別にいつも通り窓から侵入っても良かったのだが。
日本人男子の正装である黒の紋付羽織袴を身に着け、大きな風呂敷包みを抱えた雲雀は、沢田家の呼び鈴を鳴らした。……実は、この小さなボタンを押すのは、初めてかもしれない。
「はーい、」
いつ聞いても不思議な、少女のような軽やかな声。いつもより華やいでいるのは、家光が帰国しているからか。
「あら、雲雀くん!あけましておめでとうございます。」
改まって奈々が言うのに、雲雀も深く頭を下げた。
「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。」
顔を上げれば、奥から、雲雀の「彼氏」が、雲雀さんの声したいま!と叫ぶのと、どたんばたんと賑やかな音、そしてアイテッという小さな悲鳴が聞こえた。彼の母親と顔を見合わせて、くすっと笑う。
「不肖の息子だけど、今年もよろしくしてやってね」
「こちらこそ、今年もお世話をお掛けすると思いますが、」
実際、綱吉がいなければ、雲雀にとっては年も明けないのだ。
草履を脱いで上がりこむと、ああ、そうそう、と嬉しそうに奈々が手を打った。ぱたぱたと台所へ向かい、すぐに、両手に小さな盆を捧げ持って、戻ってくる。
「頑張ってる雲雀くんに、お年玉」
頂けません、と言おうとして雲雀は、ふ、と口元を緩めると、ありがとうございます、と素直に受け取った。盆の上に乗っているのは、きつね色をしたいびつな長方形、おそらくクッキーである。チョコレートで書かれた、歪んだひらがなが、くるっと巻かれたのし紙の下から見え隠れしている。いちまんえん。
「ひばりさん!」
雲雀の「彼氏」が、仔犬のように甘えた声を出して、長くもない廊下を駆け寄ってくる。
「あけましておめでとうございます!」
「うん、おめでとう。」
「着物姿、かっこいいです!」
「日本人なら誰が着ても姿が良く見えるようにできてるんだよ」
そんなことを言いながら、ストレートな褒め言葉に、白い頬がかすかに染まる。誤魔化すように雲雀は先ほど受け取った「お年玉」をひらひらと振った。
「これ、字書いたの君だろう」
意地悪そうな顔を取り繕って、笑ってやれば、綱吉はもじもじとした。
「う、き、汚いですよね。子供たち用に母さんとビアンキと作ったんですけど。チョコペンって、ペンって言うくらいだから簡単に文字が書けるのかと思ったのに、すぐにチョコが固まるし、手に握ってれば溶けてぽたぽた落ちるし、指紋も着いちゃって、汚らしいから、ひ、雲雀さんにはやっぱりあげないでって言ったのに、母さんが、」
とめどなく続く恥ずかしそうな呟きを遮って、雲雀はお年玉の端をかり、と齧った。綱吉が押し黙る。
「……甘い、」
「あ、あのっ、い、嫌だったら、捨てちゃっても、」
「君みたい。きつね色で、甘くて、子供っぽくて、いい匂い。……おいしい」
ただ、今は綱吉は、きつね色ではなく、アイシングで飾ったようなピンク色である。
茶の香りも芳しく。
しゃこしゃこ、と新緑のような水面を切る茶筅を、綱吉が興味津々の態でじっと見つめている。見とれている、と言ったほうが正しいか、顔には「ひばりさんかっこいい」と書いてある。雲雀は気恥ずかしさに負けて、咳払いを一つすると、ほら、さっさと菓子を食べなよ、と早口に言った。
綱吉の左の手のひらの上、雲雀に見とれるあまり、危うい傾きになっている漆器の銘々皿の上には、今年の御題にちなんだ絵入りの懐紙が重ねられ、淡い桜色の花びら餅が品よくのせられている。雲雀がお年賀に持ってきた、並盛一と名高い和菓子屋のものだ。
「黒文字を突き刺すんじゃないよ。端から切って……切りにくいならいっそ手で食べな。その方が潔い。」
手についたもち粉を、パーカーの胸に拭いつけようとした幼い恋人を、こら、と叱って、懐から懐紙を抜いて渡す。へへへ、と行儀の悪さを誤魔化すように、頬を染めて笑うのに、怒った顔を続けるのが難しい。
台所のテーブルで、椅子の上に正座して茶を点てた雲雀は、対面の椅子に腰掛けた綱吉へ、ことりと茶碗を差し出した。
「左の手のひらに受けて右手で支えて、そう、感謝して……そんなに頭を下げなくてもいいよ、それから、茶碗の正面を避けて、……手前に回すんだよ、そう、それで、飲む。」
「う……、っ」
「……無理しなくていいよ、」
苦いものが苦手な綱吉のために、お濃茶用の新茶、甘みの強い極上のものを用意して、それをさらにお薄にしたって薄く、点てたのだけれど、やはり一口以上は飲めないらしい。雲雀は苦笑しながら、最初から用意していた砂糖入りのホットミルクを、黒楽の茶碗の中へどばどば注いでやった。
二階の綱吉の部屋へ向かう。勝手知ったる何とやら、先に雲雀、その後に綱吉が続いて、とすとすと階段を上り、扉を閉める。
「…………、」
「何その顔」
年末には一応大掃除をしたのだろう。いつになく片付いた部屋を微笑ましい気持ちで見渡してから、部屋の主を振り返ると、何故だか赤面して、困ったように斜め右下あたりを見ていた。
「えと、その、何でも、」
「ないわけないじゃない、その顔で」
羽織紐についたふさが、綱吉のパーカーにふんわりと押し当てられるほど近づいて、くい、とあごを持ち上げ、のぞき込むと、桃色だった頬がさらに、かあ、と赤くなった。
「……うう、あの、怒らないで欲しいんですけど」
「僕が怒りそうなことを考えてたの?」
口の端を吊り上げて訪ねると、綱吉はもじもじそわそわと落ち着かなげに視線をさまよわせる。
「いいよ、言いな」
あごを掴んでいる手はそのまま、逆の手でぐいと腰を抱いて顔を近付けると、耐えられなくなったのかぱっと手のひらで顔を隠した。
「えっと、その、…………オレいままでそんなこと思ったことなかったんですけど、」
手のひらの下でもごもごと喋っているので聞き取りにくい。雲雀はさらに、額がつくほど接近した。腕の中の痩せた身体がぎゅっと硬くなる。
「……足袋って、えろ、じゃなくて、やらし、じゃなくて、……あー、うう、えっと、あ、そう、色気、があります、よ、ね、」
階段を上るとき、綱吉の目の前に、縞の袴の裾から、颯爽とした裾捌きの白足袋の足と、その上にちらりちらりと覗く、肉食獣のような締まった足首が、さらされたのだった。雲雀は、えろくてやらしいと言われたその足を綱吉の足に絡ませて、どさりとベッドへ引き倒した。さらさらと衣擦れを響かせて、羽織と袴がわだかまってひだを作る。少しひんやりとして、すべらかな絹の感触に、「そういう」感覚を煽られる。
「色気って言うなら、僕は、君に振袖を着せて、悪代官ごっこがしたいなぁと思うけれど。」
「そんなこと言われてドン引きしない自分にドン引きですよ……!」
「変じゃないですか?」
戸惑ったように、背中の方を見ようとして身体をひねったり、足もとを覗き込んでうつむいたりしている綱吉は、仕立ての良い濃いブラウンのスーツを身につけている。艶のある生地は控えめなストライプ、古風な三つ揃えで、下はフルレングスではなくローティーンらしさを出したハーフパンツ。桜色のような薄いピンクのシャツに、彼の瞳の色を意識したのか、ネクタイは鮮やかなオレンジ。グレーのハイソックスには、ピンクのアーガイルが細くラインで一本、入っていて、シャツのピンクを繰り返している。
「すごく可愛い。」
「………………、」
腰をかがめて、少し細身のネクタイを、敢えてはずして大きめの蝶結びに仕上げながら、真顔で雲雀が言うと、少し頬を染めた綱吉は、複雑そうに唇を尖らせて黙った。その仕草がキスをねだっているように見えたので、軽く唇を重ねる。ちゅっ、とわざと音をさせると、綱吉は、もう、と怒ったような呆れたような声を出した。
「コートはこれ」
雲雀は持参した風呂敷包みの中から、ベージュのハーフコートを出す。ダッフルで少しカジュアルめに、裏地はシルクのバーバリーチェックで、前を開けて羽織らせる。雲雀が小学生の頃、親に着せられていたもので、色味が好まなかったので自主的に着たことはなく、カシミアの生地は新品のようになめらかだ。お古など嫌がるかと思ったが、綱吉は、手のひらで胸の辺りをさらりと撫でると、ふふ、と花がほころぶように笑った。
「ひばりさんの。」
「うん。良ければあげる。僕はもう着られないから」
サイズ的な意味で。
「………………うう、」
綱吉の着ているスーツは、キャバッローネの十代目、へたれの跳ね馬がクリスマスに贈ってきたものである。そんなものを恋人との初詣に着ようという綱吉に少し呆れたが、逆に言えば、跳ね馬のアプローチはまったく通じていないということで、溜飲が下がると言えばそうとも言える。ちなみに、雲雀も同じくらいの大きさの箱を跳ね馬からもらったが、包装紙すらそのままに、実家の納戸につっこんである。
「じゃあ、行こうか」
「あ、待ってください」
綱吉は財布を開けると、何かを確認して、うん、と頷いた。
「なに?」
「五円玉、あるか確認したんです。お賽銭に」
良いご縁がありますように、の願掛けは誰もがやることで、綱吉に他意はないのだろうが、ただでさえ彼を求める声は引きも切らないと言うのに、これ以上誰と縁を結ぼうというのか。一人で苛々している雲雀を見上げて、綱吉は恥ずかしそうに囁いた。
「今年も、雲雀さんとの縁が切れませんように。」
午後になっても人波の途切れない並盛神社の石段をゆっくりのぼる。はぐれないように手を繋いで。……とはいっても、大抵の者は雲雀の姿に気づけば、慌てて避けて行くので、本当は必要がない。それでも、何度も確かめるようにぎゅっと握ると、綱吉も同じだけぎゅっと握り返してくる。顔を見れば微笑んで、リボン結びにしたネクタイがゆらゆら揺れる。
社務所前で配っていたお神酒を、雲雀は二人分受け取った。
「お酒、いいんですか?」
枡を手渡されて、綱吉が、伺うような、不安そうな顔で訊く。
「縁起物だからね。」
言って、唇を湿らせる程度に口をつけて見せると、ようやくほっとしたように枡を口元まで持っていった。
ぺろ、と唇についた雫を舐める。清酒の甘い香りがして、酒精がさっと喉から鼻へ抜ける爽快感。美味い、と思うけれど同時に、かっと熱が起こる。雲雀が自主的に酒を飲むことはないが、数少ない飲酒の機会で、おそらく自分は酒に弱いのだろう、ということを自覚している。雲雀の目の下では、綱吉が眉を寄せながら、それでも顔色も変えずに、こくこくとお神酒を飲み干している。
「からーい。父さんはどうしてこんなの、たくさん飲むんだろ……」
対する綱吉は、どう考えてもいける口である。しかし、酒の味はわからないらしい。酒好きの父親に対してぶつぶつとこぼしている綱吉に少し笑って、雲雀は、枡にほとんど残っている自分の酒を、綱吉の枡へざばっと空けた。
「あっ……」
美味しくもない、と思っているものをさらに注がれて、綱吉が、憮然とした顔で雲雀を見上げながら、それでもごくごくと飲む。それを見ながら、この子が、僕が下戸だと気づくのはあと何年後くらいだろうか、と考えた。成人したら、酒を酌み交わすのもいいだろう。きっと雲雀は綱吉に潰されて、慌てた綱吉につきっきりで介抱されるに違いない。まぶたに浮かぶようで、雲雀が思わずくすくすと笑みをこぼすと、綱吉が怪訝そうに見上げてきた。
本殿の前はごったがえしている。賽銭箱を囲んでうごめく人の頭を見ていたら、雲雀はもうそれだけで無闇に暴れだしたくなった。新年の行事で仕方のないことだと耐える。
「っ、」
人に揉まれて、腕や肩、背中がぶつかるたびに、身を硬くする。雲雀は、群れが嫌いだ。もぞもぞとした有象無象に自分が呑まれて行くビジョンで、気分が悪くなるくらいに。
「雲雀さんっ、あとちょっとですっ」
ぎゅっ、と、顔色の悪くなる雲雀をはらはらした顔で見ていた綱吉が、突然、雲雀を後ろから抱え込むようにした。
「綱吉、」
雲雀よりも小さな綱吉は、雲雀の右肩の辺りから、無理に前を覗き込んで、よたよたと歩く。どっちみち、本殿へ進む参拝客は亀の歩みだ。危険はないが、後ろから細い腕にぎゅうぎゅうと拘束されて、窮屈で痛いし、何より歩きづらい。
「……ありがとう、」
けれど、雲雀の身体に触れる群れが、それで格段に減った。混雑は変わらないのに、これだけで呼吸がしやすくなった気さえして、自分の現金さに苦笑する。雲雀を人ごみから守る、という使命感に燃える綱吉は、可愛らしいやら頼もしいやらで、雲雀は、賽銭箱の前までの数メートルを、綱吉の好意に甘えることにした。
お参りを済ませ、風紀の見回りがてら、屋台を冷やかして、帰途に着く。これから、雲雀の家に行くのだ。元旦の風にさらされて、少し赤くなった手は、やっぱり繋がれている。
「雲雀さん、今年もよろしくお願いしますね。」
いまさらなんですけど、と頬を赤くしながら綱吉が言う。
「うん。僕も、よろしく。」
そういえば言ってなかったね、と雲雀も頷く。
「えへへ。」
繋いだ手を、ぶんぶんと振って歩く綱吉は、上機嫌だが。
「とりあえず、家へ来たら、着替えだね。」
空いた手を顎に当てて呟く雲雀に、えっ、と一転、不安そうになった。
「この服、やっぱりおかしいですか?雲雀さんのご両親に、笑われちゃいますか?」
「ううん、さっきも言ったと思うけれど、すごく可愛い。それに、両親は、三が日は挨拶回りでほとんど家にいない。」
お父さんもお母さんもいないんですか、綱吉はほっとしたような残念そうな微妙な表情を作る。その頭をふかふかと撫でてやって、そういうことじゃなくって、と雲雀は話を続けた。
「振袖。さっき言ったじゃないか。」
「………………………もしかして、あくだいかんごっこ、ですか」
両親はいない。繋がれた手を、逃がさないように、ぎゅう、と握る。綱吉の肩が跳ねる。
「日付が変われば、秘め初め、だしね。」
「ちょ、待ってください、まだ夕方にもなってないんですけど、」
「うん、時間はいっぱいあるね。楽しみだよね。」
今年も、くれぐれも、よろしくね。しっかりと指を絡め合わせて握った手に、ちゅっと唇をつけると、真っ赤になった綱吉は、うつむいて、随分たってから、はい、と静かに頷いた。
今年も、良い一年になりそうである。
あけましておめでとうございます(遅い)。
お正月更新もないのは淋しいけれど
まとまった文章も書けないということで
ブログにちょこちょこと書き足していた小ネタに
ちょっと尻切れだったので+αしました。
今年もこんないちゃついてるだけのひばつなを量産する所存です。
どうぞよろしくお願いいたします。
2010年1月13日
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