5月4日の23:56である。いつものように制服の雲雀が、いつものように塀の外から沢田の部屋を見上げると、沢田は窓にもたれて床に座っているようだった。

「さわだ、」

 屋根に上がって窓をノックする。鍵が開いているのはわかっているのだけれど、沢田に開けて欲しい。からからとサッシがスライドして、窓が開く。

「5月5日、『一日』、空けておけばよかったんですよね?」

 首をかしげて沢田が、書き置きの内容を確認する。というのも、以前、「明日は一日、オレにつきあってください!」という沢田の言葉を受けて、雲雀が午前零時に訪ねてきて、ちょっともめたことがあったのだった。沢田の、一日、というのがせいぜい朝から晩まで、という意味であったのに対し、雲雀にとって、一日、は、二十四時間をさす言葉だったからである。雲雀が今回書き置きに残した「一日」は、もちろん二十四時間だ。

「うん。」

 頷く雲雀を見て微笑む沢田は、ジーンズに半そでTシャツという軽装だ。

「何か一枚はおったほうがいいと思う。」

 雲雀の言葉に、はぁい、と素直に返事をして、沢田が床に落ちているパーカーを拾う。雲雀に背を向ける。雲雀は、その隙だらけの背中に飛びついて口をふさぐと、あっという間に目隠しをして、両手を後ろで拘束してしまった。沢田は驚いてしばらくもぞもぞしていたが、雲雀が耳元で、手、痛くない?と静かに訊くと、ふっと力が抜けておとなしくなった。口をふさいでいた手を離しても、叫ぶこともなく、痛くないですよ、これ、包帯ですか?と言った。

「……そう、包帯。目隠しはネクタイ。」

 沢田は抵抗する素振りも見せない。

「あ、そう言われれば、雲雀さんのネクタイの匂いがしますね。」
「なにそれ」

 むしろどこか楽しげに、意味不明なことを言う。

「雲雀さんのネクタイは、雲雀さんのネクタイの匂いがするんですよ。抱きついたときに、いつもちょうど鼻のところにあたるから、オレ、わかるんです。」

 胸を張って言うことではない。

「えっと、それで、これからどうしたらいいんですか?オレ不器用だから、これで芸とかは無理ですよ?」

 ついに雲雀は脱力した。

「緊張感のない子だね、君は」

 思わず呟くと、えっ緊張してますよ、何すればいいのかと思って、と反論されたが、どう見てもそれは、緊張ではなくて、わくわくしているのだった。沢田は、突然視界と自由を奪われても、それをしたのが雲雀であれば、不満や憤り、不安や恐怖は、まったく感じないようであった。色々考えていた雲雀は、自分が馬鹿らしくなって、力を抜いてため息をついた。それにかぶって、部屋のどこかで、ピピッという電子音が聞こえた。沢田が、あっ、と言った。

「雲雀さん、お誕生日おめでとうございます!」

 目隠しされた上に後ろ手で縛られているとは思えない、満面の笑みである。どちらかと言えば、微笑ましいというよりシュールだった。電子音は、沢田のパーカーのポケットに入っている、腕時計の時報だった。

「ありがとう。……僕の誕生日に、君の一日をもらうよ。」
「オレの一日?そんなでいいんですか?」
「そんながいいんだよ。また誰かに乱入されるようだったら、僕はもういいかげん暴れるよ。今日は、誰も君を呼びに来られないところに、君を監禁する。」
「オレ、これから誘拐されるんですか?だから縛られたんですか。」
「そうだよ。僕は今日一日、君が逃げないように見張ってるから、抵抗したらいけないよ。」

 明らかに乗り気の沢田に、雲雀が敢えて念を押すと、沢田はついに、ふふふふふ、と笑い出した。

「最近、何か、タイミング悪かったですよね。わかりました。今日一日、雲雀さんに監禁されます。」

 あれはタイミングの問題ではなくて、連休を前に故意に邪魔されたんだろう、と雲雀は思ったが、それは飲み込んで、さっきから気がかりだった別のことを言った。

「一応、言っておくけど、僕以外の人間にこんなことされたら、全力で抵抗するんだよ。」
「あたりまえでしょう!」

 怒られた。

 雲雀は、目隠しをしたままの沢田の手を引いて、夜道をてくてくと歩いている。最初は、手も縛ったまま、肩の上に俵担ぎにして「監禁場所」へ連れて行こうと思ったのだが、沢田に、この格好苦しいから嫌です、と拒否されたのだった。目隠しも外してもいいか、と思ったが、そちらは、この方が雲雀さんが手を引いてくれるからいいです、と外すのを拒否された。もうどちらが主役なのかわからない。

「連休、何してたの」
「いつも通り、です。リボーンに脅されて宿題やって勉強やって修行して、山本と獄寺くんが遊びに来て、うちでランボやイーピンやフゥ太と遊んでました。」

 群れてばかりである。予想していたとはいえ、雲雀の額にシワが寄る。見えているわけでもあるまいに、沢田が慌てて、雲雀さんは?と訊きかえした。

「……僕もいつも通り、だよ。風紀の仕事。あとは、今日の準備かな。」
「準備?」

 丸一日、誰の邪魔も入らないところ、というのはなかなか難しかった。たまたま風紀委員でちょうどいい物件を押収したばかりだったので、そこに少し荷物を運び込むだけで済んだのだが。

「学校じゃないんですか?」

 応接室に鍵を掛けることも考えはしたのだが、休日でも部活などで校内に人気はあるし、鍵を掛けたところで在室はわかってしまうのだから、風紀委員の用事で雲雀のほうが呼ばれないとも限らない。二人だけで過ごすという目的には、案外、不向きな場所なのだ。

「じゃあ雲雀さんが呼ばれることもないんですね!……あ、携帯電話は?」
「電源を切って応接室の机の引き出しに放り込んできたよ。」

 沢田が、やったあ、と歓声を上げてから、雲雀さんの誕生日なのに、オレがこんなに嬉しくてどうしよう、とはしゃいだ声で言った。

「ねえ雲雀さん、ここどの辺ですか?コンビニ近くにありますか?ケーキ買いましょう、誕生日なんだし!あのね、オレね、お年玉下ろしてきたんです!おごりますから、雲雀さん好きなおやつ買ってください。」
「太っ腹だね。」

 オトコのカイショーです、と沢田が胸を張るのに笑いをこらえながら、雲雀は、沢田が下ろした金額の予測をつけ、そこから、沢田がハードを持っているゲーム機のソフトの平均価格を引いた。三千円くらいはあった。

「じゃあお言葉に甘えよう。近くにセブンがあるよ。」

 コンビニに入る前に目隠しを取った。沢田は、しばらくはまぶしそうに街灯の明りに目を細めていたが、ぱっと振り返って、雲雀さんの顔!と言って笑ったので、雲雀も、好きなだけ見なよ、と言って笑った。そしてまた手をつなぎ直して、コンビニの自動ドアをくぐった。

 ジュースとお茶と、イチゴのショートケーキ。コンソメのポテトチップス、期間限定のポッキー。駄菓子コーナーで雲雀が立ち止まった。

「どうしたんですか?」
「キャベツ太郎、好きなんだけど、」
「じゃあ買いましょうよ。」
「でも君に、前歯に青海苔がついてるのを見られるのはやだなぁ、と思って。」
「………………。」

 沢田は何かを想像したのか、ものすごく微妙な顔をして、結局、ココアシガレットとフーセンガムにした。駄菓子コーナーの隣の玩具コーナーに、プラスチックの手錠が置いてあって、雲雀がじっと見ていると、沢田は、二度ほど、雲雀と手錠を見比べた後、ぽいとカゴに放り込むとレジに向かった。雲雀はその後は追わずに、違う棚へ行って目当てのものを一箱手に取り、それは自分で買った。避妊具である。

 一足先に店から出た沢田は、ビニール袋を提げて待っていたが、遅れて店から出てきた雲雀が、ゴム製品の小箱をポケットに入れるのを見ると、少し赤くなって目をそらした。照れる様子が可愛らしい。別に買わなくても、もうすぐそこの「監禁場所」にはあると思うが、雲雀は沢田の反応が見たいのもあって、わざと買ったのだった。まったく悪趣味だった。

「そういえば、」

 沢田がはにかんでうつむいているのは可愛らしいけれど、黙ってしまったのはつまらないので、雲雀は自分から口火を切った。狙い通り、沢田はまだ少し赤い頬のまま、なんですか?と顔を上げた。

「このあいだの絵本、僕のうちにもあったよ。」

 するともう沢田は、照れていたのを忘れて、話にのってくる。

「雲雀さん、読んだことあったんですか?」
「それが、記憶にないんだよ。読んだけど忘れたのか、手に取ったことがないのか、……親の本棚に、いろんな本と一緒くたに入ってたから、僕は読んだことないのかもしれない。」

 あごに手を当てて雲雀が唸ると、沢田は頷いた。

「うちの本も、オレのじゃなくて母さんのですから。続き読みました?」

 うかがうように覗き込む沢田は、なんだか複雑そうな顔をしていた。

「まだ。」

 子供の頃に読んだ記憶がないのも、自宅にあるのを発見してから読んでいないのも、どちらも本当だったが、実は、並中の図書室に昔からある本なので、雲雀はあの絵本のストーリーを知っていた。沢田がそんな顔をするのも、わかる気がする。

「君に最後まで読んでもらおうと思って、中は見てない。」
「オレが読むんですか?……前からちょっと思ってたんですけど、」

 少し控えめに言いかけて、ためらう。目線で促すと、沢田はおずおずと、しかしいったん喋りだすと一気に、言った。

「雲雀さんて、うちの、子供たち、フゥ太と、イーピンと……特にランボ。に、ものすごい、対抗心、持ってませんか?」

 雲雀が思わず黙ると、沢田ははっとして、違います、ごめんなさい、気のせいでした、と慌てて首を振って、雲雀から離れて行こうとしたので、その腕をぐっとつかんで引き寄せた。沢田が持っていたコンビニの袋が落ちて、がしゃっと、どう考えてもケーキが無事に済みそうにはない音がしたが、雲雀にはどうでもいいことだった。そのまま抱きしめる。

「……別に対抗してるわけじゃないけど、君にしがみつけるのが、僕だけだったらいいのに、とは時々思うよ。」

 さらりと頬を撫でてから、唇を合わせた。目を閉じた沢田が、誘うように口を開くのに気をよくして、舌を絡ませる。くちくちと水音がするようになると、沢田の足がふらついたので、しっかりと腰を支えた。学ランを、しがみつくように握られる。親指の腹で頬を何度かなでると、うっすらと沢田の目蓋が上がって、目が合うとまた慌てて閉じられた。笑ったのがわかったらしく、沢田が抗議するように雲雀の舌に軽く歯を立てた。

「でも、こういうことができるのは、僕だけだね。」

 唇をはなしてそう言うと、沢田は何か言いたげに口を動かしたが、まだ喋ることができないのか、雲雀の肩に顔を伏せた。それからぎゅっと雲雀の背に手を回して、そういうのを、対抗してるって言うんですよ、と可愛くないことを言ったが、まだろれつがまわっていなかったので、雲雀の笑みを深くさせただけだった。

「早く行こう。」

 雲雀は、散らばった菓子やジュースを手早く拾い集めて袋に詰めなおして持ち、もう一方の手で沢田の手を引いて、足早に目的地へ向かった。沢田は無言だったが、雲雀の歩調に合わせて、遅れないように付いてきた。






2009年5月30日