12月29日

 年内の最終出勤日である。今日の午後五時以降は緊急時以外は連絡しないように、と草壁にさえ言い含めてある。そう言うからには部下たちが「雲雀に連絡を取りたい」とは思わないように万全を期して仕事を片付けておく必要があった。早朝から書類を積み上げて、戦闘中同様とまではいかないがデスクワークとしてはこれ以上ない集中力を持って目を通していった。雲雀に付き合って今日は出勤してくれた草壁も頃合を見計らって茶などを運んでくれ、むしろ年明けの分のいくらかの余裕を持って書類仕事を終わらせて休暇に入ることができそうだった。

 ただ、いくらデスクワークをこなしたところで、どこぞで誰ぞが暴れている、という電話一本でうやむやになってしまう儚い休暇ではあったが。

 雲雀はぷるぷると首を横に振った。考えても仕方のないことを考える必要はない。

「哲、」
「はい。」

 決裁済みの書類を草壁が選り分け、それぞれ必要なところへ返す手配をする。積み上げた書類の山はすべて切り崩された。デスクの上はただ平野が広がっている。書類を決裁したのは雲雀だが、決裁するだけ、の状態にしておいたのは雲雀ではない別の人間の手だ。昔は、部下をねぎらうなどと考えたことはなかった。自分が頼んで従ってもらっている訳ではない、と。

「今年も世話になった。来年も頼む、」

 目元を緩ませて、強面の部下が笑む。この男も、娘が生まれてからずいぶんと、雲雀の知らなかった表情を見せるようになった。暦をめくるだけの日々のようで、世界は確実に、日を追うごとに変化している。

「こちらこそ、お世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いいたします」

 美しく背を伸ばしたまま、深く頭を下げる。相変わらずのリーゼントが揺れる。

 これで、雲雀の今年一年の業務は全て終了した。誰が何と言おうともう終わったのだ。

「くあ、」

 ぐっと伸びをすると、腹心は低い声で微かに笑って、どうかお風邪を召されませんよう、と言うと退室した。家に帰れば奥方の指揮の下で年の瀬の家事など手伝うのだろう。それとも既に、帰りにおつかいでも頼まれているかもしれない。ひらひら、と軽く片手を振る。そして、誰もいなくなった静まり返った執務室で、雲雀はデスクの引き出しを開けた。もうあちこち破れてきてしまっているアドベントカレンダーを取り出す。残る窓は、あと2つだ。

 ゆっくりと蓋を開ける。今日は、飴玉などと比べればずいぶん大き目のものが入っている。指を突っ込んで、ずるりと引き出した。着色もしていないなめし皮で作られた、シンプルなキーケース。素朴だが、何十年でも使えそうな堅牢さがある。ウォレットチェーンを付けられそうなリングもついている。雲雀の名にかけたものか、表にはちいさな鳥の羽根の模様がひとひら刻まれていた。手にとって、そして僅かな違和感があって首をかしげた。どうも鍵がすでに装着されているようである。ケースを開いてみる。

「あ、」

 ひらりと紙片がこぼれ落ちた。雲雀はしゃがみ込んでそれを拾う。書き込んである言葉は多くはない。

 あなたがこれを使わなくても
 持っていてくれたら嬉しい
 オレのエゴです

 はっとしてキーケースを見た。鍵は3本付けられるようになっていて、真ん中にだけ、もう鍵が下がっている。一度見たらなかなか忘れられない特殊な形状の鍵だ。ボンゴレ技術部が作った鍵、ボンゴレ]世の居住する、私室に通じる扉の鍵。網膜パターンの登録と、暗証番号の入力、そしてこの鍵がないと、沢田綱吉の住む部屋には入れない。沢田から、そして彼の家庭教師から、マスターキーが1つ、彼自身が使うスペアが1つ、家庭教師が持つスペアが1つ、その3本しか存在しないと聞いていた。

 雲雀は鍵を指に挟むと、執務室の照明にかざして透かすように見た。そうする分には、なんてことのない小さな金属片だ。ふ、と息を吐くと鍵をケースに仕舞い直して、スーツの内ポケットへ入れた。