「雲雀さん、見てください!あっちの雲、すごい色」
 べったりとくっついた雲雀にうるさくないように、小さく歓声を上げて、綱吉が遠くの空を指差す。むくむくとした夏の雲に夕日の色が乗って、ばら色、紫色、灰色、紺色、橙色が混ざり合って、金色の沈み行く太陽を透かしている。夕空も雲も、綱吉が大好きなものだ。そこには雲雀を連想させるものがたくさんある。
「君の炎みたい。きれい」
 しかし雲雀には夕空と雲は、綱吉を連想させるものであったらしい。暑くて、それなのにくっついているから、だらだらと汗をかきながら、嬉しそうに笑う。ぐりぐりと頬ずりする。一部始終は目の前の職員室に筒抜けである。教員達は先ほどから、静まり返っている。「雲雀と沢田が親しいって知ってましたか」「いや」汗ではなく冷や汗をだらだらと流して、せわしなく無言の会話が行き交う。雲雀が時折、ちらり、と視線を投げて寄越すのがまた、恐ろしい。担任をはじめ、2年A組に受け持ちのある教員は先ほどから青い顔で、明日から沢田綱吉をどう扱うのか、対応に頭を悩ませている。あの雲雀恭弥に親しい友人なんてものがいたとは。しかもそれが2年A組の「ダメツナ」だなんて、予想外もいいところである。そもそも、あの異常な密着具合は、友人の範疇を軽く越えている気がするが、どうか。ぐるぐると悩みながら、恐ろしさに目を離すことができず、見守る教師達の前で、ついに雲雀の手が綱吉のあごにかかった。くい、と上を向けられるのに、ぽ、と頬を染めて、一応、きょろきょろと周囲を確認してから、大きな目がまぶたに隠される。闇の気配がする夕暮れの校庭、落ちる夕日、吹き抜ける風、本人達にはこれ以上ないシチュエーションであろう……ギャラリーにはたまったものではないが。雲雀のもう片方の腕がぐっと綱吉の腰を抱いて、顔が近づく。ごく、と職員室内では、恐怖とか好奇心とかそういう何かを飲み下す音が響く。

 教師からも恐れられる鬼の風紀委員長が、決定的に校内の風紀を乱すまで、あと数センチ、というところだった。
「ぅおーい、ツナーぁ!」
 グラウンドの方から恐れを知らぬ何者かが、大きく手を振りながら走り寄って来る。教員達の中でも知らぬ者はいない、並中野球部の星、山本武だ。山本武と沢田綱吉の友情については、既に職員室でも有名である。いかにも体育会系らしい空気の読まなさで、明らかにいい雰囲気な雲雀と綱吉に、高速で近寄ってくる。2人はぱっと離れた、というか、綱吉が雲雀をもぎ離した。
「山本!お疲れー!麦茶飲みなよ」
 赤い顔で早口で、綱吉がずいと突き出した、紙コップの縁ぎりぎりまで注がれた麦茶を、山本は何の屈託もなく受け取って、一息に飲み干す。雲雀はすぐ脇でむっと唇をまげて、恨みがましく山本を睨んでいるが、気づいていないのか気にしていないのか、野球部の星はのん気に「おかわりくれー」などと笑っている。
「オレが一番乗りだけど、このあと部の奴らが2人くるぜー」
 めんつゆの瓶と割り箸を見つけて、てきぱきと勝手に準備しながら山本が言うのに、綱吉は首をかしげた。
「野球部は3人しか来ないの?」
 大勢で押しかけられても困るが、さっきの廊下で、綱吉が声をかけた時の反応を見る限りは、もっと何人も来るのだと思っていた。
「いやさ、オレらみたいのがたくさん来たら嫌だろ?特にヒバリは。だから、サーキットトレーニング10周、上位3人までが流しそうめん食いに来る権利獲得、って監督に決めてもらったのな」
 サラダを紙コップに山盛りにしてやって手渡す。竹に流すホースの水量を多くする。
「じゃあ、山本、1番だったんだ!さっすがー!」
 はしゃぐ綱吉が、今までとは違い、強い水流にのせてどさっと大量の麺を流すと、山本も何の苦もなくそれを取って、ずぞ、と大口ですすりこんだ。さすが板前の息子と言うべきか、普通にはありえない量のそうめんを一度に口に入れているのに、ちっとも汚らしい印象を受けない。豪快かつ見事な食べ方である。
「お腹減ってるよね。めんつゆも薬味もまだあるし、たくさん食べてってよ」
「先輩達の分がなくなんねー程度になー」
 あっはっは、と笑いあう、2年A組3バカトリオの3分の2に、いい雰囲気だったところを押しのけられた挙句、放っておかれた雲雀のムカツキが頂点に達した。
「雲雀さん?どうしたんですか」
 ずかずかと綱吉に近づいて、真正面に立つ。
「あっ、返してください、まだ山本が、」
 腕に抱えたそうめん入りのボウルと菜箸を取り上げ、食料置き場のブルーシートの上にがしゃんと置く。
「ちょっと、雲雀さ、んー!むう、んんー!!」
「……目の毒なのなー」
 それから雲雀は、さっき中断させられたいちゃつきの続きを、一方的に、思う存分、再開した。目の前でばっちり目撃してしまった山本が、赤くなって目をそらす。そらした先では、職員室の窓から、なんとも言えないどよめきが漏れていた。センセー達もかわいそーに、と思いながら、しかし食べるのはやめない山本は、かなりの大物である。
「あ、先輩、お疲れーッス」
 サーキットトレーニングを2位で上がってきた3年生が、思いもかけないものを見せられて、蒼白になって立ち尽くしているのに、ひらり、と手を振って近寄っていく。
「オレそうめん流すんで、先輩は食ってください」
「な、あれ、し、舌が、舌が、」
 豪腕の名外野、試合中の冷静な判断では右に出る者がいない、15歳にして既にいぶし銀のような渋さを身につけているはずの先輩が、大丈夫かと背中を撫でてやりたいほど取り乱して、舌が、舌が、とうわごとのように呟いている。そのごつい指が指し示す先、何やら粘度の高い水音がする方を見ないようにしながら、めんつゆの入った紙コップと割り箸を、先輩の震える手に握らせる。
「先輩、あんまり見ないほうが」
「あ、そ、そ、そーだな」
 すぐに3位通過のエースピッチャーもやって来て、野球部の星が3人、やたらといやらしい鼻声をBGMに、もくもくとそうめんを食べた。聞こえない、何も聞こえない、と念じながら。

 辺りは少しずつ暗くなってきた。雲雀は、ぐったりして唇を腫らした綱吉を膝に乗せ、狩りを終えた雌ライオンのような顔でくつろぎ、ご満悦である。合間合間で結構食べているので、腹もくち、身も心も充実、といった態だ。綱吉は、ううー、と意味を成さないうめき声を時折上げている。雲雀の膝から逃れたいのだが、力が入らず、雲雀がライオンなら綱吉は生まれたばかりのインパラ、といったところだ。もぞもぞと逃げ出そうとして、そのぎこちない動きを「可愛い」と、あごをひと撫でされては、がくん、と雲雀の膝に引き戻されている。
「じゅーだいめぇぇぇぇぇぇ」
 と、校門のほうから、ちらちらと光が近づいてくるのが見えた。ライトを持った獄寺である。光も闇もあいまいな薄暮だというのに、綱吉のこととなれば人外の力を発揮する彼は、綱吉がぐったりと雲雀に身体を預けているのがはっきり見えているのか、ヒバリてめー、十代目になにしやがった、と物凄い剣幕で怒鳴りながら、猛ダッシュで近寄ってくる。
「あ、ご、獄寺くん、どうだった?UFO見つかった?」
 綱吉は先ほどの山本の反省を生かし、雲雀が拗ねてとんでもないことをしでかさないように、膝の上に座ったまま獄寺に声をかけた。今日は獄寺は、こんな日こそ宇宙人と交信するには絶好の日和です!と言って、授業が終わるなり綱吉が修行していたあの山へ出かけていたのだ。
「それが、全く手ごたえがなくて……そんな神秘的なとこがやっぱ宇宙人の凄ェとこッス!」
「そ、そう、残念だったね。でも獄寺くんが楽しそうで良かった……今日暑かったけど、ちゃんと水分とってた?ぬるくて悪いんだけど、麦茶たくさんあるよ」
 膝の上からでは用意も出来ない。目線でやかんと紙コップを示すと、ありがてーッス!いただきます!とごくごくと麦茶を飲み干した。
「ほんとは、獄寺くんにも流しそうめん食べてほしかったんだけど、ちょっと、オレ、いま、立てなくて……」
「た、立てないって、大丈夫なんスか!?オイ、てめーヒバリ、てめーが付いていながら、十代目を何て目に遭わせやがった!」
「……僕が立てなくしたんだけど」
「あぁ!?」
 ぼそっとこぼした雲雀の呟きに、青筋を浮かべた獄寺が詰め寄るのに、いやいやいや何でもない何でもない!と綱吉が慌てて割って入る。
「か、軽い暑気あたり?か、かな?」
 えへ、と笑いながら上目遣いに誤魔化せば、獄寺は何故かかあ、と頬を染めた。雲雀はそれを不愉快そうに一瞥する。
「へえ、ふうん、そうなの?そんなに熱かった?」
 抱きかかえられたままにやにやと笑われて、綱吉はぐっと肘鉄を入れた。これはセクハラに対する正当防衛である、と心の中で言い訳をした。
「ちょっとのびちゃったけど、そうめんはまだあるから、獄寺くん良かったら食べていってよ。今から部屋に帰ってご飯のしたくするんでしょう?」
 山本とは違って、獄寺はそんなに食べるほうではない。この暑い中、山まで行っておそらく歩き回って戻ってきて、さらに帰って1人で夕飯を作って食べるなら、ここでそうめんとサラダを食べていけば、帰ってからはごく軽いもので済むはずである。
「雲雀さん、このボウルに水を入れてきてください!」
 ブルーシートの上であぐらをかいた雲雀の膝の上に乗っていた綱吉は、うんしょ、と這ってそこから降りると、そうめんが残ったボウルを雲雀に手渡して、堂々と命令した。野球部3人、職員室、下校しようとしていた生徒達、公衆の面前で腰が立たなくなるほどのディープなべろちゅーをかまされた綱吉は、ちょっぴり怒っている。あくまで、ちょっぴり。
「はいはい、」
 逆に機嫌の良い雲雀は、それが獄寺隼人のためであるにもかかわらず、不満も言わずにそれに従った。他の者が見たら驚愕の光景だったが、獄寺は色々と盲目だから、さすがは十代目ッス!ときらきらと見ているだけである。
「どうぞ?」
 どがん!とたっぷりの水にそうめんが泳ぐボウルを、雲雀が獄寺の目の前に乱暴において、びしゃ、と水がはねた。しぶきが獄寺にしかかからないのが嫌な器用さである。てめえ、と一触即発の気配のところを、た、たくさん食べてね?と小首をかしげた綱吉が割って入って事なきを得た。雲雀を、昼ドラの姑みたいだ、と思ったのは絶対に秘密だ。
「いただきまっす!」
 ばちん、と獄寺が手を合わせるのに、綱吉がこっそりと笑う。獄寺は以前は食べる前にそんなことを言ったりはしなかったのだ。けれど今は元気よく言う。山本のそれに似ている。何だかんだと言っていても、やっぱり友達なのだと嬉しくなる。そんなに慌てて食べないで、サラダもあるよ、めんつゆ注ぎ足す?とあれこれ綱吉が世話を焼く横で、雲雀がちょっかいをだして、獄寺に、時には綱吉に、きゃんきゃんと吠えられている。それはまるで、若い夫婦と思春期の息子の図だったのだけれど、残念なことにそれを指摘できる人間がここにはいない。

 獄寺が食べ終わる頃には、辺りはもう随分と暗くなっていた。片付け、手伝いましょうか?と綱吉だけに言う獄寺に、首を振る。
「大丈夫だよ、明日の朝やるって、先生たちにも言ってあるから……獄寺くん、今夜、UMAの特番観るって言ってなかった?そろそろ始まっちゃうよ」
 綱吉と雲雀を暗くなった校庭へ2人、残していくのは抵抗があるのだ。しかしそれは獄寺の感傷に過ぎない。真面目な話、並中の中で雲雀が一緒なら、それ以上安全なことはないし、綱吉の貞操という点なら、そんなものはずいぶん昔に捨て去られている。わかってはいるが、別に恋愛感情はなくたって、綱吉を雲雀に取られたようで嫌だというだけだ。
「獄寺くん、また明日」
 柔らかく微笑まれたら、獄寺にはもうそれ以上抗う理由はなくなってしまう。
「……ハイ、また明日」
 気をつけてね、と綱吉に見送られて、紫から紺へ、色づいたような夕暮れの空気の中を、獄寺が帰ってゆく。

 紙コップや割り箸を、並盛町指定のゴミ袋へがさがさと投げ入れる。ぴょろぴょろと落ちている乾いたそうめんやきゅうりの切れ端も、ざっざと掃き清める。ブルーシートはホースの水で簡単に流して、渡り廊下の手すりにかけて干した。ボウルは洗って返すから、応接室から持ち出した備品と一緒にまとめておく。今日の片付けはここまでだ。いきれが抜けた心地よい夜風が、さやさやと笹飾りを揺らす。その向こうには、星が輝き始めていた。今夜の主役達がようやく登場だ。何となく空を見上げたまま、目が離せなくなってしまった綱吉の隣に、ほうきを片付けて戻ってきた雲雀が立った。
「……どれが織姫と彦星なのか、わかんないです」
 町明りでぼんやりと白く、大きな星がいくつか、かろうじて見える程度の夜空を指差して綱吉が言うのに、雲雀が低く、くくっと笑った。
「まだ見えないよ。たぶん、あそこ、あの家の向こう側くらい」
「え、そうなんですか」
「真夜中頃、真上に見える、かな」
 なーんだ、とがっかりした様子のほっぺたを、白い指がつんつんとつつく。
「ほら、応接室に戻るよ。カバンも置きっぱなしだろう」
「はい、」
 洗い物を入れたボウルやサランラップを抱えて、暗い廊下を歩く。消火栓の赤いランプ、非常口の緑のランプがぼんやりと照らす廊下は、笹を持っていった時とは違い人気はなく、当然ながら静まり返っている。無言でいても気まずさはなく、楽しいことをやった後の、心地よい疲れがある。応接室の扉が見えて、くぁ、と雲雀があくびをもらしたのにつられたように、綱吉は口を開いた。
「雲雀さん、今日すごく、楽しかったです。ありがとうございます」
「……礼を言われるようなことじゃないよ」
 それはただの謙遜ではなかった。綱吉はわかっているのか、それを聞くと「しかたないなぁ」という顔に崩れた。
「今日、いろんな人にわざと、み、見せつける、みたいにしたの、オレの気のせいじゃないですよね」
「うん。……だって今日は、空の上でいちゃついてる夫婦がいるから、宇宙規模で風紀が乱れてるなら、もう何したっていいじゃない」
「すごい理屈、」
 くすくすと笑う。施錠していた応接室を雲雀が開けて、中に入った綱吉が明りをつける。給湯スペースの流しに洗い物を置いて、ざばざばと洗い始めたすぐ脇に、雲雀がタオルを広げて置いてくれる。そこへ洗ったボウルなどをふせておく。
「もともと、君に気軽に触っていいのは僕だけだって、周知を徹底したほうがいいっていうのは、前から思ってた」
「…………周知よりもむしろ、羞恥を持ってほしいんですけど……」
 使い捨ての食器が多かったから、洗い物などほとんどない。そうこうしているうちにすぐ、きゅ、と蛇口をひねる音がして、綱吉がぴっぴっと指を振って水を払う。雲雀はそれをたしなめるように見て、首にかけていたタオルを取ると綱吉の両手を包んで拭いた。上気した頬が、ふにゃ、とはにかんだ笑いを見せる。
「明日からきっと、噂になりますよ」
「いや?」
「オレはもともと、悪い噂しかないですから」
「僕との噂は、悪い噂なの、」
「悪いかどうか決めるのは、オレじゃなくて噂する人ですよ」
 タオル越しに包まれたままの手を引き寄せ合って、身体が近くなる。こつ、と汗ばんだ額が重なる。
「今日は僕んちに泊まりに来なよ。夏の大三角形を教えるから」
 唇を顔中あちこちに触れ合わせながら雲雀が言うのに、真夜中頃、という先ほどの言葉を思い出して、オレにその頃、雲雀さんの部屋の窓から空を見上げるような余裕なんてあるのかな、と思いながら綱吉は笑った。
「オレ、もう、今日は最初からそのつもりで、母さんに、雲雀さんちに泊まるからって言ってきちゃいました」
 それを聞くと雲雀は、本当に嬉しそうに笑って、綱吉のおでこの真ん中に、ちゅっ、と音のするキスを一つした。
「じゃ、帰ろう」
「はい」
 応接室の明りを消して、手をつなぐ。教師ももう数人しか残っておらず、校舎は静まり返っている。ゆうら、ゆうら、と繋いだ手を歩調に合わせて揺らして、綱吉がちいさな声で歌う。普段、沢田家の子供達と一緒に、風呂で歌っているものだから、とても気分がいいこんなときは、無意識につい唇からこぼれてしまう。

 さーさーのーはー さーらさら

 雲雀は別にそれをからかったりはせず、ただ穏やかに、低い声を重ねるから、綱吉の足取りはもう、スキップでも始めそうだ。

 のーきーばーにー ゆーれーる

 真っ暗の廊下に、窓から外の明りがぼんやりと差し込んで、夜が足元にわだかまっている。

 おーほしさーま きーらきら
 きーんーぎーん すーなーご

 ごーしーきーの たーんざく
 わーたーしーが かーいーた
 おーほしさーま きーらきら
 そーらーかーら みーてーる






これで終りです。
ここまで読んでくださってありがとうございました。

2010年9月5日