雲雀は膝を立てて足を開き、自分にもたれかからせて綱吉を座らせ、乾いてふわふわになった茶色の髪を撫でたりしながら、スイカを食べている。もうほとんど寝ている綱吉は、雲雀の立てた膝の、膝こぞうの上に両手を乗せて、くったりと脱力している。世界は広いと言っても、雲雀を肘掛け座椅子の代わりに出来る人間なんて、綱吉以外にいない。
「ツナ兄ぃ、明るいうちにへび花火やろうよ」
火をつけて!と縁側から室内を振り返ったフゥ太は、足の間へ綱吉を抱きかかえた雲雀が、しー、と人差し指を唇に当てるのを見た。
「……ツナ兄、寝ちゃったの?」
声のトーンを落として、照りつける太陽の下から暗い室内を、細目になって覗き込むようにする。雲雀は唇に指を当てたまま、こっくりと頷く。フゥ太はつっかけを縁側の下に落として、四つんばいで静かに近づいてきた。
「だめ。」
ふくふくした頬を指でつっつこうとするのを、雲雀が手のひらで遮った。雲雀は今まで、沢田家の子供たちの中で、綱吉を独り占めするに当たって、一番の敵は手のかかるランボなのだと思っていたが。今日の水遊びで、実はもっとも手ごわいのは、良い子で、歳が近く、綱吉の信頼を勝ち取っている、このフゥ太に他ならない、と考えを改めたのだった。きっと雲雀が見ていないところで、このくらいのことはいくらでもしているのだろうが、こうして綱吉が雲雀の腕の中にある時くらい、気軽な接触を許したくなかった。心が狭い。自分こそよほどつつき甲斐のあるような頬をしたフゥ太は、ぷぅ、とふくれる。
「けち。……あぁ、僕も眠くなってきたなぁ、」
雲雀の横に、ころん、と寝転がって、庭に向かっておいでおいでをする。
「ランボ、イーピン、お昼寝しない?へび花火は明日でもできるよー」
大きな口を開けて、大声で何か返事をしようとしたランボを、間一髪でイーピンが押さえつける。しー、だ。ガラス戸を開け放した縁側から、部屋の中へ、陽光にさらされてきらきらとひかるような、清潔な匂いの風が、さぁ、と吹いて雲雀の前髪を揺らす。気持ちよくって、眠くなる。口も鼻もぎゅうぎゅうと押さえられてぐったりしたランボが、イーピンに連れられて、フゥ太と反対側へ二人、ぽてぽてと横になる。
「くぁ、」
大きなあくびをした雲雀は、綱吉を胸に抱え込んだままごろりと転がった。綱吉は、起きるかと思ったが、んぅ、と唸って、雲雀の衿もとを掴みなおしただけだった。沈んでゆく意識の遠くの方で、あらまあ、という楽しげな声と、奈々とビアンキの優しいくすくす笑いが聞こえる、と思った。端から順に、ランボ、イーピン、綱吉+雲雀、フゥ太、と、大小取り混ぜて並んで転がっている様子はまさしく魚市場の情景だったのだが、寝ている雲雀にはわからない。ただ、小さな寝息がいくつも重なって、いつもの雲雀が好む静寂はないのに、休むことなく立てているアンテナに警戒心を起こさせる何かが触れることなく、安心しきって眠りに引き込まれていくのが不思議だった。
日が落ち始めて、まだずいぶんと明るかったが、待ちきれない子供たちは花火を手にはしゃいでいる。覚醒しきれない雲雀は、縁側に腰掛けて、子供たちが花火に火をつけるためのろうそくを庭の真ん中に立ててやっている綱吉を見たり、暮れかけた空を見たりしている。明日も暑そうな、真っ赤な夕日が溶けていって、橙ににじんだ空気が、高くなるほど青みを帯びて、穏やかなばら色から紫、夜の黒へと変わろうとしている。
「空が雲雀さんの炎の色、」
昼間使った戦隊ものの絵のついたバケツに水を汲んで、綱吉が雲雀の隣に腰掛けながら、嬉しそうに言う。
「君の色もあるよ。一緒にいる」
その肩にもたれかかった雲雀が、近所の屋根の上のあたりにかろうじて残っている残照を指差す。ほんとだ、と綱吉が、はにかんで笑う。
「雲雀さんも花火、やりませんか?」
「線香花火、ある?」
「ありますよ。……最初からクライマックスですね、」
苦笑いしながらも、手持ち花火詰め合わせの大きな袋の中から、線香花火の束を一つ取ってくる。束ねてある金の色紙をなかなかはがせない不器用な手から、雲雀がそっと取り上げて、ぴりぴりとはぎとる。赤い紙がひらひら、夜風に揺れる。
「マッチ貸して」
綱吉が二本の線香花火を指に挟んで、反対の手のひらで風除けを作る。雲雀は、からから、とマッチ箱を振ってから、しゅ、と擦って火をつけた。ぼぅ、とオレンジ色の炎が、下から二人の顔を、ゆらゆらと揺らめいて照らす。花火の先から、しゅわ、と音がして、雲雀はマッチの先端を足元の地面に埋めた。火花が出始めた線香花火を、綱吉がそっと渡してくれる。
「どっちが長くできるか、競争」
雲雀が言うと、綱吉は声を潜めてくすくす笑う。別にしゃべっていたっていいのだが、何となく、黙ってしまう。両手に花火を持ってはしゃぐ子供たちの声が、急に大きくなったように感じた。
「わ、ちょっと雲雀さん、ズルいですよ、」
ひそひそ声で、ズルいと言いながら、綱吉はまた笑っている。雲雀の花火を持っていない手が腰に回って、ゆっくりと動いている。こういうときの綱吉の、童顔の上の妙に艶めいた笑みのアンバランスさが、色気があっていいと雲雀は思う。
「ふふふ。雲雀さん、好きです。」
線香花火のかすかな、ぱちぱちという音にもまぎれてしまいそうな小さな、けれどはっきりした声で、急に綱吉が愛の告白をした。糸のような細い火花が、ちらちらと視界を彩る。雲雀がいま頬を染めたのが、綱吉にはわかっただろうか。いつの間にかずいぶん暗い。
「なに、急に」
動揺して動かしてしまった手もとを、火が落ちてしまわなかったか確認して、それから少しむっとしたように、雲雀はそっぽを向いた。綱吉は照れ隠しだと見抜いている。
「そういう歌があるんです。一緒に線香花火をやっていろんなこと話したのに、好きだって言えなかった、って歌。夏になると聴きたくなるんですけど、聴くとちょっと淋しくなる、」
ふぅん、という気のない風のあいづちも、別に話に興味がないわけではないのだ。綱吉は横から雲雀を覗き込む。
「雲雀さんは夏祭りで、手、つないでくれますか?」
「それもその歌?」
「そうです。」
「……あさっての並盛神社の祭り、きっと手をつなぐと思うけど、それは僕がそうしたいからであって、その歌とは関係ない。」
雲雀はきっぱりと宣言したが、綱吉はとても嬉しそうに笑った。
「はい、もちろんです。ちょっとこっち向いてください、」
言うのと同時くらいで、目を閉じた綱吉の顔が近づいてきて、ふわ、と唇と唇が触れた。太陽はもうほとんど沈んでしまって、居間の蛍光灯もついておらず、線香花火は明りと言うには頼りなく、縁側は薄闇に包まれている。子供たちは花火に夢中だ。もう一度、今度は雲雀のほうからキスした。線香花火に気を取られて、綱吉が集中しきっていないのが、不満である。
「あ、」
目を開けたときには、花火はもう消えていた。見ていなかったから、どちらのほうが長かったのかわからない。こよりのような燃え残りを、バケツの水に漬ける。
「花火、終わっちゃいましたね。」
雲雀はもう一度、もちろん花火ではなくてキスの方を、したかったが、その前に綱吉がフゥ太に呼ばれて、顔をそちらへ向けてしまった。
「はいよー、……あぁ、ろうそくの火、消えちゃったのか」
立ち上がって、火をつけに行こうとすると、フゥ太は手を振って止めた。
「マッチ貸してくれたら、僕つけられるから、大丈夫だよ」
「ん、気をつけろよ、」
腰を上げかけた姿勢のまま、フゥ太にマッチを投げて渡して、無事にろうそくに火をつけるのを見届けてから、再び腰を下ろす。フゥ太の手つきは危なげない。綱吉は目を細める。フゥ太は、火花が3mも噴き上がるという、特大の手持ちをろうそくに近付けている。その後ろにぴったりとくっついて、ランボとイーピンがどきどきと見守っている。三人とも、少し腰が引けているのはご愛嬌だ。
「ツナ兄!見て!!」
導火線が燃える。音を立てて飛び出した炎で、庭全体が白く浮かび上がった。次第に勢いを増して、3m、といううたい文句通り、ブロック塀からはみ出してしまいそうなほど、ぱちぱちと火の粉を飛ばして、黄、緑、赤、色々の火花が噴き出す。それを映して瞳をきらきらさせたフゥ太が、綱吉に手を振る。
「おー、きれいだなー」
綱吉も手を振り返す。フゥ太が今度は足元のランボとイーピンと話し始めると、あぁ、と切なそうなため息をついた。
「あいつらもそのうち、オレが見てなくったって勝手に遊ぶようになって、学校に行くようになったら友達とプール行っちゃったりして、『ツナ兄、うざい』とか言うようになるんですよ。来年はビニールプール、まだ使ってくれるのかな、」
雲雀に聞かせると言うより、ひとり言に近い呟きだった。子供たちが手がかからないようになれば、綱吉の負担は減る。それは嬉しい、けれど淋しい。「四人きょうだいのお兄ちゃん」の揺れる心である。雲雀は、さぁね、とまた気のない風の返事をした。
「あの子らが成長して、君なんかあっち行けって言うようになっても、僕はずっといるんだから、いいじゃない。」
なんならその頃には今の三倍、君に手間をとらせてもいい、と真顔で言う雲雀に、綱吉は思い切り抱きついた。雲雀はそれを受け止めることも出来たが、空気を読んでばったりと縁側に押し倒されるままになった。綱吉も空気を読んで、今でもあなたじゅうぶん手がかかるんで三倍とか勘弁してください、とは口に出さなかった。
「ひばりさぁん、好きです!」
「ふふん、知っているよ。」
ぎゅうぎゅうにゃあにゃあと縁側の床板の上で抱き合って転がっていると、真っ暗な居間に溶けるような黒服で、ちゃぶ台に向かってエスプレッソを味わっていたリボーンが、お前らは子離れできない夫婦か、と言って呆れたため息をついた。ラブラブ夫婦の耳には届かない。
「ツナ兄たち、こんなとこで何やってるの。一緒に花火やろうよ」
終わった花火をバケツの水に漬けに来たフゥ太が、縁側に転がった二人を見下ろして、呆れたように言う。雲雀の上に乗っかったままだった綱吉が、あ、オレ、ドラゴンやりたい、と言って立ち上がる。雲雀に手を差し出す。つっかけがからからと鳴る。
「そうだ、雲雀さん、お祭り、この甚平着て行きませんか?」
しゃがみ込んで、袋の中から花火を選びながら、綱吉は雲雀を見上げて笑った。
「うん、いいね。」
膝に手をついて、上から覗き込んでいた雲雀も、それを聞いて笑う。
こぼれるほどの思い出を残して、夏が過ぎてゆく。
これで終わりです。
ここまで読んでくださってありがとうございました!
「夏祭り」ジッタリン・ジン
2009年9月20日
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