春休みなど知らないとでも言いたげに応接室に居座っている雲雀を綱吉は訪ねた。穏やかな日差しは暖かいが、風はまだどこか肌寒く、クリーニング店から受け取ったばかりのブレザーからはほのかに薬品の匂いがした。

「こんにちは」
「まだ春休みは終わってないよ、何しに来たの」
 ノックの後、返事も待たずに扉を開けた綱吉を、雲雀は顔も上げずにつれなくあしらった。あしらおうと、した。
「仕事中だ。帰りなよ」
「オレ、雲雀さんのこと、だいっ嫌いなんです。嫌いな人の言うことなんて、聞きません。」
 どうしても隠しようがなく少し声は震えた。けれどぐっとこぶしを握った綱吉は、そのままつかつかと入室すると、書類に向かっていた雲雀の右手を強引に取った。くしゃりと紙が歪む。
「いい天気なんです」
 高級そうなペンを綱吉が奪い取って乱暴に机の上に放っても、雲雀はされるがままになっていた。そこで初めて綱吉の顔を見た。吸い込まれそうな濃い色の瞳にたじろぎながら、それでも掴んだ手は離さなかった。雲雀は何も言わず立ち上がった。綱吉が歩き出せば、手を振りほどくこともなく黙ってついてきた。

 応接室を出て、廊下を歩いて、靴を履いて、外に出て、校門を出る。二人は黙って歩く。最初こそ綱吉が雲雀を引っ張っている格好だったが、すぐに雲雀が歩調を合わせたので、ただ手をつないで歩いているだけのようになる。

 学校のある住宅地を抜けて、駅に向かって、商店街に入る。春の日差しは清く白く、街灯に飾り付けられたビニール製のちゃちな桜花もきらきら光る。春休みで、天気が良くて、真昼間だったから、商店街は人通りが多く、春休みなのに制服を着て、男同士で手をつないで、それなのにむっつりと口をつぐんで歩く二人連れは注目を浴びた。片割れが「雲雀恭弥」であるからなおさら目立った。

 時折、ひそひそと何事かを呟かれながら、握った手は離されることがなかった。どんどん歩いて、やっと綱吉はたい焼き屋の前で立ち止まった。

 昨日もここに雲雀と二人で来たのだった。

 昨日は私服だった。でも手はつないでいなかった。そんな単語は二人の口から一度も出なかったけれど、多分デートだった。「たい焼き食べたい」どちらが言い出したのだったか、覚えていないほど自然に、ここで立ち止まって、一つずつ買って、雲雀は行儀が悪いと言いながら立ったまま食べた。綱吉はカスタードで、雲雀はつぶあんだった。綱吉は唇の端にクリームをつけて間抜けな顔で笑っていた。雲雀はあんこじゃないたい焼きなんて邪道だと言った。やっぱり笑っていた。
「食わず嫌いでしょう、」
 自分のおいしいと思うものを雲雀にもおいしいと思って欲しかったから、綱吉は熱弁した。熱が入りすぎて、食べかけのたい焼きからは少し中身がはみ出ていた。
「じゃあ、食べてみようかな」
 ちょっと早口で言った雲雀は頬が赤かったし、綱吉も頬が赤かった。
「ど、どうぞ」
 綱吉はカスタードのたい焼きを握り締めた右手を突き出した。手が震えているのがバレませんように、と願った。やはり緊張で震えている雲雀が綱吉の手に顔を近づけた。指の上にねっとりとこぼれたクリームを舌で掬い取ろうとした。

 昨日も春休みで、天気が良くて、真昼間だったから、商店街は人通りが多く、同じ町内なのだから、並盛中の生徒もたくさん出歩いていた。真っ赤な顔で震えている綱吉の指に、耳まで赤くした雲雀の真っ赤な舌が触れる瞬間、どこかから、すぐ近くから、「あれ、ダメツナじゃね?」という声が聞こえてきた。綱吉には聞き覚えのありすぎる声だった。昨年度までクラスメイトだった男子生徒の声だ。

 そうしようと思ったわけではなかったけれど、狼狽した綱吉は結果的に雲雀を突き飛ばした。べしゃ、とカスタードのたい焼きが地面に落ちてつぶれる音がした。

「……どうしたの、」
 雲雀は呆然としていた。
「だ、だって!男どうし、で、こんなの、恥ずかしい!ふ、普通じゃない!から、人に見られたら、」
 支離滅裂な言い訳は、自分で聞いてもみっともなかった。けれど、いつもなんだかんだと綱吉を見下す少年たちに、雲雀と仲睦まじくしているところを知られるのは耐えられなかった。赤かった顔を青くして、冷や汗をかいた綱吉を雲雀が見た。珍しいほど大きく目を見開いていた。それを見返したら、綱吉は走って家に逃げ帰ってしまったのだ。

「カスタードひとつ」
 綱吉は左手を雲雀の右手とつないだまま、右手だけで不器用に小銭を出してカスタードのたい焼きを買った。雲雀が察して手を離そうとしたのを、ぎゅうっと力を込めて逃がさなかった。

 昨日、綱吉を見た雲雀の目に、綱吉を責める怒りの色があったなら、こんなに悔やむことはなかったのかもしれないと思う。けれど、雲雀の深い色の瞳はただ、綱吉に拒まれた悲しみだけがあったので。

「昨日は、ごめんなさい」

 温かい紙袋を受け取った綱吉の声は震えた。けれど泣きたくはなくてぐっと唇を噛んでこらえた。
「別に、気にしてない」
 雲雀の声は不自然なほど平坦だった。
「うそ!」
 叫んでしがみついた。人通りの多い往来だった。けれど、背中に右腕を回してぎゅっと抱きしめた。雲雀の腕は動かない。綱吉は、拒まないから抱き返して欲しいと身勝手にも願った。
「……だって今日は、四月一日じゃないか、」
 雲雀の肩越しにコンクリートの地面を見る。昨日落としたたい焼きはそのままにして逃げてしまった。雲雀が片付けたのか、それともたい焼き屋の従業員が片付けたのか、残骸はもうどこにもなかった。無数に刻まれたジュースやガムらしき染みの中に、もしかしたら昨日のカスタードの染みもあるのかもしれないが。
「君が、他人に見られて恥ずかしいと思うらしい気持ちは、正直なところ僕には理解できない、」
 ゆっくりと雲雀の左腕が上がって、綱吉の背中にそっと置かれた。
「でも、君が嫌なことなら、無理にしなくていい、とも思う。」
 つないでいた手を離される。今度は綱吉はそれを邪魔しなかった。綱吉の手から離れたてのひらは、やっぱり背中に降りた。
「……でもやっぱり昨日は淋しかった。もう、どうしたらいいのかわかんない」
「オレ、も、雲雀さんがあんな、悲しい顔するの嫌だ。けど、やっぱり知ってる人に見られたくない、」

 今日は、エイプリルフールだから、嘘の日だから、と自分に言い聞かせて、見知ったご近所さんの顔も見える中を、なんとか男二人、手をつないでここまで来た。今だって恥ずかしくて気絶したいくらいだ。でも、昨日の雲雀の顔を思い出すと、もう二度とあんな顔は見たくないとも思うのだ。
「どうしたらいいのかわかんない。面倒でしかたないのに、やっぱりすごく君が好き、だから、一緒にいたい」
「お、オレだって!こんなの、恥ずかしいのに、オレの常識じゃ、こんなの、ありえないのに!でもやっぱり、ひ、雲雀さんが、す、すごく、す、好き、」
 雲雀の背中で、綱吉は今日こそたい焼きを落とさないように、ぬくもりを閉じ込めた紙袋をぎゅっと握りしめた。雲雀の腕にも力がこもって、たい焼き屋の横の駐輪場の前で、二人はしっかりと抱き合った。
「さっき、大嫌いって言った、応接室で」
「あんなのっ、うそに決まって、だって今日は、四月一日だから、」

 今日は春休みで、天気が良くて、真昼間だったから、商店街は人通りが多く、春休みなのに制服を着て、男同士でしっかりと抱き合った綱吉と雲雀は、注目を浴びた。町内なのだから、並盛中の生徒もたくさん出歩いていた。どこかから、すぐ近くから、「あれ、ヒバリさんじゃね?」「うわ、一緒にいんの、誰だ?男子だろ?」信じられない、という感情を滲ませた声が聞こえてきた。びくり、と身を硬くした綱吉の、見れば誰でも彼だとわかるつんつんと跳ね上がった髪を外界から隠すように、雲雀が綱吉の頭をぎゅっと胸に抱え込んだから、真っ白いシャツに頬を押し付けて、綱吉は少しだけ泣いた。







エイプリルフール大遅刻すみません
2011年4月2日