12月14日

 もともと人口密度の高い地域だが、観光のベストシーズンを迎え、見渡す限り人間の頭、といった様子である。観光客、地元民、何度も肩がぶつかる。雲雀の機嫌は地を這っているが、目的地がこの賑々しい通りのど真ん中なのだから仕方がない、と何とか耐えている。仕方がない、と言えるようになったのが、やっとここ数年の話だ。

 そこいら中に立ち並ぶ屋台から、揚げ油などの濃厚な食べ物の匂いがして、焼いた肉だとか麺類だとか揚げ菓子だとか、ふと、仕事と関係なくこのあたりへ来るなどと考えたこともなかったが、沢田綱吉を連れてきたら目を輝かせるのではないか、と考えた。彼と来るとしたら、どこへ行くか。何をするか。到底実現しないとはわかっていたが、考えるともなしに考えているうちに、人ごみをすり抜けて、ごちゃついた通りの中の小さなCDショップを危うく通り過ぎるところだった。今日の目的地である。正確には、CDショップの脇にある、小さな階段を下りた先の、穴蔵のような地下室だ。

「おやまあ、ひと目で誰かわからなかった!まるで真人間のような顔じゃないかね?」

 PCの冷却ファンのわずかな震動も、数が揃えばかなりの騒音である。無数のディスプレイが青白く照らす穴蔵の中で、ぼさぼさの黒髪に丸メガネ、変なプリントのTシャツに短パンとビーチサンダル、いかにも胡散臭い東洋人、裏社会に片足を突っ込んだ人間そのものの見た目を裏切って、流暢なクィーンズイングリッシュを操る男が、突っ伏していた新聞紙の上から顔を上げるなり雲雀を指差しわめいた。いつから新聞と抱き合っていたのか、額には繁体字が転写されてしまっている。

「風紀のボスが所帯を持ったって話は聞かないが、」
「僕も聞いたことがないね」
「捨て猫を拾って飼い始めたとか」
「何の話?」

 地上部のCDショップでかけられているチャイナポップスをBGMに、イギリス英語と日本語の奇妙な会話が続く。男は雲雀の顔をしげしげと見つめた。

「ヤンチャだったのは昔の話、今は一児の父です、てな顔してるぜ。まぁ興味はあるが今はそれどころじゃねぇ、仕事なら今度にしてくれよ」
「報酬なら用意はあるけど」
「別にあんたの金払いなんざいまさら心配しちゃいないよ、昨夜から腹が下ってんだ、商売道具の前に30分と座っちゃいられない」

 言いながら青い顔で席を立つ。行く先はひとつだろう。眉を寄せた雲雀は一つため息をつくと、黒いカバンの中を探った。壁の向こうから水の流れる音がして、男が戻ってくる。

「なんだ、まだいたのか」

 雲雀は無言で手の中のものを男に向けて弾いた。小さなピルケース。中身は、正露丸5日分、だ。

「……日本の薬は良く効くからありがたいがね、あんたがこんなもの持ち歩くなんて、やっぱり所帯でも持ったのかね?」
「さあね、気になるなら自分で調べたらいいだろう、情報屋」

 雲雀は肩をすくめると、男の前にDVDを一枚滑らせて、明朝来ると言い残して背を向けた。ここに来る道すがら何を、誰のことを考えていたのか言い当てられたようで、きまりが悪かった。