※聖川さまと春歌ちゃんが卒業後にほのぼのいちゃいちゃしてる話
※アニメ未見、Repeatの聖川さまコンプ四ノ宮くん恋愛エンド来栖くん恋愛エンドプレイ済み




 相互理解。
 聖川真斗と七海春歌の間に横たわる、生まれの違い、立場・身分の違い、というものは対外的には、愛で乗り越えた、という認識で概ね間違いがないが、生活の中で共有する時間が多くなれば、育ってきた環境の違いというものは現実に大きいのだった。

「アイスクリームのスプーンは無料なんですよ」
「何、素晴らしいサービスだ!アイス一つにつき一本貰ってもいい、ということか?」
「はい」

 オフ日の昼下がり、世間は平日、客の少ないショッピングセンターの食品売り場を、黄色のカゴを下げて歩く二人は一見、清楚で清純な歳若い新婚夫婦のように見えるが、交わしている会話はなかなかに珍妙なものである。

「本当はハーゲンダッツなんかが真斗くんのお口には合うのでしょうけど、」

 デビュー直後のアイドル歌手と駆け出しの作曲家では、収入に見合う生活というものがある。春歌がスーパーカップの抹茶とクッキーをカゴに入れる。安価で量は多い、庶民の味方だ。

「家ではいつも用意してある食材を使って、決められたものを作っていたからな。こうして、予算にあった食材を求めて、そこから献立を組み立てるというのは新鮮だ。」

 真斗のこういう、自然に何にでも楽しみを見つける姿勢がとても好ましい、と春歌は思う。

(以前は「おかねもち」というのはみんな神宮寺さんみたいな方ばかりなのだと思っていました)

 別に神宮寺が嫌いなわけではないが、親しく付き合う友人として付き合いやすいかどうかといえば、付き合いにくいと言わざるを得ない。世界が遠すぎる上に、神宮寺の方には歩み寄る気はさらさらない。

「野菜、お肉、お魚、たまご、買い忘れはないですよね、」

 カゴの中で異様な存在感を放つ(聖川視点)牛乳にはあえて言及しない春歌に、真斗は少し染まった頬でそっぽを向いてしまう。ふふ、と笑う。買い置きのフルーツの缶詰とあわせて、牛乳寒天を作ろうと思う。きっと真斗にも食べられるはずだ。

「買い物袋は必要ないぞ」
「ありがとうございます!」

 さっと広げられたのはしっかりした木綿の風呂敷だった。古い物のようだが四隅はしっかりと縫われてほつれもなく、染められた紫は何度も水をくぐった落ち着きがある。角には白く「聖川警備保障 二十周年記念」と文字が抜かれていて、おそらく聖川家で真斗や春歌よりも長い年月を過ごしてきたのだと思われた。

「あっ、わ、わっ、」

 袋状ではないただの布に、細かなものをたくさん包むのは案外と難しい。サッカー台の上で雪崩を起こした生鮮食品のパックを、春歌が慌ててかき集める。

「ああ、すまないっ、風呂敷などハルには馴染みのないものだったろう、配慮が足らなかった、」

 重いもの、粗雑に扱っても良いものを下に、軽いもの、壊れやすいものを上に、さっと揃えて美しい包みを作る真斗の手はまさに「魔法の手」だ。皺も整えられ、きゅっと美しい結び目を作った風呂敷包みを、見た目からしていかにも育ちの良さそうな真斗が手にしているのは、非常に似つかわしく、見目も良かった。

「すごい!かっこいい!」
「このくらいで、大げさだな」

 言いながら苦笑いする、その頬はほんのりと紅い。手を繋いで自動ドアをくぐる。幸いと言うべきか、残念ながらと言うべきか、写真を撮られたり取り囲まれたりするような知名度は、今の二人にはない。春の日差しの中を、そのまま歩き出した。二人とも、特に春歌は、屋内に篭りっきりになることが多い生活だから、機会があれば少しでも、できるだけ歩くようにしている。

「路上演奏日和ですねっ」

 アスファルトの上の足音は軽く、春歌は空を見上げて目を細める。雪の日でも気にしなかった、というだけで、やはり路上で演奏するなら暑くなく寒くなく、喉にも指にも楽器にも、気候が優しい方がいいのだ。

「ここで歌ってみるか?」
「ふふ、心の中だけにしておきます」

 冗談かと思えば、春歌の答えに、真斗はかなり真剣にがっかりした顔をした。

「残念だ、お前の音楽は偽りのないお前の心の裡なのだから、少しでも多く聴きたい」

 聖川真斗という人間は、何の下心もなく、本心から、真顔で、春歌にこんなことを言うから、参ってしまう。

「……それじゃあ私、真斗くんになんにも隠し事ができません。恥ずかしいから、秘密です」

 頬が赤いのは、陽射しが暖かい所為だと思われればいい。手を繋いでいるから、距離を取ることなどできないのに、気持ちだけでも脚を速める。

「ハル、」

 春歌だけがAllegrettoの歩調で、一歩先を行っていたのを、繋いだ手を軽く引かれて呼び止められた。

「もう、桜の季節なのだな」

 立ち止まった真斗の視線を追えば、住宅街の中の小さな公園に、桜の若木がこぼれそうなほど花をつけている。

「わあ、満開、」
「寄っていくか、」

 風に乗って、白い、けれど純白とは違う淡く色づいた花びらが足元まで流れてくる。

「アイス、溶けちゃいます」
「ここで食べれば問題ない、そろそろ三時だ。スプーンは貰ったのだから、」

 部屋に戻って食べるのなら、普通のスプーンを使ったほうが食べやすい。真斗は、あの小さな木のスプーンを使ってみたくて仕方がないのだ。どこか興奮したような面持ちを見て、ふと真斗の思惑に気づいた春歌は、それを指摘してからかってみたい、という意地悪な心と、とても可愛らしい彼がこのまま上機嫌に小さなスプーンでアイスを食べるところを見たい、という心のあいだで、束の間、揺れた。

「……やはり、外でおやつを頂くなど、はしたないだろうか」

 数秒の沈黙を否定ととった真斗が、しょげた様子を隠せもせずにうつむく。春歌は慌てた。

「あっ、ちっ、ちがう!です!真斗くんとお花見したい!」

 変なカタコトになりながら、繋いでいない方の手を必死に振れば、そうか!と喜色満面にぱっと顔を上げられて、その眩しさにまた慌てた。

 公園内に小さなベンチはあったけれど、それは使わず、桜の真下のブランコに並んで腰掛けた。無人の公園は、もう少ししたら下校してきた小学生が集まるのだろうか、それともこんな小さな公園はもう見向きもされないのだろうか。錆びた鎖がきしむ音がはっきりと響くほど、静けさに包まれている。真斗が、膝の上に乗せた風呂敷包みから、アイスとスプーンを取り出して、一つを春歌に差し出した。抹茶が真斗で、クッキーが春歌だ。ほどいた結び目を再び美しく締めなおして、木綿がきゅっきゅっと鳴る。凛とした、一つのメロディのようだ。

「今度、風呂敷の使い方、教えてください」
「ん?使い方というほどのものはないぞ、包んで縛ればいいのだ。でも、そうだな、後で解きやすい結び方や、目上の方に贈り物を持参する時の包み方などもある。帰ったら教えようか」
「お願いしますっ」

 ふっと真斗が笑った。

「俺にもハルに教えることができるのは、嬉しいことだ」

 かぱ、とアイスクリームの紙蓋を開いた春歌は、傾けた蓋と同じ角度に首を傾げる。

「むしろ、真斗くんには教わってばかりだと思うのですが」
「何を言う、」

 春歌がいなければ一人暮らしができたかあやしいものだ、と真斗は言うが、庶民の生活を知らなかっただけであって、一通りの家事を完璧にこなす真斗の生活能力は、基本的には春歌よりかよっぽど高い。小さなことに目を輝かせて感激してくれる真斗が可愛くて、つい(アイスクリームのスプーンのような)、さして重要でもないことをいくつも、教えてしまう春歌にも彼がこんなことを言い出す原因はあった。
 蓋の裏についたアイスをスプーンでこそげていると、真斗がじっと見ている。ああ、まただ、と、少し浮ついた気分で思う。きっとこんなことをしたことはないのだろう。

「小さな頃は、蓋を直接舐めて、お母さんにお行儀が悪いって叱られました」
「……いけない子だ、」

 ふと真斗が頬を赤らめた。それほどにはしたないことだろうか、調子に乗った自分が急に恥ずかしくなって、春歌はごまかすように頭上を見上げた。ふちにフリルを入れた薄紅の花弁が、レースのように幾重にも広がっている。風が梢を揺らせば、ひらひらと降り注いだ。指先に乗るほどの花弁の、小さな切込みと曲線と、同じ形の繰り返しはリズム、ひらひらと踊って散る様はメロディ。一瞬、春歌の頭の中は五線とその上を舞う桜の花弁だけになった。

「この静寂の中で、ハルの中にはどれほどの音楽が溢れているのだろう、」

 ぼそりと、独り言のように落とされた真斗の一言を、だから聞き逃した。

「え?」

 ぱっと振り向いた春歌の額に、身を乗り出すようにした真斗の唇が、ちゅっと音を立てて触れる。それから、こつん、と熱を測るように額と額が合わさった。

「あ、あのっ?ま、真斗、くん、」

 緩やかな笑みを唇に刻んで、真斗は瞳を閉じている。そうしていたのは十秒ほどだったか、合わさった時と同じように唐突に、額が離された。

「ハルの心で奏でられている音楽が、こうしたら聴こえないかと思ったのだが」

 やはり聞くことはできないようだ、とにっこりと笑う真斗に何を言えただろう。今度は春歌が頬を赤くする番だ。

「できあがるまで待つとしよう」
「……『可及的速やかに』、書き上げます」

 藤川の口調を真似て、唇を尖らせた。何度もこんなことをされては、春歌の心臓がもたない。熱くなった頬を冷やしたくて、柔らかくなったアイスクリームを掬う。

「ハルの食べている、そのバニラの中の黒い粒はなんだ?チョコレートとも違うようだが、」
「細かく砕いたクッキーです。そういえば、学校の購買で一緒に何度か買ったことありましたね、黒いクッキーに、白いクリームが挟んであって、わりと食べ応えのある、青いパッケージの、」
「ああ、覚えがあるな」
「一口食べますか?」
「頂こう、」

 春歌としては、カップごと真斗に手渡すつもりだったのだ。けれど、目の前で高貴な人が、あーん、と子供のように無心に口を開ける。それを無視して、どうぞ、とカップを突き出すような無体は、春歌にはできない。

「あ、あ〜ん、」

 ぱくり、とスプーンの先が真斗の唇に消える。小さな木片の上で、春歌の指が触れてしまいそうなのに、真斗は気にする様子もない。

「うむ、普通のバニラとはまた違って、美味いものだな。ハルも、俺の抹茶を食べるといい、」

 今度こそ、とカップを受け取ろうとして伸ばした手は空を切り、鼻先にスプーンを差し出される。

「溶けてきたな、ハル、さ、早く。あーんだ」
「………………、」

 目を合わせることはできず、真斗の襟元のあたり、微妙に下を見て口を開ける。とろりと溶け出したアイスに慌てて、口の中で、ちゅう、と音を立ててしまって、居たたまれない。

「どうだ?こちらもなかなか美味いだろう」
「……大人の味、です、」

 少し濃厚なクッキーと違って抹茶の後味はすっきりしていたけれど、「あーん」の動揺が春歌にそう言わせた。液体になってしまいそうなアイスクリームを前に、二人、しばし無言でおやつに専念する。はらはらと花びらが降り注いだ。

「本当は、風呂敷の使い方の他にも、真斗くんに教わりたいこと、たくさんあるんです」

 ただでさえ食べにくい小さな木のスプーンを、初めて使っている真斗は少し手間取っている。先に食べ終えた春歌は、つい今しがた、口に入れてもらった抹茶アイスの味をやっと冷静に思い出して、ふとそんなことを言った。

「なんだ?俺に教えられることならば、何でもハルに与えよう」

 やっと最後の一口を食べ終えた真斗も、顔を上げる。

「それ、」
「アイスクリームか?」
「ううん、真斗くんは、きっと、茶道も身につけているんでしょう?」
「ああ、茶道、華道、香道、書道などは、身につけたというほどではないが、嗜む程度に少し教わった」

 真斗の嗜む程度というのは、きっと世間では一通りのことを習得しているというレベルなのだろう。卑屈なのではなく、彼の謙虚さであり、志の高さだ。

「真斗くんと過ごしていると、私は、せっかく日本に生まれたのに、日本のそういう文化を知らないのって、もったいないことだなあっていつも思います」

 そして、真斗がどんな世界に身をおいているのか、もっと知りたいとも思うのだ。

「そうだな、それにハルならば、茶室の静寂の中、活けられた華の姿、仄かな香り、白と黒の世界の中にも、無数の音楽を聴き取るのだろう。多くを知ることは、必ずやお前のこれからの糧になるはずだ」

 それでは時間を見つけて少しずつ始めようか、と微笑む真斗に、はい!、と元気良く返事をすると、笑みはますます深くなる。アイスクリームの空きカップを重ねてビニール袋にまとめ、立ち上がって再び手を繋いだ。揺れたブランコの鎖が、笑うようにきぃきぃと音を立てる。

 生粋のお坊ちゃまの真斗と、芯から庶民の春歌の、相互理解の日は、意外にも遠くなさそうである。





初出:12/03/31
別名義で公開している小説を転載しました

聖川さまが妹さまをたしなめるのに
「いけない子だ」
て言うのが好きすぎて好きすぎて震える
(12/12/02)