「雲雀さんて、校歌、並中の校歌だから好きなんですか?それとも、校歌自体が好きなんですか?」
少し赤くなって濡れた、沢田の唇が動く。親指で拭ってやる。今度の質問は、雲雀も素直に答えられる種類のものだった。
「もちろん、並中の校歌だから。最初はそうだった。」
さいしょは?と首をかしげる沢田の上から退いて、隣に寝転ぶ。
「けど、毎日聴いて、歌って、集会で指導してるうちに、歌そのものも好きになった。」
「へえ、」
興味しんしんで相づちを打って、沢田が、えへへ、と笑う。
「オレも、毎日歌ったら校歌好きになるのかな、」
「なるよ。今日から一日三十分歌いな。」
「そんなに歌ったら、かえって嫌いになりそうですよ」
「試してみなけりゃわからないよ。休みが明けたら、毎日君のところで、鳥に三十分歌わせよう。」
「ぎゃあ、雲雀さんほんとにやりそう!」
言いながら、沢田は、手の届くところにあったポッキーの箱を開けて、中身を取り出した。まず雲雀の口に一本押し込んで、自分も一本くわえる。落としもせずに、唇だけで端から食べる。普段は不器用なくせに、変なところで器用だ。
「……何か、こんな、普通の話って、あんまりしたことない気がする、」
三分の一ほどの長さになったポッキーを、行儀悪く唇の端にくわえたまま、沢田が言う。声にあわせて、チョコレートのかかってないプレッツェルの部分が、雲雀の視界の隅でちらちらと動く。気になって、雲雀はそれを引っこ抜くと、自分の口に放り込んだ。沢田が、あ、と言う。
「普通の話?」
咀嚼して飲み下して、雲雀が尋ねかえす。沢田は二本目の菓子を取り出して、また口にくわえたまま答えようとする。ちらちらと動く。やっぱり気になった雲雀はそれを指で挟んで止めた。雲雀の言わんとすることにやっと気づいた沢田が、行儀悪かったですね、と言って一口だけかじって右手に持った。
「普通って言うか、雑談みたいな……好きな人の、好きなこととかものとかって、基本だとオレは思うけど、今、オレ、雲雀さんが校歌をどうして、どういう風に好きかって、そもそも、ほんとに好きなのかどうかも、知らなかったんだなぁって。」
雲雀は、考え込むように、基本、と呟いた。
「小さな頃とか、好きな人に、好きな食べ物はなんですか、とかってお手紙渡したりしませんでしたか?」
いまいちぴんと来ない様子の雲雀に、沢田が例えを上げてみる。沢田自身も、その昔、大好きだった保母さんに誤字だらけの手紙を渡したことがあったのだったが、沢田家では今、イーピンが日本語を覚え始めて、練習を兼ね、漢字を書きなれた小さな手でぎこちないひらがなを綴り、家の者に手紙をくれるのである。内容は、ままんのすきなてれびはなんですか、とか、びあんきさんのすきな色はなに色ですか、とか、他愛ないものだが、相手のことをもっと知りたい、という単純で、それゆえに純粋な好意にあふれている。しかし、雲雀はますます、わからない、と言う顔をした。
「そんなこと訊いてどうするの。……貢ぐの?」
あー、と沢田が少し遠い目になった。この人はそういう人だった、と思い出した。そして、オレの好きなことや好きなものにも興味を持ってくれないのかな、と思って少し落ち込んだ。イーピンはそのうち、沢田の部屋へやって来る雲雀にもお手紙を渡そうとするだろう。傷つくようなことがないようにしなければ、とポッキーをもてあそびながら、早くも状況をシミュレートしていたが、しばらく考えていた雲雀は、自分で答えを導き出した。
「うん、いや、……何かちょっとわかった。沢田の好きな食べ物。……確かに気になるよ、君が時々鼻歌で歌ってる歌が、君の好きな歌なんだろうって気づいた時は嬉しかった、そういうことか。」
それを聞いた沢田は、嬉しくなってにっこりした。
雲雀も、沢田も、誰かと恋人としてお付き合いする、というのは初めての経験だったが、さらに雲雀は、人と人との関係に関するさまざまなことが、初めての経験だった。興味、好意、嫌悪、嫉妬、独占欲、対抗心、庇護欲、甘え、対人関係のほとんどを沢田ひとりに集約している。しかし、それを、「重い」と感じるなんて思いつきもしない様子で、にこにこと機嫌よくしている沢田は、確かに、マフィアのボス、大空たる器を持っているようだった。当人たちは気づいていなかったが。
「じゃあ、つなつなインタビューです。オレの好きな食べ物はハンバーグですけど、雲雀さんの好きな食べ物は?」
沢田がふざけて、雲雀に向かって、マイクを向けるようにポッキーを突き出す。ところが、返事がない。何か変なことを言っただろうかと、首をかしげて様子を伺うと、雲雀は何故かぽかんとしていた。といっても、沢田と草壁くらいにしかわからない、目と唇の微妙な変化だけの「ぽかん」である。
「えと、ハンバーグ好きって、変ですか?子供っぽいかな、」
黙っている雲雀に重ねて言うと、はっとした様子で慌てて首を振った。
「変じゃない。……僕も、好きだから。君が知ってたのかと思って、驚いた。」
「え、」
今度は沢田がぽかんとした。
「雲雀さんが?ハンバーグ?好きなんですか、」
驚いたので、割と失礼な言い方になった。
「……悪い?」
ちょっと照れて、そしてむっとして、唇を尖らせた雲雀に、今度は沢田が慌てて弁解する。
「悪いとかじゃなくて、意外だったから、びっくりしたんです。雲雀さんて、和食とか、何か、料亭?で食べるみたいな料理が好きなのかと思って、」
「和食も好きだけれど。……何か、君が僕をどう思ってるのか、よくわかった、今ので」
「べ、別に、接待とか、黒い取引とか、思ってないですよ!」
語るに落ちた。
「………………、」
沢田は、おしおきとして、あばらを散々に咬まれた。痛いやらくすぐったいやらで大変な騒ぎだった。
「ひっ、ひばりさん、は、せ、せい、せいれんけっぱく、な、なみもりのちつじょ、で、す。」
「よろしい。」
ウム、と頷いた雲雀は、ぐしゃぐしゃになった沢田の髪をもさもさとかきわけて、涙のにじむ目尻にキスした。
「こ、こういうの、調教、っていうんでしょう、」
「……君は自分が何を言ってるか、わかっているのかい、」
脱力した雲雀は、むしろ調教されているのは自分の方だ、と思ったが、口にはしなかった。
2009年7月12日
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