校歌が聞こえる、と思った。

 いつの間にか二度寝していた。雲雀は寝返りを打つ。打とうとして、かしゃん、と手錠の鎖に引かれて、もぞもぞと身体の位置を変えるだけにした。枕が、随分と熱い。遠ざけようと思って、ぎゅっと握ったら、枕が、ぎゃっ、と言った。枕だと思っていたものは、沢田の腹であった。それに気づくと、逆に、ぐいぐいと顔を押し付ける。校歌がやんだ。

「ほんとに起きた」

 ほけ、と沢田が呟いている。

「音程が違う……」

 あくびしながら唸るように言うと、沢田は恥ずかしそうに、音痴なんです、と言った。雲雀は、目を開けて、自分が、ぐしゃぐしゃに丸まった布団を背もたれにして身体を起こした沢田に、半分乗っかるようにして横になっていたのを知った。寝ている間に、定位置(沢田の上)に移動したらしい。

「一緒に歌えばどこが違うかわかるよ、」
「ええ、」

 ちょっと嫌そうなのを無視する。

「すーこーやーかーけーなーげ、」
「す、すーこーやーかー?」

 声にあわせて振動するのが面白くて、雲雀は、一度は起こした顔を、また沢田の腹にべったりとつけた。重いのか、後を追う声は少し苦しそうになる。

「そう。そこは大丈夫。けーなーげ、」
「けーなーげー?」

 不安定に半音を行ったり来たりする。沢田は音痴なのではなくて、校歌を正しく覚えてないから歌えないのじゃないか、と雲雀は思う。だって、沢田の機嫌がいいと時々聞こえてくる、彼の好きな歌謡曲の鼻歌なんて、うまいものだ。

「けー、」
「けー?」
「なー、」
「な、なー、」
「げー。」
「げー、」

 うん、と雲雀はへその上あたりに顔を埋めたまま頷いた。沢田が、あんまり動かないでくださいよ、くすぐったいから、と嫌そうに言うのを、やっぱり無視する。

「すーこーやーかーけーなーげ、」
「すーこーやーかーけーなーげー?」

 ぴたりと五線譜にはまった歌声に、雲雀は満足する。

「そう。」

 すると、顔を乗せている沢田の腹がぴくりと動いた。笑ったのだ。

「なに?」
「くすぐったかったんです。」

 沢田はそう言うが、本当のところ、そう、と言った雲雀があんまりにも無邪気に嬉しそうだったので、可愛いなぁ、と思って笑ったのだった。それ以上訊かれる前に、沢田は自分から違う話題をふった。

「雲雀さん、どんな時でも校歌なら聞こえるって、本当なんですね。」
「何それ。」

 雲雀はようやく、のそのそと起き上がって、足もとのシーツの波の間に埋もれていたQoo(とってもアップル)の500mlペットボトルを足指でつかんで引き寄せると、半分くらい一気に飲んだ。

「いる?」
「ください。」

 沢田も飲んで、ペットボトルは空になる。雲雀は沢田の手からそれを取り上げると、自分が持ったままだったキャップを閉めて床に落とした。こん、と気の抜けた音がする。

「……雲雀さんでも、そういうこと、するんだ、」

 びっくり目の沢田が、その大きな目で雲雀を見つめて、なぜか感動したように言うので、雲雀は、ペットボトルを取るときにも足で取ったりとか、そもそも、ぱんつ一丁のままで過ごしていたりだとか、今日の、自分の横着さが急に恥ずかしくなって、ぷい、と横を向いた。

「最初から風紀の乱れている場所に、秩序を持ち込んだって意味ないじゃない。」

 すると、沢田は、頭をかきながら、えへへ、とだらしなく笑った。

「何かちょっと安心しました。雲雀さんて、どんなときでもきちんとしてるのかと思って。」
「……君の部屋は、もうちょっと片付けた方がいいと思うけど。」

 そこここにカオスが存在する沢田の部屋を思い浮かべて、半眼になった雲雀が言うと、沢田はうっとつまる。しかし雲雀は、まあいいけど、と言ってそれ以上は追及せず、それよりも先ほどから気になっていることを訊いた。

「さっきの、僕が校歌がどうこう、って言ってたの、何?」

 沢田は、自分に都合の悪い話題が変わったのに明らかな喜色を見せて、ああ、と頷いた。

「このまえ、草壁さんに、雲雀さんが、考え事していて呼んでも気づかない時とか、お腹の上で寝ちゃって重い時とか、気づいてもらう安全な方法はないですかねって話したら、」
「このまえって、いつ?」

 急に不機嫌になった雲雀が、嫉妬をにじませた鋭い口調で沢田の話に割って入る。沢田は気にしている様子もない。

「先週……先々週かな、休み時間にうちの教室の前の廊下、草壁さんが通りかかって、挨拶してくれたんで、ついでに話を、」
「君たち、そんな、ちょっと立ち話するような間柄なの?」
「草壁さんって、オレ怖い人なのかと思ってたけど、話してみると、」
「君と草壁が、何の話をするっていうの、」

 話をさえぎってばかりいる雲雀に、沢田は、しょうがないなぁ、という顔をする。雲雀はふくれた。

「オレと、草壁さんの、共通の話題なんて、雲雀さんのこと以外に何があるっていうんです。」

 オレと雲雀さんがお付き合いしてるから、草壁さんがいろいろ気を遣ってくれるんじゃないですか、と、沢田がまるで、夫の同僚と仲良くしている妻のようなことを言う。むう、と雲雀は唸った。

「雲雀さんは校歌が好きだし、着メロにもしてるから、校歌歌ったらきっと気がつくんじゃないかって。ほんとにそうでしたね。」

 ふふふ、と笑う。沢田と草壁が知らない間に親しくなっていたことも、草壁が沢田に要らない入れ知恵をしたことも、気に入らなかったが、雲雀は何より、草壁の言うとおり、校歌が聞こえる、と思って起きてしまった自分に一番苛立つのだった。

「雲雀さん、怒ってるんですか?それとも、やきもちやいてるんですか?」

 両方だが、そんなこと素直に答えるつもりはもちろんない。

「ねぇ雲雀さん、こっち向いてください。返事してくれないんですか?」

 沢田の口調には少しのからかいが含まれているように思えた。雲雀はますますつんとする。つんとしたところで、手錠で繋がっているのだから、せいぜい顔を背けるくらいで、あぐらをかいた沢田の膝こぞうが、雲雀の腰に触っているくらいの距離にいるのだが。

「……みーどーり たなーびくー なーみーもーりーのー」

 むき出しの肩にぺとりと体温が触れる。雲雀にもたれかかった沢田が、小さな声で校歌を歌いだす。雲雀は肩越しにちらりと様子を伺ったが、沢田はあさってのほうを向いていて、横顔しか見えない。

「だーいなーくー しょうーなくー なーみーがー いいー」

 今度は沢田が、ちらりと雲雀の様子を伺った。目が合って、雲雀はぱっと顔を背けて、口をへの字にした。頬が少し赤くなっている。

「いーつもー かわーらぬー、」

 沢田はそこで少し、間を空ける。さっき、雲雀が、「音程が違う」と言ったところだ。顔を覗き込むようにされて、雲雀は小さくため息をついた。

「すーこーやーかーけーなーげー」
「すーこーやーかーけーなーげ、」

 ついに降参して、一緒に歌ってやると、沢田は花がほころぶように笑った。愛らしい。

「「あーあー ともにうーたおー なーみーもーりちゅー」」

「あってましたか?」
「……あってたよ。」

 よかった、と沢田は笑った。そしてまた、やっぱり草壁さんの、と言いかけたので(言うとおり、とでも続けようとしたのだろう)、雲雀は、沢田をシーツの上に引き倒して、その忌々しい口を自分の口でふさいでやった。






2009年6月22日