「うあああぁ!!」
やけくそのように叫び声を上げながら、椅子を振り上げて果敢にも向かってくる中年男の、顎をトンファーで砕く。同時に、ぱしっ、と詰まったような音がして、随分とあさっての方向に銃弾が走った。後ろにいる経営者が、男を隠れ蓑にして撃ったのだ。サイレンサーをつけているようだが、そのせいで命中精度が下がっている。ばかじゃないの、と雲雀は内心で吐き捨てる。
「ちゃんと狙いなよ、何のための銃なの。」
日本に、実弾がこめられた銃を見て、さらに威嚇とはいえ発砲されて、動揺しない中学生、というか、人間は、あまりいない。そこでやっと、この二人がどうも素人でない、ということに気づいたらしい経営者は、何なんだこいつら、と上擦った声で言った。
「知らないのか、」
「ガサ入れのときは、従業員しかいなかったからね」
雲雀の顔を覚えてないのかと、驚いたように呟いた沢田に、雲雀は説明してやる。いくら三下のチンピラ風情と言えど、そこまでかわいそうな脳ではないだろう。
「まさかお前ら、風紀……」
「オレは違う。」
「……そんな間髪入れずに否定しなくてもいいじゃない、」
きっぱり言い切った沢田に顔をしかめながら、雲雀は残り二人になった男たちを見る。ホスト風の若い男と、経営者。外の二人は内部の異常を察して、仲間を見捨てて運搬用の車で逃げたようだ。何のために来たのやら、嫌々ついてきただけなのかもしれない。経営者はまだ銃を構え、一人残った若い男のかげに隠れるようにして、さっき沢田が吹っ飛ばしたのとは別の事務机の下にある、鍵付きのワゴンの前に立っている。ふん、と顎に手をやる。人間、大事だと思うものが危険にさらされると、それを守るように立ってしまうものである。経営者の前に立っているホスト風の男然り、背中合わせに立っている雲雀と沢田も然り。つまり、あのワゴンの引き出しに入っているのが、危険を冒してまで、経営者が取り戻したかったもののわけだ。雲雀は舌なめずりした。
じゃきん、と雲雀が仕込みトンファーを構える時と似た音がして、ホスト風の男が何かを構える。
「わお、」
口笛でも吹くように、雲雀が言う。ごついシルバーリングをつけた手から伸びるのは、特殊警棒だ。ばち、と火花の音がする。
「そんなものをおもちゃにしてるってことは、君、少しは腕に覚えがあるのかい、」
嬉しさを隠さずに言えば、沢田が繋いだ手をぎゅう、と握った。炎が大きくなって、ぷい、と横を向く。
「……浮気者、」
ぽつん、と呟かれて、雲雀は思わずにやけた。沢田には珍しい、わかりやすい嫉妬である。
「ひどい誤解だね」
「どうだか、」
手錠をたぐるようにして、向かい合わせに立とうとしたが、沢田は拗ねてしまって、こちらを向こうとしない。
「沢田、こっち向いてよ、淋しい」
「そんなこと、思ってもないくせに、よく言う」
いきなり、痴話げんかというか、いちゃつき出した少年二人を、侵入者はぽかんとして見ていたが、警棒を構えた男はすぐに我に返り、顔を真っ赤にしてわめいた。
「バカにしてんのか!」
「むしろ、バカにしない理由がない、」
沢田に視線を固定したまま、雲雀が言い捨てると、激昂した男はわけのわからないことをわめきながら向かってきた。嬉々として振った雲雀のトンファーはしかし、男の警棒にかすりもしなかった。
「だめ。」
ちょっと過剰なんじゃないかと思うほどの、橙色の炎がホスト風の男も経営者も一緒くたに、問答無用で押し流して壁に叩き付けたのだった。折り重なって崩れ落ちる。まあ、死んではいないだろう、といった風である。
「雲雀さんは相手しちゃだめっ」
「っと、」
額の炎を消した沢田はむくれている。空振りになった雲雀は、当然、たたらを踏んでつんのめった。ぐん、と手錠の鎖が引っ張られる。
「……あ、」
結果、荷重のかかった鎖は、ぷつんと切れて落ちた。そのまま、手錠自体が、砂糖菓子のようにほろほろと崩壊してゆく。沢田の死ぬ気の炎に耐えられなかったのだ。
「手錠、壊れちゃっ……っ、」
頬を真っ赤にした沢田の目に、あっという間にきらきらと涙が溜まって、それはすぐにまつげを決壊させて、いくつもいくつも雫が転がり落ちた。雲雀は仰天して、慌ててトンファーをしまうと、自由になった両手で、ひっくひっくと子供のようにしゃくりあげている沢田を抱き寄せた。
「はなれちゃ、てじょう、おれ、……きょ、きょうは、っ、つ、付き合ってはじめて、の、ひばりさん、のっ、ん、じょうび、ちゃんとっ、おいわい、したか、」
拭っても拭っても、涙はあふれてくる。雲雀はとりあえず、要領を得ない沢田の話を、うん、うん、と相づちを打ちながら、黙って聞いた。
「お、オレっ、ひばり、さん、の、してっ、ほし、こと、なんでも、……っ」
「うん、してくれたね、ありがとう」
雲雀はそう言ったが、沢田は、うううん、と、むずかるように激しく首を左右に振った。
「いちにちって、いった、のに、あと、っさんじかん、……さいごまで、できな、か、」
「……そんなの、」
疲れて寝不足気味で(その理由については述べるまでもない)、食事も三食きちんととっていないところへ、不測の事態になって、昂った感情がコントロールできないのだろう。あとはもう、うえうえと嗚咽と共に涙をこぼす沢田になんと言ったものか、迷った雲雀はぐずる沢田を、よっこいしょ、と抱え上げ、手近な事務机に座らせた。そうすると、雲雀よりも少し、頭の位置が高くなる。床に転がっていたボックスティッシュを拾い上げて、涙を拭いて鼻をかませると、まだひくひくと震えてはいたが、すん、と鼻を鳴らしてとりあえず泣き止んだ。座っている沢田の膝を挟んで机に手をついて、下から覗き込むように、こつ、と額をつける。
「僕の誕生日、祝ってくれてありがとう。」
雲雀だって、話すことは上手くない。聞いて欲しいことを並べるだけしかできないのだけれど、齟齬がなく沢田に届けばいいと思う。
「嬉しかった。」
囁くように言うと、せっかく止まった涙がまたにじんできて、でも、でも、と繰り返す。その唇に、ひた、と手を当てた。雲雀の、掴むとか、殴るとか、蹴るとか、そういう暴力以外の、ただ触れたりだとか、抱きしめたりだとか、つっついたりだとか、優しい接触は、今のところ、ほぼ、沢田にしか向けられたことがない。
「今まで、こんなに誕生日を楽しみにしたこと、なかった。祝われて嬉しいと思ったのも、初めてだった。」
雲雀の手の下で、ほんとに?と唇が動く。頷いて見せると、長いまつげから涙を払うように、沢田はぱちぱちと瞬きした。
「今日はずっと良い気分で、」
そこで言葉を切って、ふふ、と笑う。
「気持ちも良かった。」
雲雀の満足そうな顔を見て、沢田はやっと、頬をピンクにしてはにかむように笑った。ころりと転げ落ちた最後の涙を、そっと指でぬぐってやる。
「オレ、かんしゃく、起こしちゃって、恥ずかしい……ごめんなさい、」
「いや、珍しいもの見れた。」
からかうと、赤くなってちょっとふくれる、その頬をふにふにと撫でる。雲雀の心には今、沢田のことに関して、いまだかつてない余裕があった。雲雀が、誕生日に沢田の一日をもらう、と言ったのは、単に、一日くらい何にも邪魔されずにゆっくりいちゃつきたい、というくらいの思い付きだったのだけれど、それ以上に、今日沢田からもらったものはたくさんあって、雲雀は、寝食を共にする、ということの威力を思い知った。
「本当に、誕生日プレゼント、これにしてもらってよかった」
ゆるくカーブした、まだまだ発展途上の背に、そっと両手をまわして懐きながらうっとりと雲雀が言うと、沢田も、雲雀のつむじの辺りに頬を押し当てた。
「オレも、雲雀さんの誕生日なのに、楽しんじゃいました…………ええと、その、気持ちも、良かった、です。」
最後の方は蚊の鳴くような声で、雲雀の目の高さにある首筋のあたりが、見る間に赤く染まるものだから、鎖骨に額をつけて、くっくっと笑っていると、沢田はあごで、ごっつんごっつんと雲雀の頭を攻撃した。
「まだ時間あるから、もう一回言わせてください。……雲雀さん、誕生日、おめでとうございます。雲雀さんが生まれてきてくれて、嬉しいです。」
「ありがとう、」
心のこもった祝辞の返礼に、キスしようとすると、いきなり、カッと目を見開いた沢田が、机に腰掛けた上半身をねじって避けたので、雲雀はちょっと傷ついた。
「さわ、」
「うりゃあ!!」
しかし沢田はすぐにぐるんと振り向いて、そして、両手に抱えた何かを、雲雀の肩越しに、雲雀の背後へ投げつけた。
「沢田?」
がしゃんどったん、と重い音がする。気を失ってぐんにゃりした人体が、床に倒れる音。雲雀には馴染み深い音なので、見ずともわかる。
「………………、」
座ったまま、雲雀の後ろを見据えて、肩で息をしている沢田はすごい形相で、いまにも、がるるる、と唸り声を上げそうである。今のはキスを避けたのではなく、とっさに投げつけるものを探したのだ。では、何に何を投げつけたのか。雲雀はゆっくり後ろを振り返った。
「…………わお、」
そこには、超死ぬ気の沢田に一瞬で三発食らって昏倒したはずの禿げたデブが、卓上用のグレーの書類入れ(スチール製・5段・A4サイズ)を顔面にめり込ませて、倒れていた。気絶から覚めて再び襲ってきたのを、再び沢田に瞬殺されたのだ。
「うーん、気付かなかった。やっぱり色ボケしてるのかな、」
ぼやく雲雀は、ぼやいているのにどこか嬉しそうである。
「雲雀さんが気づかないときは、オレが気づくんだからいいんです……オレ、死ぬ気にならなくても、やれました!」
「うん、よく殺ったね、」
鼻息の荒い沢田に、さらりと物騒な相づちを打って、よしよしと頭を撫でる。まだ、死ぬ気の炎の威力に頼っているところはあるが、雲雀の恋人はそのうちに、もっと強くなって、先ほどのように、背中を預けて闘うこともあるだろう。これから先、そうしてずっと一緒にいることを、今の雲雀は疑わない。
「あ、」
仕切りなおして、もう一度キスしようとすると、唇が触れる直前、沢田がぱちっと目を開けた。今度は何だ、と気配を探ってみるが、何もない。
「さわだ、」
「雲雀さん、さっきの、馬がだめなら、豆腐の角に頭ぶつけて死ね、っていうのは?」
目を輝かせた沢田は、また、禿げたデブを見ている。確かに、白っぽい四角の書類入れは、豆腐のように見えなくもないが。
「それは良い考えだ、」
雲雀は、沢田の意見に早口で同意すると、これ以上邪魔をされないように、すばやく口付けた。沢田は、ようやくおとなしく目を閉じた。
雲雀と沢田の恋には、邪魔が入ってばかりである。それは獄寺隼人だったり、山本武だったり、沢田家の子供たちや、ヒットマンの赤ん坊、しょっちゅう起こる事件だとか、雲雀や沢田自身だったりもする。けれど。
少しくらいの障害が、何するものぞ。恐れるものなど、何もない。なぜなら、愛の前には、全てが無力なのである。
これで終わりです!
(あと、おまけというか、後日談のようなものがちょっとあります。)
3ヶ月もの間、お付き合いくださってありがとうございました!!
テーマは『雲雀さんをとことん幸せにしよう(ひばつな的な意味で)』でした。
2009年8月11日
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