雲雀に海パンを持ってくるように言ったのは、もちろん、一緒に遊んで欲しい、という気持ちが一番にあったわけだけれども、それ以外に、綱吉、フゥ太、雲雀と三人いれば、ランボのお守りもずいぶん楽になるのでは、と考えたのもある。
「大誤算だ……」
肩を落とした綱吉に、フゥ太がおろおろと駆け寄った。まったく雲雀の凄まじさといったらなかった。ビニールプールの側面にのしかかって水をあふれさす、お風呂で使っている百均の水鉄砲で撃ってきたランボにバケツで反撃して泣かす、イーピンの水着のスカートを「これ、下のと繋がってるの?どういう構造?」とめくり上げて危うく爆発させるところだったし、どこに仕込んでいたのかトンファーでスイカを割ろうする。綱吉はさっき、最大水量にした水まきホースを海パンの中に突っ込まれ、もうちょっとで太陽の下には不似合いな声をあげてしまうところだった。あげく、「冷たくて気持ちいいだろう」、にやにやと言い放たれた言葉に真っ赤になった瞬間、リボーンに日傘を投げつけられ、日傘の持ち主のビアンキにはお気に入りが泥だらけになったと怒られた。水びたしになってどろどろの庭の真ん中に、肩を落として突っ立っている綱吉をよそに、雲雀は一人悠々と、スイカやゼリーやペットボトルが浮かんでいるプール(旧)に、足をはみ出させて寝転がっている。
こんな人をさっき一瞬でも大人みたいだと思ったなんて、と綱吉は拳をにぎりしめた。
「ツナ兄!」
決意を込めた目で、フゥ太が水まきホースをこちらへよこして、さっと蛇口まで走っていった。受け取って、うん、と力強く頷く。
「雲雀さん!!」
綱吉は腰に手をやり仁王立ちになり、一生懸命、子供たちに「めっ」する時の顔を作った。手に持ったホースから、じょばばば、と水が溢れ出す。自分を叱ろうとする空気を感じ取ったのか、雲雀は一度むっとして片眉を上げ、それから、にぃ、と唇の端を吊り上げた。綱吉はもうその顔を見ただけで「ごめんなさいなんでもないですすみません」と言ってしまいたい衝動に駆られたが、ぷんすかしているランボと、期待に満ちたまなざしで見ているフゥ太の手前、そういうこともできずに何とか踏ん張った。冷や汗が一滴、水に混じって落ちる。
「僕とやろうって?」
おもしろい、と舌なめずりをして立ち上がり、雲雀は、戦隊ものの絵のついたバケツを構えた。
全開に蛇口をひねったホースと、子供用の小さなバケツ、それほどのハンデがあったとしても、雲雀相手には心もとない。が、成り行き上、やるしかない。ごくり、とつばを飲み込む。蛇口のところでは、フゥ太が、ランボを補給係にして、今日プールと一緒に買った、百均のものとは訳が違う大きなタンクのついた水鉄砲を構えている。綱吉と雲雀を交互に見ながらはらはらしているイーピンには悪いが、これは男と男の闘いなのだ。
「……雲雀さんは、おにーさんなんですから!ランボ泣かせたらダ、ぶっ、げほっ」
闘いに突入する前に、震える膝をごまかしながら綱吉が、たしなめる言葉を投げかけている途中で、雲雀はバケツの中身をぶちまけた。ぶちまけたというよりも勢いのあるそれは、飛ばした、という方が正しい。水が、かたまりになって空気の中を飛んでくる。水の中にはきゅうりが一本入っていて、どばん、と水のかたまりが綱吉の顔にぶつかると同時に、べちん、とおでこで音を立てた。綱吉はそれを、綱吉にしては驚異の反射神経で、ぱし、と取ると、しゃぐり、といい音をさせて一口齧った。残りは雲雀に投げ返す。
「食べ物を粗末にしちゃあ、いけません!!」
ホースを持った綱吉が、ついにだっと駆け出す。件のきゅうりをくわえてぼりぼりとかじっている雲雀も、間合いを取りながら、小さなバケツ一杯に入った水をほとんどこぼさずに、綱吉に迫る。
「でぇいっ」
ホースの先を思い切りつぶして、顔面を狙う。雲雀はバケツを持っていない方の腕でガードし、水で視界をふさがれるのを防いでいる。ごば、と再びバケツから水が飛んでくる。綱吉は両腕をクロスさせて防ぎ、バケツの水は空のはずだが、後ろへ飛びすさった。読み通り、空のバケツがびゅんと音を立てて空を切る。いくら子供の水遊び用の小さなバケツとはいっても、雲雀の腕力でぶん殴られたら相当痛いはずだ。内心で胸をなでおろす。ホースは無尽蔵に水を供給してくれるし、威力もあるのだけれど、思い通りに動かすにはコツがいるのが難点だ。力任せに引っ張れるほどの腕力は綱吉にはないし、そんなことをして跳ねたホースが子供たちに当たってしまっても危険である。もたもたしているうちに、再びバケツに水を満たした雲雀が迫ってくる。動きが激しすぎて、水鉄砲を構えたまま、フゥ太は手を出しかねている。
「うちの風紀と秩序も守ってください!」
「僕は今日は仕事はしない!」
バケツを振りかぶる。おもわず肘でガードしたが、水は襲ってこない。あれ?と思って腕を下ろした瞬間に今度こそ水を掛けられ、顔面に直撃した。フェイントだ。
「ぶへっ!っうぇ、げほ、……は、鼻に入っ、」
ホースの先を押しつぶしていた指からは力が抜けて、再び、じょぼぼぼ、と水がそのまま地面に落ちる音がする。完全に目を閉じてしまった綱吉は、水音にかき消されて、雲雀がバケツを投げ捨てた音を聞き逃した。
「危ない!ツナ兄ぃ!」
フゥ太の悲鳴に、えっ、と思ったときにはもう、脚に絡まったホースを思い切り引かれて、ばしゃーん、と派手な泥しぶきとともに、尻餅をついてひっくり返っていた。
「僕に勝とうなんて、十年早いよ」
目も開けられない綱吉に、雲雀はぬかりなくマウントポジションを取る。だがそれが油断だった。
「せいぜい三年です!」
転んだ後もホースの口を離しはしなかった綱吉は、至近距離から雲雀の顔に、思い切り水を浴びせかけた。すぐに腕を取られるが、それでも鼻に水が入るには、一瞬でじゅうぶんである。片手で鼻の辺りを覆った雲雀は、痛そうに顔をしかめた。
「っ……やって、くれるね、」
あっ、と綱吉は思った。ヤバイ、と。
今、二人がどんな体勢でいるかというと、庭の真ん中にできた泥沼、その真ん中に仰向けに、綱吉が転がっていて、腰の当たり、ちょうど海パンのゴムのところをまたいで、雲雀が膝立ちになっている。その膝が、きゅっと、綱吉の腰を挟んだ。ぐっと体重をかけられて、もうそれで起き上がることもできない。息苦しさに綱吉がうめく。まだホースを握ったままの手首を思い切りつかまれる。反対の手も同じようにされそうになって、綱吉は必死に抵抗したが、3秒ほどであっけなく拘束された。ばしゃん、と両腕を泥の中へ押さえ込まれる。どうしよう、まずい、困った、冷や汗はどんどん出てくるが、有効な打開策はひとつも出てこない。雲雀の目が光る。
「わ、ちょ、ひばりさんっ、まって、話せばわかるっ」
かぱ、と口を開けて、問答無用!とは雲雀は言わなかったが、そのまま綱吉の首筋にがぶりと咬みついた。
「いっ!……ちょ、んん、ひばっ」
あぐあぐと、味わうように咬み締めて、雲雀が、ぐい、と、腰を押し付けるように尻の位置を動かした。
「わあぁ、まって、ちょっと、ひばりさん!」
赤くなればいいのか青くなればいいのか、綱吉の悲鳴がずいぶんと切羽詰った響きになったところで、思わぬところから助けが入った。
「ダメー!!」
イーピンだ。
「不要打架、ロ阿、……ケンカ、ダメ!」
頬は真っ赤になって、目は泣きそうに潤んでいる。
「…………あー、」
綱吉は、そして口を離した雲雀も、気まずい思いで頬を掻いた。その、あれだ。今の咬みつきは、かなり性的なニュアンスのアレでソレでナニであり、だからこそ綱吉は焦っていたわけなのだが、子供たちには喧嘩にしか見えないわけで(でないと困るとも言える)、咬まれたのが痛いから綱吉が騒いでいる、と思ったのだろう。
「……えーっと、」
ぐるり、と首を廻らすと、向こうのデッキチェアの上で、家庭教師様が銃を構えているのが見えた。ひく、と唇を引きつらせる。イーピンの悲鳴が、あと少し遅かったら、先にあれが火を噴いていたことだろう。綱吉と雲雀は、泥の上に並んで正座した。
「もうしません、」
と雲雀、
「ごめんなさい。」
続けて綱吉が謝る。
ほんとう?と眉を寄せて首をかしげるイーピンに、ぶんぶんと首を縦に振ってみせる綱吉を、雲雀は、がば、と抱き寄せた。
「こんなに仲良しだから、大丈夫、もうけんかしない」
ちゅ、と頬骨の上で音がする。
「なっ……、ぎゃああ!」
思わず頬を押さえた綱吉の、手の甲をかするようにして、二人の間をついに銃弾が通り抜けていった。
「いーかげんにしやがれ。今日はほんとに自重しねーな、ヒバリ」
「だって夏休みだもの、」
呆れたため息をつくリボーンに、雲雀はしれっとして言い放った。髪の先から垂れた雫を拭った手の甲が泥まみれで、頬に極太で線が引かれている。遊びに夢中な、ただの少年。綱吉といる時の雲雀は、とても可愛い。それが嬉しい。
2009年9月5日
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