放課後である。

 会話の微妙な途切れ具合から言って、沢田はきっとここへ尋ねてくるだろう。雲雀は、草壁や他の風紀委員をさっさと帰してやり、用もなく学校に居残っている生徒たちを咬み殺しに行くでもなく、応接室で茶菓子の支度をして待っていた。風紀委員への貢物の中から、カットしたパウンドケーキの詰め合わせを選び、皿に盛る。ガス台のやかんは沸騰する直前で火を止め、すぐに用意できるようにしておく。普段は草壁か、それこそ沢田に、まかせっきりにしているが、自分のためにそれらをするのは面倒だからしない、というだけで、別にやろうと思えばできる。特に、菓子を出してやれば沢田が喜ぶだろう、と思えば。

 はたして、いつも通り、ゆっくりしたノックが三回。

「入りなよ。」

 名乗るのを待つでもなく、先に声をかけてやれば、こらえきれない、というようなくすくす笑いと一緒に、跳ねた茶色の頭が見えた。雲雀は、まあ客観的に見れば、でれでれしている、と言われても仕方のない顔で迎えた。何しろ、幸せなのだ。沢田が、雲雀の顔を見れば、ぎゃあ!だのヒイ!だの、悲鳴を上げて真っ青な顔をしたのは、そんなに昔のことではない。それが今では、雲雀を見て駆け寄って(早歩きで)きたり、ノックだけで誰かわかってやれば、こんなに嬉しそうに笑ってくれる。でれでれするなと言う方が、無理な話だ。たぶん。

「失礼します!」

 ぴょこ、と扉の影から顔を覗かせて、沢田が入ってくる。でれでれしているのは、雲雀だけではない。普段は、規格外ばかり揃った仲間内で一人ツッコミを担当し、いまどきの子供らしい冷めた視線で、半眼になったり、引きつり笑いをしていることの多い沢田が、雲雀になら、何を言われても、何をされても、嬉しくて仕方がないと言った様子で、くすくす、きゃあきゃあと笑っている。

「雲雀さん、お仕事は?」
「今のところ、ないよ」

 ぱっと駆け寄ってくる。給湯設備の前に立つ、雲雀の手もとを覗き込む。ふわふわの髪が鼻先を掠めて、甘いようなシャンプーの匂いがする。

「あ、それ、『伊藤製菓舗』のパウンドケーキ!」

 沢田の頭の中では漢字変換できていないのだろう。いとーせーかほ、とちょっと変なイントネーションの興奮した声に、雲雀は首をかしげた。

「貢物だからよく知らないんだけど。……伊藤って、商店街の和菓子屋じゃないの?」
「そうなんですけど、東京のお店で働いてた、パティシエの息子さんが、先月帰ってきて、それで洋菓子もちょっとだけ、始めたんです。デパ地下にも負けてないって、母さんとビアンキが騒いでました。」

 雲雀が並盛の商店について詳しいのは、従業員数とか、貸し店舗か持ち店舗かとか、年商とか、そういうことで、世間で囁かれている噂話だとか家族構成だとかいうものは、何かトラブルでもなければ知ることもない。

「ふうん……東京ね。並盛商店街の評判を高めてくれるのなら、歓迎するけれど。」

 雲雀らしい物言いに、沢田が笑う。

「おととい会ったら、ハルももう知ってましたよ。母さんといい、どこで聞いてくるんでしょうね。」

 女性の情報網など雲雀の知識の埒外だが、この菓子で沢田がそんなに喜ぶのなら良いことだ。これを寄越したのは教頭だったか、地元に目配りが効いているのは評価してやってもいい。ナッツやフルーツがたくさん入ったパウンドケーキに合うように、紅茶を少し濃い目に淹れながら、雲雀はそんなことを考える。

 確かに、パウンドケーキはおいしかった。干したいちぢくと、くるみと、栗の甘露煮が、洋酒の香りに引き立てられて、ナッツの粉と一緒に、口の中に崩れて消える。そして、おいしいものを食べている沢田は幸せそうで、それを見ているのが、雲雀には楽しい。

「おいしいです!ね、雲雀さん」
「うん、そうだね。違う味のもあるみたいだけど、食べる?」
「いいんですか?えーと、どれにしよう…………じゃなくて!」

 沢田は、くちびるの右上あたりにケーキのかけらをくっつけたまま、宙に向かって裏拳を繰り出した。雲雀はその食べかすを取ってやって自分の口に入れながら、ん?和菓子の方がいい?とわざと訊いた。

「あっ、こっちの方がいいです、ってだからそうじゃなくて!雲雀さん、わかってて言ってるでしょ、もう」

 赤い頬を膨らませる。沢田は怒っていると可愛らしい(と雲雀は思っている)ので、ついからかってしまう。

「うん。それで?僕の誕生日?」
「……そうなんですけど!」

 ぷうぷうとよく膨らむほっぺたに触りたいけれど、今触ったらもっと怒るだろう、と思って、沢田に向かいたがる手をごまかして、紅茶のお代わりを注ぐ。ぬるくなったお茶を、沢田はごくごくと飲む。ぷは、と飲み干すと、そのままカップを指先で握りしめた。

「ええと、それで、その、オレ、誕生日に、雲雀さんが喜びそうなこと、何かないか考えたんです。」

 この様子だと、相当悩んだのだろう。それだけで雲雀はもう喜んでいるのだけれど、それは黙っておく。

「でも、これ!ていうものがなかなか思いつかなくて……だからもういっそ、雲雀さんに何がい」

 廊下で話したときよりも、ほんのちょっと話が進んだところで、どがしゃーん、と凄まじい破壊音がして、窓ガラスが吹っ飛んだ。

「ぎゃああ、な、何!?なんですかっ、ごくでらくんっ!?リボーン!?学校だからランボじゃないよね!?」
「沢田、誰のことをどう思ってるかだだ漏れだよ。」

 てんてんてん、と転がるのは、泥まみれの野球ボール。窓ガラスを吹っ飛ばした直接の犯人だ。では、それをここへ打ち込んだ、間接の犯人はと言うと、全く無関係の野球部員が、全くの偶然で、この応接室へ硬球を叩き込んだとは、考えにくい。雲雀は、ガラスの破片の盾にした学ランをさっと払うと、ソファを立ってボールを拾った。上履きの底が、ぱりぱりと音を立てる。

「ひっ、雲雀さん、踏んだら危ないですよ!今、ほうき、持ってきますから」

 雲雀の履物には全て、ケプラーの中敷が入っているので、こんな、窓ガラスの破片くらいで踏み抜いたりはしないが、雲雀は沢田に心配されるのがとても好きなので、黙っている。給湯スペースの奥にある掃除道具入れから、ほうきとちりとりを持ってきて、沢田は、はらはらしながら雲雀の方を見る。それでようやく満足して、ガラスの破片が落ちていないところまで戻ってきた。

「あ、野球のボール。」

 沢田は雲雀が手にしているものを見て、いまさら何が起こったのか察したようだった。

「こんな方向に飛んでくるなんて、珍しいですね。すっぽ抜けたとか?」

 応接室は、ダイヤモンドの正面からは、かなりずれている。しかし、今のは、すっぽ抜けたとか、手元が狂ったとか、そんな生易しいものでは明らかにない。雲雀が眉を寄せると、応接室の扉がばたんと開いた。足音も気配も感じなかった。ますます顔をしかめる。

「おーツナ、ヒバリ、悪っりぃ!怪我しなかったか?」

 山本武が、戸口で片手をあげる。

「ノーコン、」

 雲雀は、5mと離れていない戸口に向かって、何の手加減もなく全力でボールを投げた。山本は、素手でそれを受ける。雲雀の機嫌はますます悪くなる。

「怪我はしてないけど、」

 沢田は、室内の惨状と、雲雀の不機嫌(彼はその原因が散らかった部屋の所為だと思った)とを受けて、引きつり笑いをする。

「じゃ、よかった!」
「あんまりよくない……」

 力ないツッコミを、山本は笑顔でスルーした。ボールをポケットに入れると、にこにこと応接室の中に入ってきて、沢田の腕を掴む。

「ツナんちの、あのでっかい本持った、えーとフゥ太!フゥ太が、ツナのこと、迎えに来てるぜー」
「えっ、何かあったのかな」

 首をかしげながらも、沢田は雲雀を振り返って、歩き出そうとはしない。雲雀は苦笑した。

「いいよ、行ってきな。」
「でも……」
「帰りに寄るよ。」
「はっ、はい!」

 にっこりと笑う沢田の、後ろに立つ山本と目が合う。お互い、物騒な笑みだが、沢田は気づかない。そのまま、片付けもせず、山本は沢田を連れてグラウンドに戻っていった。

「掃除くらいしていきなよね。」

 文句を言ってみても、聞く者もない。獄寺が「濃い」から、山本の見た目の爽やかさに誤魔化されがちだが、沢田と付き合う上でやっかいなのは、どちらかと言えば山本の方である。山本が沢田に向ける感情は、はっきりと恋情であるように雲雀は思う。ただ、山本自身はどうも気づいておらず、自分が二人の間に割って入ってしまう理由を、雲雀と沢田の交際について、親友として好ましく思っていないから、と、考えているようだ。ばかばかしいが、わざわざ自覚させてやることもない。山本の目的はつまり雲雀と沢田を別れさせることなので、最終的には沢田の笑顔を優先する獄寺と違って、今日のように少々強引な手段に出ることもある。けれど、どうしようと、沢田の心は雲雀にある。それを疑ってはいないので、苛立っても、余裕ぶった態度を通すことが出来るのだった。

 やれやれと肩をすくめると、雲雀は、携帯で並盛町内のサッシ屋を呼び出し、1時間以内に作業を終えるよう命じた。請求書は、野球部に送り付けるつもりである。






2009年5月28日