12月30日の3
沢田が腰タオルだけでふらふらと風呂から上がってきて、大変な目の毒だったが素直にそう言うのも癪だった雲雀はだらしがないと尻を蹴飛ばした。もごもごと言い訳したことには、雲雀とおそろいにしたいのだが、一着だけあるはずの作務衣が寝室のクローゼットにしまってあって、と言うのである。着流しと作務衣ではどこもおそろいではない、と思ったが、なにやら可愛らしいことを言い出した沢田の意気をわざわざくじくこともないだろう、と思い直して、湯気を立てる髪を拭ってやった。くっきりと浮かび上がった鎖骨を咬みたくなって目をそらした。
「おいしそう、」
少々埃の匂いのする作務衣を着た沢田が目を細めた。居間に据えられたこたつの一辺に、肉体労働の多いことが体型にも反映されている成人した男が二人、ぎゅうぎゅうと押し詰まっている。もうもうと湯気を立てる土鍋を前にグラスを手にしてようやく落ち着いた。雲雀が作った鍋の匂い、沢田が手にしているグラスのアルコールの匂い、それから風呂上りの石鹸の匂いが混じって、狭苦しくこたつに納まってどうしても触れ合わずにはいられないお互いの体温が、もう全身から緊張を放り出させて、張り巡らせたアンテナを端から折っていく。雲雀は子供の頃は、自分がアンテナを無くしてしまえると知らなかった。眠っていてもどこか意識が緊張しているのが自分という生き物であり、常に警戒を解かないことがプライドだと思っていた。隣に座っているこのチワワみたいな後輩が、何年かかけて雲雀までも座敷犬にしてしまった。それはとても気分のいいことだった。
「こんなことしてもらうつもりで書いたんじゃないんです。でも嬉しい、」
鶏団子のみぞれ鍋を小鉢に取り分けて、へにゃ、と眉を八の字にしながら笑って沢田が言うのは、「30」の窓の中に手紙と一緒に入っていた「招待状」のことだ。葉書くらいの厚さの名刺サイズのカードに書かれたそれは、結び文と一緒に折り曲げられていて、美しい装飾ごとくにゃくにゃになって入っていた。雲雀は袂から取り出してかかげて見せた。沢田は頬を赤くしてはにかんだ。
招待状!
ひばりきょうやさま
二人で忘年会しましょう
鍋の用意して待っています
30日 19時くらい
「僕の名前、漢字で書けないの、」
指に挟んでぺろぺろと振りながら意地悪く訊ねてやれば、ビールをぐっと喉に詰まらせて、微妙に目をそらした。
「か、書けますよ、けど間違ったら申し訳ないと思って」
辞書で確認する時間がなくて、とぼそぼそと言うのに、それを書けないって言うんじゃないの、と被せてやれば、書けなくはないです、と食い下がるから、はいはい、とぞんざいに頷いた。それにしても、と雲雀はこたつの上を見た。鍋の支度をしたのは自分だが、冷蔵庫には鍋の具になるものは全て揃っていて、鶏団子は既に練ったものがタッパーにいっぱい、沢田奈々の手書きの「鶏団子のみぞれ鍋の作り方」というメモと共に中央に鎮座していた。野菜も段ボールに入っていたのを出して切っただけだ。
「カレンダー、いつ作ったのか知らないけど、少なくともひと月は前でしょ、良く覚えてたね、君が」
学生時代は勉学に苦しんでいた記憶力に含みを持たせて問えば、雲雀さんに関することなら記憶力いいですよオレ、と臆面もなく答えられ、そういえば、とカレンダーに最初に入っていたカリカリ梅だとかゆずののど飴だとかを思い出した。
「なんてね、実は、カレンダーに入れたメッセージ、全部コピーしてオレも持ってたんです」
ぐいっとコップを干した沢田の頬は赤い。ザルを通り越してワクである沢田はビールの1リットルや2リットルでどうにかなるようなアルコール分解能はしていないが、年末の疲労もあるだろうし、おそらく、本能のところで、雲雀と一緒なら酔っ払っても大丈夫だと、箍が外れやすくなっているのだと、うぬぼれている。
「雲雀さんはオレのこと大好きだから、きっと毎日開けてくれるだろうって思ってました」
にっこり笑って言う額に、調子に乗るなとデコピンをお見舞いする。沢田は、雲雀さんのデコピンは痛過ぎます、と言いながら避けもせず、やっぱり機嫌よく笑っている。
「だから、雲雀さんが毎日、オレからのメモをどんな顔して読んでるかなーって想像してました。これはね、実は、雲雀さんにクリスマスプレゼントを渡したんじゃなくて、雲雀さんが1ヶ月間毎日、一瞬でもオレのことを考えてくれる、ていうプレゼントをオレが受け取るための、作戦だったんです」
だいせいこー!うふうふと崩れた顔で沢田が抱きついてきて、雲雀がそれを支えることは簡単だったが、勢いのままに床に押し倒された。そのまま興奮したチワワそのものの仕草で雲雀の胸にぐりぐりと頭をこすり付けてきたから、よしよしと撫でた。この1ヶ月を振り返れば、確かに彼の作戦は大成功だった。毎日、一度は彼のことを考えて、正直に言えば、考えても会うことが出来ないのは、淋しかった。
「準備に時間がかかったんじゃないの、いつから計画してたの」
「うーん、……雲雀さん、ひかないでくださいね?本当のこと言うと、……最初に思いついたのは、一年以上前なんです」
風呂上りの沢田からはもう先ほどのような異臭はせず、ふかふかに乾いた髪に思う存分顔を埋めて堪能しつつ、面倒くさがりの彼に似合わぬやたらと凝った演出について訊ねると、さすがに予想外だった返事があって、雲雀は思わず手を止めた。
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