12月30日の4
「本当はね、去年のクリスマスに雲雀さんにカレンダーを渡す予定だったんです」
すりすりと胸に顔を押し付けられたのは「もっと撫でろ」の意思表示だ。沢田を撫でぐり回すのはやぶさかではなかったが、その前に雲雀は再び袂に手を入れてキーケースを取り出した。
「時間がかかったのは、これの所為かい、」
ちゃり、と金具が鳴って、中から出てきた鍵が蛍光灯を反射して鈍く光った。雲雀の胸から少しだけ顔を上げて、伺うような上目遣いになった沢田はしばらく言いよどんでいた。雲雀が片手で沢田を撫でるのを再開すると、うっとりと目を細めて小さくため息をついた。
「……雲雀さんはもう、その鍵を受け取って使ってくれたんだから、言っても構わないか、」
ひとりごとに近い響きだった。今更返せと言っても返さないよ、と雲雀が答えれば、オレも返すと言われても受け取らないですよ、と返事があった。せっかく雲雀さんが作ってくれたんだから、鍋、食べましょう、といってごそごそと起き上がる。風紀と同じく、温度も湿度も管理されているはずなのに、沢田が離れた胸が急に寒くなった。
「そもそも、雲雀さんに鍵を渡すこと自体、迷っていたんです」
取り分けた鶏団子を口にして、冷めちゃいましたね、と情けなさそうに笑う。猫舌の雲雀にはちょうどよかった。空になっていた沢田のグラスにビールを注いでやった。雲雀は自分が飲まないから、沢田が飲んでいる時には付き合えなくて悪いという意味も込めていつもそうしている。その度に沢田が、雲雀さんのお酌でビール飲めるなんて、と感激の面持ちで美味そうに飲む。
「何だか束縛するみたいで、……うっとおしがられたらどうしよう、とか、」
むしろもう少し執着してくれてもいいんじゃないか、と思っている雲雀が、合鍵を喜ばないわけはないが、言わなければわからないこともあるか、と、ふむ、と考えて、雲雀は、口にすれば陳腐にしかならないだろう台詞をあえて口にした。
「君になら束縛されたい、」
かあ、と一気に顔を赤くした沢田が、ひばりさぁん、とまた抱きついてきた。倒れていては食事が進まないので今度は押し倒されなかった。
「雲雀さんが今日この鍵、使ってくれて、オレがぴんぽん鳴らしてどのくらい嬉しかったかわかりますか」
すんすんと鼻をすすっているのはまあ、演出であろう。ぽんぽんと背中を叩いて、箸で口元へよく火の通ったしいたけを運んでやれば、あーんとひな鳥のように食べる。
「それから鍵自体も、」
「マスターキーと、君が使ってるのと、赤ん坊が使ってるのと、三本しかないって聞いてるけど」
もぐもぐと食べる様子が可愛らしかったので、雲雀は続けて豆腐も食べさせた。上気した顔ではふはふと頬張っているのをじっと観察した。
「合鍵を作ってもらおうと思って技術部に行ったら、型を廃棄したから無理だって言われて、」
お返しのつもりなのか、沢田も半分に割った鶏団子を箸で差し出してくる。熱い、と言うと、唇を尖らせて吹いて冷ました。皿にとってしばらく放置されて、さらに半分に割られた鶏団子が口に出来ないほど熱いわけがない。ただ沢田が雲雀のために「ふーふー」するのを見たかっただけだ。
「まさか、作らせるのに一年掛かったの?」
「さすがにそれは。技術上、複製は不可能だそうなんです。玄関ごと取り替えるしかないって。すごいセキュリティですよね」
守られているのは自分なのに、沢田が暢気な口調で他人事のような賛辞を述べる。しかし、実際に今雲雀の手元に鍵はあるわけで、それじゃあ、ともう一度目の前にかざしてみた。
「リボーンに、返してもらいました」
マスターが自分のところへ来たのか、と思っていた雲雀は予想外の答えに目を丸くした。沢田が14歳の頃から、あの殺し屋の赤ん坊にどれほど依存してきたか、身にしみた忌々しさと共に、よく、知っている。
「……よく許したね、」
色々な意味を込めて、ただそれだけしか言葉が出なかった。沢田が赤ん坊に依存しているのは、赤ん坊がそれを許しているからで、雲雀と沢田の関係とはまた違うが、ある意味相思相愛の師弟なのである。
「本当は、マスターをボンゴレで管理してるから、リボーンに鍵を渡す必要はもともとなかったんです。ただ、マスターキーが1つ、合鍵が2つって言われて、あの時のオレにはリボーンしか思い浮かばなかった。」
どこか遠くを見るように言って、またビールを飲み干す。500mlの缶が空になって、お酒に変えましょう、いいのが買ってあるんです、雲雀さんも一口、と沢田はしがみついていた雲雀から離れてキッチンカウンターに立った。
「やっと親離れ?」
わざと、少しからかうように訊いてやれば、食器棚からぐいのみを取り出していた沢田から、苦笑とも照れ笑いともつかない低めの穏やかな笑い声が聞こえてきた。
「頼る相手がリボーンから雲雀さんになっただけなんじゃ、って思わないでもなかったですけど」
「僕は君を助けたりしないけど、」
「嘘ばっかり、」
どうぞ、と笑いながら勧められた冷酒はすっきりしているのに口当たりが良くて、簡単に喉を通ってしまう。かっと胸に熱が溜まるのを感じて、自分はもうじきに正体不明になってしまうだろう、と雲雀は考えた。
「制度としては「結婚」はオレたちにはないですけど、段階の一つとして雲雀さんに渡したかった、」
沢田奈々に紹介されて「一生一緒にいる」と宣言された、その延長上にこの鍵があるということだった。ふとおかしくなって雲雀は笑った。もうアルコールがまわり始めていた。
「指輪は最初にもらっちゃったからね、」
「オレが用意したんじゃないですけどね、」
困ったように笑う沢田の唇は冷酒で濡れて光っていて、誘われるようにそこにキスした。雲雀はこの部屋に「ただいま」と言って入ることができるようになったのだった。
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