「フゥ太ー、悪いけど、水、かけてくれるか?泥だらけだ」
 両手を広げた綱吉に、やっとほっとしたように笑ったフゥ太が、結局撃つ間のなかった水鉄砲でぴゅうぴゅうと水をかけてくれる。
「うっひゃひゃ、くすぐったい」
 細く絞った水が、強く肌に当たる感触で、もぞもぞする。
「ツナ兄、動かないでよぉ、当たらないー」
 フゥ太は綱吉(の、身体についた泥)を的にして、射的のようなことをしている。
「シャワーしてあげるんだもんね!」
 雲雀は雲雀で、軒先にしゃがみこんで、縁側に上がって背伸びしたランボから、ぞうさんじょうろで水をかけてもらっていた。この二人も仲直りだ。
「イーピン、」
 綱吉がおいでおいでをすると、ぱっと駆け寄ってくるので、抱き上げる。
「ごめんなぁ」
 少し三つ編みの乱れている頭をなでなですると、首に腕を回してぎゅっと抱きついてきた。ランボの手前、普段はお姉さんぶっているところのあるイーピンには珍しい。それだけ動揺したのだ。綱吉は反省した。子供の前で痴話げんかは慎むべきである……それは八割がた雲雀しだいである、ということ(今回だってそもそも、原因は雲雀である)に、今は気づいていない。
「庭が泥沼だ」
「誰のせいですか、」
 雲雀がランボを小脇に抱えて、綺麗にしてもらった裸足の足があまり泥に浸からないように、つまさき立ちのようにして、ぴょんぴょんと跳ねてくる。ランボは抱えられたまま上下する感覚が楽しいらしく、はしゃいでいる。ブリキの金魚や、アヒル隊長や、ぜんまいの船が浮かんでいるプール(新)の中に、イーピンと一緒に降ろしてやると、二人で水中にらめっこを始めた。ちなみに、綱吉が水の中で目を開けられるようになったのは、つい最近の話である。やるせなくなって目をそらす。
「お茶、もらうよ」
「どうぞ。オレにもください、」
 並んで麦茶を回し飲みする横で、日本のトマトって味が薄ーい、でも甘ーい、と感心しながらフゥ太がトマトをかじっている。太陽はじりじりと照りつけて、青い空にはもくもくと入道雲が、下から生えてくるように伸び上がっている。遊びに行かなくても、補習や委員会のための登下校だけで焼けた肌を、水滴と汗が混じって、玉になっていくつも転がり落ちる。それでも、さっと風が吹くと、透き通った四枚の羽根が、綱吉の肩をかすめるように飛んでいった。時は流れている。盆が過ぎれば、夏の終わりが見えてくる。
「あ、とんぼ。……暑いのに、秋は来てるんですね」
「立秋は過ぎたからね」
 独特な動きで空をすべる四枚羽を見送って、少々感傷的な綱吉と雲雀の横で、トマトを食べ終わったフゥ太が、ぶるっと震えたかと思うと、ぷしゅん、と可愛らしいくしゃみをした。
「大丈夫かフゥ太。冷えちゃったか?」
「んー、ちょっと寒い、かなぁ」
 鳥肌を立てているフゥ太の背中を綱吉がこすってやると、雲雀も真似して綱吉の背に触れた。しかし、こすっている、というより、撫で回す、と言った方が断然正しい、そんな手つきだ。
「……雲雀さん、オレは別に、寒くないです。」
「そう?」
 遠慮しなくていいよ、とベタなことを言う雲雀に半眼になっていると、奈々がひょっこり顔を出した。
「うわぁ、派手にやったのねぇ。縁側までびっしょびしょじゃない、」
 そう言いながらも、嬉しそうだ。とかく、一人息子の覇気のなさが、一番の悩みの種だった彼女には、小さな子供や、学校の先輩と一緒になって、庭を荒らすほどはしゃぐ息子の姿は、喜ばしいものなのである。……あとで穴の開いた地面の補修はさせるが。
「お腹すいたでしょ、一度上がって、お昼にしましょ。お風呂にお湯溜めといたから、つかったほうがいいわよ」
「うん、フゥ太がちょっと寒いみたい」
「あらあら大変。バスタオルここに置いとくわね。……雲雀くんも、寒いのかしら、大丈夫?」
 奈々が、息子の背中に、おんぶお化けのように張り付いている雲雀を見て、心配そうに言う。いつのまにか、綱吉の肩にあごを乗せて、腕は前へまわしてへその辺りで指を組ませて、密着していた雲雀は、奈々を見てこくこくと頷いた。
「バスタオル、うちの家族のだけどいいかしら?お昼、たくさん作ったから、雲雀くんも食べていってね。」
 雲雀は、綱吉にべったりとくっついたまま、すみません、頂きます、と口調だけは礼儀正しく言った。綱吉は、はぁ、と息をついた。
「ランボ、イーピン、上がるぞー」
 ええー、と不満そうだが、良く見れば、ランボもイーピンも、うっすらと唇が青い。
「晴れてればいつでも遊べるだろ、うちの庭なんだから」
 しばらく、やだやだ、まだ遊ぶ、というランボの駄々をこねる声がしていたが、背中に雲雀をくっつけたまま、フゥ太の肩を押している綱吉の姿を見て、イーピンが何かを思いついたのか、顔を輝かせてプールから上がってきた。
「お?なんだ、イーピン、何、」
 綱吉の右足の甲の上にぺたんと座って、きゅっとすねにしがみつく。それを見ると、後を追って、ランボも水から上がってきた。ランボは左足だ。
「ツナ、はっしん!」
 小さな子供とはいえ、体重をかけられると、地味に痛い。それでも、せっかく水から出る気になったのだから、気が変わらないうちに風呂まで連れて行ってしまいたい。
「発進!じゃないよまったくもー。じゃあ行くぞ……おおお、重い!重い!!」
 綱吉が悲鳴を上げると、右足と左足がきゃあきゃあ笑う。ずしーん、ずしーん、と一歩ずつ歩くのが、ロボットのようで、さらに子供たちを喜ばせている。
「雲雀さん、体重かけないでください!」
 たった五歩ほどの距離を、全身の筋肉をぶるぶる震わせながらゆっくり歩いていると、腹にまでぐっと荷重がかかった。
「やだ。」
 雲雀は面白がる口調で、茶色の髪が濡れて絡み付いているうなじに、すりすりと頬を寄せている。縁側で見ているリボーンが、いい修行になるな、とうそぶいているのが聞こえた。冗談ではない。ようやく縁側までたどり着くと、ばったりと倒れこんだ。タオルを肩にかけて、ランボとイーピンが風呂へ走ってゆく。
「こらー、拭けー!フゥ太、悪いけど、一緒に行って様子見てやってくれ」
「うん。ツナ兄はゆっくり来なよ」
 バスタオルで簡単に雫を拭ったフゥ太が、笑いながら走って後に続く。
「あー、ふとももがぷるぷるしてる……揉まなくていいですって!」
 頭からバスタオルをかぶった雲雀が、ぐったりと縁側の板の上に転がった綱吉を、バスタオルでくるむようにして拭いてくれる。手つきが怪しいのは、もう、黙認した。子供たちが見ているわけではないし、雲雀だって、まさかこんなところで本当にどうこうするつもりはあるまい。ただのじゃれ合いだ。
「ありがとうございます。」
「うん。」
 ごしごしと髪を拭かれて、すっかり丸出しになった綱吉の白いおでこに、雲雀はちゅっと音をさせてキスをした。綱吉はもう怒ったりはせず、リボーンが居ないことを確認してから、雲雀の唇にそれを返した。本当は綱吉だって、雲雀といちゃいちゃべたべたするのは好きなのだ。ただ、誰も見ていないところでしたい、というだけで。

「お、お前たちもう風呂上がったのか、早いな」
「ツナ兄たちが遅いんだよー」
「ランボさん、ごはんみんな食べちゃうもんねー!」
 ほかほかの子供たちは、湯上りに甚平を着ている。スーパーの衣料品コーナーで買ったもので、ポップなキャラクター柄の生地なのだが、甚平の形をしているだけで、見た目に夏らしく涼しい。外国から来た子供たちにはエキゾチックでもあるらしく、三人ともここ最近好んで着ている部屋着である。
「甚平……」
「オレたちの分はありませんよ、……雲雀さん?」
 後姿を見送る雲雀に、綱吉は釘を刺したのだが、なぜか雲雀は思わせぶりに笑った。
「沢田は甚平持ってないの?」
「え?はい、あれは子供サイズしかなかったとかで、あいつらの分だけ」
「そう。」
 嬉しそうにするのがよくわからない。
「?……あ、そうだ、雲雀さん、ぱんつ持って来ましたか?」
「………………あ。」
 雲雀は、少しの沈黙の後、そんなこと考えもしなかった、という顔で口を開けた。やっぱり、と目をそらす。こんな予感が当たっても嬉しくない。
「……オレの、貸しますね。」
 綱吉は、奈々が買ってきて以来一度しか穿いたことのない、キティちゃんのトランクスを貸すことに決めた。反論は受け付けない。決意している綱吉の横で、雲雀はさっき縁側に脱ぎ散らかした自分の制服を拾い集めている。
「服、制服じゃ暑くないですか?Tシャツと短パンも貸しましょうか、」
「君の?丈が足りないんじゃないの」
 頭の上にぽんと手を置かれて、にやにやと言われる。失礼な!と憤慨する綱吉に、雲雀は、ふ、と顔を緩めた。
「甚平。色違いで持ってきたんだけど、着てくれる?」
「持ってきた?オレの分も?え、いいんですか?」
 二つの箱を持って屋根に立っていた雲雀を思い出す。一つはお中元のゼリーだった。ではもう一つはおそろいの甚平だったと言うことか。もらってばかりでいいのかなぁ、と顔に書いてある綱吉に、雲雀が苦笑する。
「訊いているのは僕だよ。それに、頼みたいことがあるから」
「う、た、頼み?雲雀さんが?オレにできることならいいですけど、」
 途端に及び腰になった様子に、雲雀は苦笑をますます深めて、簡単なことだよ、と言った。
「その甚平をね、僕は帰る時にまた制服を着て帰るから、君の部屋に置いてくれる?」
 そんなこと、別に「頼み」なんて言わなくても、大丈夫ですよ?と首をかしげる綱吉は、よくわかっていない。
「また次に沢田の部屋へ来たとき、それに着替えるから」
 ちゃんと、しまっておいてね。重ねて言うと、ようやく、雲雀が言わんとするのは「恋人の部屋に私物を置きたい」という意味のことであるということがわかったのか、ほのかに頬を染めた。
「いつでも雲雀さんが来たら着られるように、しておきます。」
 今は甚平だが、季節が変わればそれは作務衣だとかジャージだとかになるのだ。来客が多い綱吉の部屋への、ささやかなマーキングでもある。ここは雲雀の領土でもあるのだ、という小さな主張。じゃあオレも応接室に何か置きたいな、何がいいかな、と考えている綱吉の背中を、突然、物凄い衝撃が襲った。
「ぎゃあっ!」
 それは家庭教師様のとび蹴りだった。綱吉は居間の畳の上に倒れ伏す。
「てめーら、その、同棲まで秒読み☆みたいな会話を今すぐやめて、さっさと風呂に入りやがれ!ママンのランチが冷めるだろーが!!」
 珍しく、不条理でないことを言っている。
「ヒバリがいるとツナがボケになっちまって、俺が無茶しづれー、これ以上ここでいちゃつくようなら、出入り禁止にするぞ、ヒバリ!」
「無茶って自覚はあんのかよ!」
 畳に額をつけたままの綱吉のツッコミはスルーされた。出入り禁止にされてはたまらないので、雲雀は、倒れている綱吉を担いで風呂場へ向かった。






2009年9月6日