ままごとのようだ、と思うこともある。

 土曜の夜、27時、休前日のナイトアクアリウムの営業時間も過ぎ会議も終り、照明の消えた水路を伊佐奈は最上階に向かって泳ぐ。水温にムラがあり、循環装置の調子が良くないのか、と舌打ちした。ガラスを突き破った先は館長室だ。消灯されているがガラス張りの外壁から港の照明と遊歩道の水銀灯の明りが入って薄明るい。

 館長室の裏側にある私室へと続く扉の細い隙間から明りが漏れている。ネクタイを緩めながらのたのたと近づく。子供が好むような甘いソースの匂い、炊いた米の匂い、潰したとうもろこしとクリームのスープ、テーブルに乗った、きっちりとラップをかけられたハンバーグは真ん中に小さな国旗が刺さっていた。

 ふわ、と別の匂い、浴室を使った湯気と残り香、香水とは違うボディソープの健全なフローラルは伊佐奈の好みではなく外から持ち込まれたものだ。それを追いかけるようにユニットに入り、スーツを落としヘルメットを外して洗髪料も使わずに水だけを浴びる。潮が洗い流される。新しい下着を出すのも面倒で、全裸のままタオルだけを被ってベッドに近づいた。

 シーツを乱すことなくころりと横になった身体と白いシャツが、疲れた目にはほのかに光っているように感じられた。ちらりと見えている柔らかな尻を覆う下着は子供っぽいコットンの水玉模様、ベッドの上には学校の課題らしいプリントと参考書、ティーン向けのファッション誌、携帯電話、水の入ったペットボトルが散乱していて、手にはキャラクターもののシャープペンシルが握りしめられていた。おそらく本人には寝ているつもりはないのだろう。伊佐奈は乱雑に散らかる雑多なものをなぎ払うようにざっと床へ落とし、筆記具も小さな手から取り上げて後を追わせた。自分の入る隙間を作ってベッドに乗り上げると、髪からぽつりと、柔らかな丸みを帯びた頬に水滴が落ちた。

「華、華、」
「ん、つめた、」

 震えるまぶたがゆっくり上がって、黒い瞳に伊佐奈の姿が映る。沈み込むような褐色の鯨の肌と、浮かび上がる青白い人間の肌。無力な女子高生が、眠っている間に自分の上に覆いかぶさっていた化物に驚きもせず、ぼんやりと腕を伸ばして、頭に引っかかっているタオルでわしゃわしゃと水滴を拭おうとする。

「ゴメン、私寝ちゃってた?って、うわっ、なんでマッパなの、パンツくらい穿いてよ」

 パンツ穿けないくらい疲れてんの?おつかれ、とふにゃふにゃの声で言われて、伊佐奈はやっと心身を柔らかな子供の身体の上に着地させた。骨ばった伊佐奈の身体の凹凸にあわせて柔らかにたわむ。

「ぐえっ、お、重いよ、どいて、パンツ穿け」

 ぺちぺち、と片手は肩を叩きながら、片手は髪を拭うのをやめないから、さらにぷちぷちと白いシャツのボタンを外して滑らかな肌に直接顔をつけた。子供の肌だ。まだほんの十代半ばの、自分より十以上も年下の小娘に、と頭の隅で黒い化物が言う。

 乾いてさらさらとした腹、すこし汗ばんだ胸の谷間や脇、健康そのもののむっちりした肉付きは、しなやかな皮膚の向こうに脂肪と肉と骨と、その向こうに脈動する臓器を隠している。舐めるとぞろりと舌にうぶ毛が触る。脇腹に軽く歯を当てればくすぐったいのかふるりと震える。

「ご飯食べた?」
「……別に腹が減って齧ってるわけじゃねえ、朝食う、もう寝る、ねみい」

 ぐりぐりと鳩尾に顔を押し付けると、宥めるように濡れた髪を指先で梳かれた。本当に、こんな子供に。健康で、素直で、憎しみを覚えるほど前向きな、世間知らずの、小娘の肌に頬を寄せたとき、その体温と体臭と鼓動を感じたときに一番、自分が本当に人間であると信じられるなんて。増える入場者数、利益と資産、人間へ近づいていることが数字になって返ってくる確かさよりも不確かで確かなもの。

 華が身体の下から掛け布団を引っ張り出そうと腕にぐっと力を入れて、ボタンを外したシャツのあわせからまろび出た淡い紅色の乳首が伊佐奈の鼻先でふるふると揺れている。

「ひっ!?」

 ぱくりと口に含んで舌で嬲れば、色気のない素っ頓狂な声が上がった。ぱし、と慌てた様子で片手で口を押さえている。眉が寄っている。色事にはまるで無縁だったこの子供を、すぐに感じるような身体に、伊佐奈がしたのだ。

「ん、んっ、あ、ね、寝るんじゃ、ないの、」

 ちゅう、と音を立てて吸えば、びくびくと腹筋が震えた。

「寝る、ヤってから」

 蛍光灯の下でぬらぬらといやらしく光る、自分の唾液に濡れた胸を手のひらにおさめてやわやわと感触を楽しみながら、身体の位置をずらしてじっと目を見た。華が自分から唇を覆った手を取り去るのを待った。

「……朝起きられなくても、しらないよ、」

 頬を染めて、頑張って可愛くないことを言おうとするのがどうにも愛しく、目を開けたまま唇を寄せた。この子供が、いつかままごとに飽きてここから居なくなってしまわないように祈りながら。






初出2011年6月
6月シティのペーパーに載せようと思って書いたけど
いや乳首どうよ?となってやめたものです
やめてよかった

華ちゃんのおっぱいはすばらしいので
きっと館長は華ちゃんのおっぱいをちゅうちゅうしているうちに
いつか真人間になるんじゃないかと思います
2011年9月4日