今ではもう遠い昔のことで、何処のことだとも何時のことだともわかりませんが。



昔々、ある田舎の村に貧乏だけれど大変気立ての良い若い百姓が住んでおりました。
やがて若者はその気立てを愛され、貧乏だけれど大変美しい娘とめおとになりました。

一年後、父の気立ての良さと母の美しさを貰った女の赤ん坊が生まれました。「みさら」と名付けられたその子供は若く貧しい夫婦の唯一の宝となりましたが、更にその一年後、戸口に白羽の矢が立てられたのでみさらは神様に娶られることになりました。

みさらが七つになった年の春、桜が咲く前に、白い着物を着て仮面をつけたように表情の変わらない年嵩の女がどこからかやってきて、みさらを神様のところへ連れて行きました。
女に手を引かれ、七度日が沈んで七度夜が明けるまで山の中を歩きつづけると、みさらの目の前に立派なお社が現れました。お社はみさらの小さな手がようやく通るほどの小さな格子の垣に広く広く囲まれており、みさらを連れてきた女は、何をして暮らしても良いけれどこの垣から外に出てはいけない、とだけ言いました。

みさらはさっそく自分の「夫」だという「神様」を探しましたが、お社の隅から隅まで歩いてもどこにもいません。神様なのだから神殿にいるかしらと思い立って神殿の奥の小さな扉も開けてみましたが空っぽでした。
お社の中にはみさらを連れてきたのと似たような顔をした白装束の女が何人も住んでいて、皆みさらのために働いているので着るものにも食べるものにも不便しませんが遊び相手にはなりません。

すっかり退屈したみさらがうたた寝をしていると夢を見ました。

暗いところで誰かが「さびしいよう、さびしいよう」と言ってしゃがんで泣いています。
近づいてみると、それはぼろを身に纏った若者のようでした。

「どうして泣いてる、大人なのに」

夢の中のみさらがそう言うと、若者は泣き止んでこちらを見ると「お前がみさらか、」と言うのです。

「誰も居なくてさびしいから泣いていた。でももう泣くのは止す。お前が嫁にきてくれたもの。」

そこでみさらはその若者が神様だと知りました。

若者はもともと神様ではなかったのですが、妖しい力を使って人々を悩ませるのでこの社に閉じ込められて祀られ、神様となったのです。

悩ませると言っても、さびしがりやのあまり人間と遊びたくて厄介を起こしていたもので、もとから乱暴なことを好むたちではありません。

みさらが自分の袖で涙でぐしゃぐしゃの顔を拭いてやれば礼も言うし、話してみればたくさんのことを知っています。おてだま、にんぎょう、どんな遊びも一緒にやってくれるので、みさらは神様が大好きになりました。そしてそれから毎日、一日のほとんどを神殿で眠り、神様と夢の中で遊ぶことで過ごしました。

みさらは夢の中では七つのままでしたが、身体はどんどん大きくなりました。
十年経ったある秋の日のことです。

神殿の枕もとに置こうと色づいた桂の枝を手折っているみさらを、山に狩りに来ていた皇子が垣間見て、すっかり気に入ってしまいました。
皇子は神様を恐れない人であったので、みさらを自分の妻のひとりにしたくなって、格子の垣を馬に乗って飛び越えるとみさらを攫っていってしまいました。

みさらは、自分はもう神様に娶られているから人の妻にはなれない、と何度も言いましたが皇子はまったく聞く様子がありません。腹を立て娘らしい慎みもなく癇癪を起こした子供のように暴れたので、城の高い塔に閉じ込められてしまいました。

皇子は神様と違って遊んでくれないばかりか毎晩みさらに恐ろしい仕打ちをします。
お社の格子の垣から出てしまったので眠っても夢の中に神様はいません。きっと初めて会った時のようにさびしいと泣いていることでしょう。それを思うと悲しくて、みさらこそ毎日泣いていました。

閉じ込められていたみさらには知る由もなかったのですが、その頃、国中が大変な騒ぎになっていました。
川の水は濁りおぞましい臭いを漂わせ、毎日毎日どんよりとした曇り空ばかり、収穫前の稲穂が端から枯れていくのです。
皇子が城の塔に攫ってきた娘のことは人々に知れ渡っていましたから、神が怒っているのだと皆が噂しました。 それでも神を恐れない皇子は、人々が天罰に怯えるのを愚かだと嘲ってみさらを帰しませんでした。

ついには塔の上のみさらにも荒んだ国の様子が伝わりました。
みさらは神様が妖しい力を使っているに違いないと信じ、これ以上神様を悲しませる前にどうしたって社に帰らなければ、と考えました。
ここにいる限り普通に眠っても神様には会えません。みさらは神様に会いに行く術はないかと夜も眠らず、皇子から恐ろしい仕打ちを受けている間もずっと、考え続けました。

そうして塔の小さな窓から昇る朝日を三度眺めた後、攫われた時からつけたままだった簪を自分の喉に突き刺しました。

もう三度朝日が昇るまでに国は綺麗に元通りになり、葬儀を行うために皇子がみさらの身体を祭壇へ移そうと棺を開けると、そこには死装束が抜け殻のように残っているだけでした。


この時から、優秀な巫女のことを「みさらの姫」と呼ぶようになったということです。







03/01/16