプロンをさっと身につける。
「翔くん、軽く何か食べますか?お風呂が先なら沸いてますし、」
「えっと、それともぉ、」
「那月その先は言うな!頬を染めるなぁっ!……春歌っ、メシだメシっ」
スタジオを出る時の、今から帰る、一行のメールだけで、翔の「家来」はこうして出迎えてくれる。好意や気遣い、音楽で守られた、堅固な翔の城。
「翔くんは中学まで名古屋に住んでいたのですよね?赤味噌を買ってみたのですが、お口に合うかどうか」
ほっとするような赤だしの、懐かしい匂いがする。那月は、そろそろ夜風が冷たくなってきましたねぇ、と窓を閉め、カーテンを引き、オーディオを操作すれば、会話の邪魔にならない程度に静かに、古いジャズが流れ出す。ことんことんと翔の前に置かれる、湯気を立てる飯茶碗も汁椀も、箸も箸置きも、今は一人分しか出てこなくても、食器棚には色違いのおそろいがあと二人分、ちゃんと仕舞われていることを知っている。
「燃やし尽くしたって顔、してますよ、翔くん。聴くのが楽しみです」
翔が疲れていることがわかっていて、根掘り葉掘り訊いたりはせず、けれどそんな風にねぎらいはくれる。今日まで録っていた歌は春歌が作った歌ではない。ただの一ファンとして、発売されるのを楽しみにしている、と言う。
「お前が作った曲は歌いやすいつーのがよくわかるぜ、」
駆け出しアイドルとして、与えられる歌に選り好みできるような身分ではないが、オフならば何を言っても構わない。それにこれは、翔だけでなく、同期全員の総意だ。急須から日本茶を注ぐ那月もうんうんと頷いている。
「えへへ。」
はにかんで頬を染めて、幸福に満ち溢れた笑顔。見ているだけで、翔も幸せになる。
「……味噌汁も、うまい、懐かしい味だな」
「ありがとうございますっ」
古い油がべっとりとした揚げ物ばかりの弁当を、深夜だとか昼過ぎだとかおかしな時間に詰め込んで、おかしくなりかけていた味覚と胃腸に、ふっくらと炊かれた米、赤だし、薄味の野菜の煮つけが、つるつると収まってしまう。
ここでは、城の中では、疲れたと言ってもいいのだ。けれどもいつも、那月と春歌が次々と、翔の「疲れた」をどこかへ持って行ってしまうから、口にしている暇がない。「人を元気にしたい」翔がアイドルになって叶えたいその夢を、この二人は自然にやってのけてしまう。正直に言ったりなんてとてもできないけれど、ずっと尊敬している。
「那月くんのドラマ、あと十分で始まりますね!録画はしたけど、翔くんが間に合ってよかったですっ」
「あれぇ?ハルちゃん、ドラマ、明日だと思うんだけど……」
「えっ、えっ、!?」
「あ?那月のドラマって木曜だろ?今日何日だ?」
「ああっ間違えてましたっ!明日ですっ」
もちろん仕事をしているのは翔だけではない。春歌は依頼をこなす他に、新しい曲を作っては事務所にデモテープを持ち込んでいるし、那月も、容姿のためか、最近は歌のほかにドラマの仕事も多い。先日など、毎週木曜に放映される連続時代劇のゲスト悪役に抜擢され、悪代官と癒着している悪徳南蛮人の役を貰ってきた。翔のスケジュールにも余裕のある頃だったから、役作りという名目で三人で和服を着て(翔が着付けたのだったが)、暴れん坊将軍の翔、町娘のおハル、悪徳南蛮人の那月で休日の一日を過ごした。途中で町娘がピアノを弾いてミュージカル仕立てになったり、悪徳南蛮人の作った南蛮渡来の菓子でのた打ち回ったり、暴れん坊将軍は腕の長さが足りず模造刀をスラッと抜けずに屈辱に打ち震えたりした。笑ってばかりの一日だった。
(日が落ちた頃、最高潮に盛り上がった時代劇ごっこはついに、悪徳南蛮人の「おハルよいではないかよいではないか」に突入し、そこで砂月化、テンションが下がらないままムラムラした翔も加わって、結果的に随分と年齢制限のある展開になってしまった。翌日、春歌は手首に縛り痕が残ったまま神宮寺レンとの打ち合わせに出かけてしまい、痣の意味がわからないような野暮な男ではない、未だにそのことでからかわれている三人である。以上余談。)
「じゃあ、今日は映画を観ましょうか、」
食器を片付ける春歌の後ろで、那月がDVDを選び始めた。娯楽よりも勉強の一環として、夕食後に時間があれば、三人で何か映像を観賞して意見を交わすのが、ここで暮らし始めてからの習慣だった。
「お昼に時間があったので、お茶菓子にクッキーを焼きました!」
「僕、紅茶淹れますね」
「家来」二人がぱたぱたと準備を整えるのを、翔は王子らしくぐでっとソファにもたれたまま見る。誰が欠けてもこの城は消えてしまう。
「……ここから出るときは、」
ふと意識せずに唇から言葉がこぼれ落ちた。那月と春歌が手を止めて翔を見る。
「これからすんげえ売れて、もう自活しろってここから追い出されることになったら、オーディオルーム欲しいよな。でっかいスクリーンつけて、」
にっと笑って見せると、二人からも笑いがこぼれた。
「翔ちゃんの部屋と、僕の部屋と、ハルちゃんの部屋と、」
「防音室は絶対に必要ですね」
「三口の大きいガスコンロ置きてーな」
「寝室には一番大っきいベッド入れようねっ」
「お庭があると、那月くんは小鳥さんとお話できるし、翔くんは鍛錬もできますね」
全員、似たようなことを考えていたらしい。まるで用意していたように、ぽんぽんと希望が飛び出してくる。
「それって、マンションとか借りるより、もうイチから家建てたほうが早くねーか」
「その日のために貯金は始めてますっ」
「ハルちゃんも?僕もしてるよ、翔ちゃんキャッスルの建設、がんばろーねっ」
くっくっくっと喉を鳴らすようだった笑い声はついには、あっはっはっはっと腹の底から響く大きなものになった。
「お前ら、ずっと俺様の家来だからなっ」
「はい、ずっとです、王子様」
「ずっとずっと、ずっとだよ、翔ちゃん」
三人で作る城の王子様でいる限り、どんな事だって自分にはできる、と翔は思う。
初出:12/03/28
別名義で公開している小説を転載しました
(12/12/01)
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