[ 滅びゆくもの 栄えるもの ]
風が抜ける。
視界の開けた高台に隻腕の妖が座っていた。
傍らに立つのは人間の少女。
夕餉前の頃合、眼下に広がる大規模な集落には幾筋も飯炊きの煙がたなびき、野良から帰る人々の影が長く伸びる。
一瞬、強くなった風が豊かな銀糸を乱して視界を遮り、再び肩に舞い落ちた。
「殺生丸さま?」
何を見ているんですか? と問いたげな声に名を呼ばれ視線をやれば少女がじっとこちらを見ている。
いつものように、真っ直ぐに。
その顔に乱れかかった黒髪を手櫛で梳いてやり、指先に触れた柔らかい肌に誘われるように軽く頬を啄ばむと、くすぐったいですよぅ、と抗いもせずに笑った。
人の子よ、お前達人間のその強さは何処から来るのかお前は知っているか?
この景色を見ろ、人間が僅かな力を寄せ集めて拓いた荒野
今、私とお前がいるこの丘も、もとは鬱蒼とした森であったものを。
先の見通せぬ薄の原、荒々しい原始の森と人里との境界にこそ我ら妖は住まうと言うのに。
一対一で対峙すれば人の力など何と儚い
それなのに、妖を怖れ、ただ日々を生きるためだけに力を揮う人間達がこうして妖を駆逐する。
森を伐り光を入れ、その後に人の手で作った秩序正しい杉林にもう妖は暮らせないのだ。
いつの間に日は沈み、残照が遠い雲を染める。
身体の熱を奪う夕風に身震いした少女を引き寄せ、後ろから抱え込むようにして自分の前に座らせた。
癖のある髪に顔を埋めると甘い体臭が鼻腔をくすぐる。それは太陽の下を生きるものたちの匂いだ。
世の混沌こそが妖の領域。
光が射せば陰ができるように、混沌がこの世界から全て消え去ることは決して無いだろうが。
しかし見えるのだ、人間が次々と闇に光を放ち、妖を世界の果てに追いやってしまうだろう明日。
今は日が落ちればそこかしこに姿をあらわし人を脅かす混沌が、逆に人の灯す火に脅かされるだろう未来。
人の子よ、お前は光。
それは本来混沌の闇に生きるはずの私さえ惹き付けた。
私はいつかお前の光に灼かれ、そして妖は人の前から姿を消すのだ。
栄えるものと、滅びゆくもの…それはおそらくずっと前から決まっていた。
私はお前を救ったことを後悔などしない。お前が私を滅ぼすとしても。
ただ、伝えてくれ、御伽噺でもいい。
妖が人ほどに栄えた世があったこと、人と交わった妖がいたことを。
「………美しいな、」
しかし、彼が口にしたのはそれだけだった。
言葉にしない想いが黄昏に溶けて消えてゆく。
隻腕の妖と人間の少女は眼下の営みから洩れる灯りをじっと見ていた。
互いに何を想いそうしているのか、知ることはないがそれでいい。
ふと、腕の中から少女が妖を振り仰ぐ。
その微笑みは闇に光を振りまく花。
「殺生丸さま、あたしたちも帰りましょう」
「…ああ。」
栄えゆく種族と滅びゆく種族は手を取って、彼らの塒へ帰っていった。
02/06/13
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