「ただいまー!……あ、母さん、それ、」
「うふふ、やっぱりこれも出しちゃったわ。スイカ冷やすのに使いましょう」
汗をかきかき、綱吉たちが帰宅すると、沢田家の庭では、奈々が楽しそうに黄色のエアポンプを踏んでいた。
「じゃあ、もうこれも、ここで広げちゃうよ。フゥ太、イーピン、ランボ、お疲れさん。荷物縁側に置いておけばいいよー」
じっとりと汗で濡れた買い物袋を、ようやく庭の草の上に下ろす。パッケージを破って、中身を広げる。
「あー、ビニールプールの匂いがする」
そう、子供たちを遊ばせようと、買いに行ったのはビニールプールだ。綱吉が小さな頃使っていたものは、綱吉がおとなしい子供で、また一人だけで遊んでいたため、破れもなく健在ではあったが、三人の暴れん坊とさらに中学生になった綱吉が、ちゃぷちゃぷするにはあまりにも小さい。ほかにも、ぞうさんのじょうろ、大型の水鉄砲、ブリキの金魚に、戦隊ものの絵のついたバケツ。おもちゃのパッケージは、ぬかりなく子供たちが破っている。
「ゴミはちゃんとまとめとけよ……お、フゥ太、さんきゅ」
綱吉が声をかける前に、フゥ太が買い物袋に、紙ごみとプラごみをきちんと分別して入れていた。まったくもって、出来た子供である。
「ほんと、いい天気ね」
いつの間にか、少し離れたところへデッキチェアが出されていて、ビキニのビアンキと、サングラスをかけたリボーンが、寝そべっている。すっかり準備のできたビニールプールに、庭の水まき用のホースで水をためておいて、綱吉たちも、水着に着替えだ。
綱吉は、学校の体育で使っているものがある。フゥ太は自前のを持参している。ランボはパンツで十分だと思ったが、ビニールプールと一緒に綱吉の小さな頃の海パンが出てきた。しかしイーピンはそうもいかない。
「母さん、商店街の洋品店で買ってきちゃったぁ、娘も欲しかったのよ、選ぶの楽しかったわぁ」
小さな水着を広げて、奈々は縁側でうっとりしている。いつの間に行ってきたのか、フットワークの軽い母である。小さな子供とはいえ、男どものように居間でフルチンはさすがにまずいので、風呂の脱衣所で着替えてきてもらう。
「お、イーピン、似合ってる!かわいいよ」
下がスカートになっている真っ赤なセパレートの水着は、左胸のところに黄色の星がついている以外に飾りもないが、いかにも子供の遊び着らしく、元気な様子がかわいらしい。水着を着るのが初めてのようで、もじもじしながらあちこちを引っ張っている姿は、どこからみても可愛い女の子だ。揺れる弁髪を見て、綱吉は、どうしてこんな小さな可愛い子に男装をさせたのだろうか、と、雲雀に似ているという、イーピンの師匠のことを考えた。
スイカときゅうりとトマトを浮かべたプール(旧)に、奈々が麦茶やカルピスを入れたペットボトルを追加する。
「いいわねー、母さんも水着になっちゃおうかしら」
「お願いだからやめといて」
背後に縦線をしょった綱吉に手を振って、冗談よー、とからから笑っている。
「日差しが強いから、のど乾いたと思ったらすぐに飲みなさいねー」
昼食の支度をするのだろうか、注意事項を言い残すと、縁側から屋内へ消えた。
「いま母さんが言ってたこと聞いてたかー?あと、気分悪くなったりとか、トイレ行きたかったらすぐに言えよー。特にランボ、水の中でしっこすんなよ」
「オナラは?」
「できればするな……」
綱吉とフゥ太には、膝にも届かない水深だが、ランボとイーピンにはじゅうぶん深い。念のため、準備体操をさせる。
「ねぇねぇ、ツナ兄、もういいでしょ?」
うるさいと思うことも多いが、わくわく顔でこちらを見る子供たちは、やっぱり可愛い。綱吉はプール(新)に手をちゃぷんと浸けた。もったいぶっていた間に、水は日光に温められて、入り頃になっている。うん、と頷いてやる。
「入っていいよ!」
歓声を上げて子供たちがビニールプールに突進する。
「ツナ兄ー!」
「ぶっ」
プールの中から手で水をかけられて、顔をこすった。塩素とビニールの混じった、ぬるい水の匂いをかぐと、綱吉もむやみに楽しい気分になってくる。
「フゥ太ぁ、覚悟はいいかぁ!」
きゃーっ、という悲鳴は、嬉しそうだ。せっかく迷子の心配も水難の心配もないんだから、オレも遊ばなきゃ損だ、とばかり、じゃぼんと中に入ると、両手でばしゃばしゃと水をかけまくった。日光を反射して、しぶきがきらきらと光る。
「ツナぁ、シャワーやって、シャワー!」
「おー」
みんなと遊んでご機嫌のランボにせがまれて、ぞうさんのじょうろに水をすくって、できるだけ高いところから雨を降らせてやる。ちょろちょろと細く水の落ちる高い音がして、その水を浴びようと、3人の子供たちが狭いプールの中で押し合いへし合いする。それを見て綱吉は笑う。家光そっくりだな、というリボーンの呟きは、届くわけもない。聞こえていたら泣き崩れるだろう。
「こら、ランボ、水飲むな」
もういっかい、もういっかい、とせがまれて、何度もぞうさんシャワーを浴びせるうちに、上を向いて口を開けたランボに、めっ、と眉間にシワを寄せて見せる。買い物に行ってから水も飲んでいない。ふざけているというより、喉が渇いているのだろう。プール(旧)からカルピスを持ってきてやる。フゥ太も取りに来て、イーピンと分けて飲んでいる。
「一度水から上がらなきゃだめだぞ、おまえこぼすだろ」
こぼしたりむせたり、目が離せない。草の上に座ってカルピスを飲むランボのそばで、いつの間にか奈々が用意してくれていたタオルを持ってしゃがんでいた綱吉は、ふと、顔を上げた。とん、というか、べこ、というか、何かわりと薄めの物に飛び乗った、そんな音を聞いたのだ。小さな、何でもない音なのだけれど、いつもそれを待ちわびていて、いつでも聞き逃さないように、聴覚の中にぴんと糸を張っている綱吉だから、わかる。
「雲雀さーん、ここですよー!」
握っていた白いタオルをぶんぶんと振りながら呼ぶと、いつものように綱吉の部屋の前のひさしに立っていた雲雀は、眩しそうに目を細めた。何か大きな箱のような物を二つも抱えている。ちらり、と一瞬、綱吉と目を合わせると、口角をつり上げて、綱吉の部屋に消えた。何を持ってきたのだろうか、まさか水着ではあるまい。綱吉は首を傾げる。わからない。
案の定カルピスをこぼしてしまったランボの顔をタオルでごしごし拭いて、トイレには本当に行かなくていいのか念を押していると、奥から奈々と雲雀が話している声が聞こえてくる。
「かあさーん、……雲雀さーん?」
すたすたと縁側へ出てきた雲雀は、手にした箱が一つになっていた。
「お中元。」
奈々のつっかけを履いた雲雀は、箱の中身をプール(旧)へぶちまけた。千疋屋のゼリー詰め合わせ。
「……そんな気つかわなくてもいいのに、」
そんなわけにもいかないよ、と笑っている雲雀はまるで大人のようだ。
「普段は子供みたいなくせに、」
「何て?」
少し頬を膨らませた、ぼそぼそとした呟きは、聞き取り難かったようで、こちらを見て聞き返してくる。その顔に向かって、綱吉は、ぞうさんじょうろを振りかぶって、水をかけた。当然、避けられてしまうが、それでも雫のいくつかは顔にかかったようだった。ぷるぷると猫のように頭を振った雲雀を見て、笑う。
「それよりっ、早く脱いでくださいっ」
「ワオ、大胆だね」
珍しくブレザーの夏服を着ていた雲雀が、ネクタイに指をかけながら流し目で言うものだから、綱吉はぞうさんじょうろを投げつけた。軽く左手で取って、投げ返してくる。その間にもう、ワイシャツのボタンをほとんど外している。フゥ太はぬかりなくイーピンの視界をふさぐようにして、ブリキの金魚で気をひいた。綱吉は、あ〜あ、と思いながらも、一応言った。
「雲雀さん、ここでフルチンはやめてくださいね」
「失礼だね、ちゃんと下に水着着ているよ、」
天を仰ぐ。草壁は忘れ物について風紀委員長に注意を喚起してくれただろうか、おそらくしていないだろう。綱吉の中で、雲雀は替えのパンツを忘れたことが決定したが、武士の情けで、今ここで、皆の前でそれについて尋ねることはしなかった。後で綱吉のを貸せば良いだけの話だ。
(あ、いま、新品ない……洗濯したやつでいいかな)
一昨日の夕方、西日の強い応接室で、二人でぐちゃぐちゃぬるぬると、していたことを思えば、そんな心配もばかばかしい。
2009年9月4日
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