12月30日の1

 ざっと片付けた私室を見回して雲雀は、ふ、と息をついた。「冬休み」一日目、沢田綱吉は今日まで仕事だ。職場に自宅があるのは果たして良い事なのか悪い事なのか、客を通すこともよくある広間や水回り等は毎日人の手が入って管理されており、本当に個人的な、八畳の二間続きになっている計十六畳の小さな私室は寝に帰っているだけだから、簡単にほこりを払えば自宅の大掃除は終了である。執務室と同じく、必要最低限のものしか置いていない。

 部屋の隅、壁に丸く切り取られた明かり採りの障子(ここは地下なのだから形式的なものだったが)の前に置かれた文机の上で、香港行きの時にカレンダーに入っていた古いお守りと、昨日入っていたキーケース、そして執務室からこそこそと持ち帰ったアドベントカレンダー本体がやたらとその存在を主張していた。

「………………、」

 温度、湿度とも完全にコントロールされた施設の中、真冬だというのにいつものはだけた着流しだけを部屋着として身につけていた雲雀は、掃除のためにつけた白いたすきと黒の前掛けをしゅるりと外してきちんとひとまとめにした。どす、と文机の前の座布団にあぐらをかいた。ぼろぼろのカレンダーに手を伸ばす。「30」の小窓。開けてしまうと、身の内に閉じ込めていた沢田綱吉の言葉を全て吐き出したカレンダーはいよいよ無残な姿に見えた。なんとなく、開きっぱなしになっていた他の小窓も全て閉じ直した。

 ヒバリさんは今年のお仕事は
 もう終わりましたか?
 なんて「君じゃあるまいし」って
 言われちゃいそうですね
 今日でオレの今年の仕事は終りです
 ぜったいに、ぜったいに、ぜったいに
 今日は17時で終わります!!

 雲雀は置時計を見た。既に15時少し前を指している。休暇初日、さすがに「朝」と言えるような時間には起きられなかった。文机と反対側の壁には欅のどっしりした水屋箪笥があり、一見アンティークの水屋箪笥に見えるが、中は冷蔵庫になっている。その中に、「年越し蕎麦にどうぞ」と言って草壁に持たされた草壁夫人特製の煮た鰊がどうみても一人分ではなく詰まったタッパーと、数日前、風紀の屋上で彼自身が集めた雪が入っている。ふん、とあごを撫でて鼻を鳴らした。そしてまず、キーケースだけを手にとって立ち上がり、丹前を羽織ると部屋を出た。

 雲雀の部屋から沢田綱吉の部屋へ行くのは、例の扉を開けるのが一番の近道なのだった。もちろん、そんなことをしたらアラートが鳴ってしまう。だからどうだ、という気持ちもあるにはあるが、監視カメラだらけの扉を開ければ誰の仕業かなんてすぐにわかってしまうし、ことが明らかになればあのヒットマンが暴れだすに決まっている。そうなれば沢田綱吉の仕事も今日中には終わらないだろう。面倒でも一度地上へ出て、別の入り口からボンゴレ日本支部へ入らなければならない。やれやれ、と息を吐いて、休み中も建物を守ってくれている守衛に声をかけて通用口からいったん外へ出る。

 からからと素足に履いた下駄を鳴らせば人目を惹きそうなものだが、この界隈で、この季節に、下駄を鳴らしている人間の正体など誰も彼もがよくわかっているので、視線を合わせてこようとする者はいない。腕を身頃に引っ込め袖を寒風に揺らし、雲雀は悠々と歩いた。365日24時間のコンビニ営業をしているボンゴレ日本支部は、静まり返った風紀とは違い今日も賑やかだ。忙しなくすれ違う若い構成員たちがびくびくと挨拶を寄越すのを特に反応もせず、最深部の沢田綱吉の私室を目指した。

 扉の前で雲雀はため息をついた。ここまで約10分。この巨大建造物の構想には雲雀自身関わっているし、必要があってこの構造になっているのだからどうこう言うつもりもないが、誰にも聞かせることなく雲雀の心のうちでのみ、自分と恋人の住居に関するごくごく個人的な感想を述べるのならば、隣に住んでるはずなのにどうしてこうなった、というところであった。この「隣に住んでるはずなのに」10分かかる、というのが地味にダメージを喰らうのである。

 所定の位置に立つと網膜パターンの読み取りが始まる。登録済みの表示が出るのにわずかに眉を寄せる。おそらくこの部屋の主が風紀から雲雀の個人情報を取り寄せて勝手に登録したのだ。扉に埋め込まれた液晶パネルの、暗証番号未登録、という表示にテンキーから適当な数字を入力して、袂からキーケースを取り出した。鍵穴に差し込めば、複雑な形状が内部で噛み合う確かな手ごたえがあった。網膜、暗証番号、鍵の3つが認証されたビープ音が鳴り、かこ、とあっけないほど簡単に開錠された。手を掛ければ、もちろん、扉は開いた。傷だらけの大理石を敷いた広いエントランスに下駄を脱ぎ捨てて、沢田本人と似た匂いの空気が立ち込める中へ足を踏み出した。

 部屋の主に招かれてもう何度も訪問している部屋も、雲雀一人で入り込むと何だか印象が違って見えた。部屋自体は、そこそこに散らかってそこそこに片付いていて、ところどころ埃が積もっている、いつもの彼の部屋である。といっても、前回ここへ来たのはもう3ヶ月ほど前のことだ。台所まで行くと冷蔵庫と冷凍庫の空きを確認し、目当ての調理器具が揃っているか確かめた。それから浴室脇の脱衣所へ行って、以前に置いていった自分の下着や着替えが保管されているのか確認した。何を持って来たらいいのか頭の中にチェックリストを作った。「隣に住んでるはずなのに10分かかる」から、往復は後もう一度で済ませたかった。