いつかのやりなおしのように、沢田と雲雀は、ベッドの上で並んでうつ伏せになって、同じ絵本をのぞき込む。続きからではなくて、またはじめから読んでいるので、また長い時間がかかっている。

 沢田は喉を湿らすために、途中で何度かお茶を飲んだ。つっかえつっかえ、やはり読むのは下手だけれど、精一杯、ていねいに、聞いていて少しでも楽しいように、できるだけ感情を込めて読んでいる。照れた頬は上気して、雲雀は半ばうっとりと、耳からも目からも沢田を取り込むように、意識を集中させた。誰にも邪魔されない、今日だけは雲雀だけの沢田。

「じゆうでなければ、わたしは、うたえないのです。うたえなければ、死んでしまいます」と、ウグイスはいいました。

 物語は終盤に差し掛かっている。小さなお姫様が閉じ込めた小鳥は、死にそうになって、お姫様の手の中でぐったりしている。読んでいる沢田の眉尻はすっかり下がってしまって、雲雀は、ぺた、と沢田のほっぺたに自分のほっぺたをくっつけた。沢田と付き合うまで、雲雀は知りもしなかったが、(好きな人との)接触は心をいやすものだ。だから、絵本の中の出来事に胸を痛めているらしい沢田の心が慰められるように、雲雀はすりすりと沢田に頬ずりした。ところが、沢田はますます悲しそうになった。雲雀はうろたえた。沢田は朗読を続けている。

「おまえをかごのなかにいれたのは、おまえがすきで、わたしひとりのものにしておきたかったからなのよ。でも、それじゃ、死んでしまうなんて、おもいもかけなかったわ。さあ、いくといいわ。……

 鳥かごから解放した小鳥が、再訪を約束して空に飛び立ってしまい、それを見送ったお姫様がわっと泣き出してしまうところまでくると、沢田は、ついに、朗読を中断して、目を伏せてしまった。雲雀は慌てて、頬ずりだけではだめなのかと、手錠で繋がれた手を、指を絡めて繋いだり、こめかみや前髪の辺りをそっとついばんだりしてみたが、沢田は顔を上げない。

「どうしたの……そんなにこの話が悲しいの、」

 ふるふると首を横に振った沢田は、絵本を押しやると、いい加減薄汚れたシーツに顔を伏せてしまった。

「違うんです、オレ、」

 シーツに押し付けられた、くぐもった声が聞こえる。聞き取りづらくて、雲雀もシーツに顔をつけた。横を向いて、落ちかかった髪に隠された沢田の顔を、覗き込むようにする。

「オレ、さいしょにこの本、読んだとき、自分のこと言われてるみたいだと思った……」

 雲雀はどきりとして、思わず口をつぐんだ。雲雀には、自分は沢田を鳥かごに入れるように束縛しているのではないか、という疑念があったからだ。沢田はそれには気づかず、顔を伏せたまま続ける。

「雲雀さんは、自由じゃなきゃ、死んじゃうのに。自由じゃなきゃ、雲雀さんじゃないのに。オレは、部屋の窓開けて、待ってて、それがさびしいなんて。窓から訪ねてきてくれた雲雀さんが、帰らなければいいって、いつも。このあいだ、本読んだ時だって、ランボが泣いてる間に雲雀さん帰っちゃうから、ランボがいなければよかった、なんて、」

 雲雀の胸はどんどんと早く打った。緊張しているみたいに手が震えた。雲雀は、自分ばっかりが沢田を束縛したがって、我慢のきかないことだ、と自嘲していたけれど、つまり、沢田も全く同じように思っていたのだった。ここへ来てすぐ、雲雀に、幼く、けれど執拗な、みだらがましい愛撫をした時の、沢田の顔を思い出した。沢田だって、雲雀を独占したいと思っているのだ。雲雀が、自分の思いだけにいっぱいいっぱいで、気づけずにいただけで。

「でもオレ、十年後に行って、雲雀さんがボンゴレにいないから。違う組織の人だって、別行動してるって聞いて、十年後まで、オレは、雲雀さんを閉じ込めずにいられたんだって、バカなことしなかったんだって、安心した。でも、悲しかった……」

 その時、雲雀の中で、何か革命のようなものが起こった。雲雀だけが、沢田だけが、強く執着しすぎているということはないのだ。自分が思った分だけ、相手も思っているのだ。同じだけの愛を持って、お互いに思っていることは、多分ものすごく幸せなことのはずだと雲雀は思った。だから沢田にも、顔を上げて欲しかった。

「ばかだね、君は、そんなこと考えていたの、」

 それに気づかなかった自分もばかだけど、と雲雀は心の中だけで言った。

「だいたいね、今、繋がれて閉じ込められているのは、君のほうじゃない。」

 わざとちゃりちゃりと手錠の鎖を鳴らして、それから反対の手を、シーツと沢田の顔の間にそっと差し入れて、雲雀に出来得る限り優しく、頬を撫でた。そこが濡れていないことに安堵した。

「……今日だけ、でしょう、」

 ゆっくりと顔を上げた沢田の頬は赤く、小さく呟いてから、しまった、言うはずじゃなかったのに、という顔をした。もうたまらなくなって雲雀は、沢田にぎゅっと抱きついた。腕だけでは足りなくて、脚も絡めた。

「ずっと閉じ込められたい?」

 耳元でそう訊くと、沢田はびくりとして首をすくめたが、腕はおずおずと抱き返してきた。

「わからない、です。絶対に実現しないとわかってるから、そう思うのかも、」

 返答は正直だった。雲雀は頷いた。

「……あのね、沢田は、束縛したがっているのは姫の方だけと思っているかもしれないけど。ウグイスを空に放してから、姫は毎日、窓を開けて、自分の部屋でウグイスが来るのを待っていたんだろう、」

 まだ、もっと、隙間なく密着できるのではないかと、もぞもぞと動くと、沢田が応えるように身体の位置を変えた。ぴったりと胸を合わせる。手錠の腕は、二人とも、変な風にねじれて痛かったけれど、そんなことは些細なことだった。

「そうしたら、姫を縛っているのはウグイスだって同じことじゃないか。ウグイスは、必ずここに帰る、と言う事で、姫を宮殿に閉じ込めたんだ。」

 沢田は目をぱちくりさせた。それは雲雀には見えなかったが、息を呑んだようなのが、雰囲気でわかった。

 雲雀には、十年後の自分なんて、他人のようで、何を考えているんだか、知ったことではなかったが、沢田の、ボンゴレのアジトと、雲雀の、風紀の根城が、隣り合っていると知ったとき、十年後も変わらず浅ましいことだ、と鼻で笑ったものだ。不可侵などと、白々しい。つかず離れずの距離は、物理的な束縛なしに、沢田を繋ぎ止める手段だ。少なくとも、「今」の雲雀はそう思った。小狡い駆け引きだと。

「君だってそうだ。僕が来るかもしれないと思っているから、山本武や獄寺隼人や、三浦ハルやクローム髑髏や、君が言うところの「友達」と、夜遊びもしないで、あの部屋で、窓を開けて待ってる。僕が、待たせてる。」

 十年後も、沢田は、あの扉が開かないかもしれない、開くかもしれない、と思いながら、あのアジトで仕事をしているのだ。

「……オレは雲雀さんが好きで、雲雀さんもオレを好きでいてくれるのに、どうしてそれだけじゃ、満足できないと思うことがあるんでしょうか、」

 沢田の呟きに、雲雀は、わからない、と首を横に振った。でも、と言いながら少し身体を離すと、沢田が、二人の間に出来た空間を嫌がる素振りを見せる。それに少し笑って、あごに手を掛けると顔を近付けた。

「満足できないと思うことがあるから、ずっと一緒にいられるんじゃない、」

 目を開けたまま唇を合わせて、ううん、と考え込むような顔をした沢田はしかし、それに関しては何も言わず、もういっかいしてください、と雲雀の眼を見て言った。否やのあるはずもない。

「ん、……もういっかい、」
「もっと、」
「ひばりさん、は、ふ、もっと、して、」

 やがて、ぱたん、と軽い音を立てて、絵本が床に落ちた。けれど二人とも、それには気づかなかった。






絵本=「九月姫とウグイス」(文:サマセット・モーム 訳:光吉 夏弥 絵:武井 武雄 岩波書店 初版1954年)(ものすごいひばつな絵本)
2009年7月26日