どおん、とさして離れていない場所から、石造りの重厚な建造物が一部吹き飛んだと思われる爆発音、轟音が響いた。綱吉は元は白かったスーツの腕を額にかざし、音のした方向を窺う。ついでに汗とほこりにまみれた額も拭う。一張羅の、会談や会食や、ボンゴレ外の人間と会う重要な会合にしか着ない純白のスーツは、もう煤けて全体に灰色っぽく、ところどころ赤黒かったり真っ黒だったりかぎ裂きが出来ていたりする。最初から、今日という日をこのお出かけ用スーツを駄目にせずに過ごせるとは思っていなかったが、あまりの惨状に、というより、惨状が目立つことに泣きたくなる。綱吉個人の好みとしては、ブラウンにピンストライプのものが顔に合うし血も埃も目立たないので一番なのだが、ボンゴレの総意として、]世のイメージ戦略は「純白」、無垢、慈愛、浄化、といった方向で推したいらしい。誰の話だ。綱吉本人が一番、心の底からそう思う。
イタリアの田舎、個人所有の、丘陵地に建てられた堅固な城と広大な庭、そのあちこちで、黒煙が上がり、火の手が上がり、カスケードが吹っ飛び、砂煙が舞っている。戦況の全体像の把握が難しい。盗聴防止機能のついた通信機はしばらく前にノイズ交じりになったと思えば、すぐに電波が途絶えてしまった。ジャンニーニの発明は斬新で革新的ではあるが、チューニングが甘いのが実用には難である。しかも戦場で役立たずになっても、おいそれと捨てたりすれば技術の盗用を恐れる技術部に大層怒られるので、帰還するまで持っていなければならない。非常に面倒だ。
ふと、ぼろぼろのスーツの胸の内ポケットがわずかに震えた。この衝撃と粉塵の中でジャンニーニの通信機よりもけなげに役割を果たしている携帯電話、バイブレーションのパターンはメールの受信である。見なくても差出人はわかっている。
「ずいぶん余裕ぶっこいてんじゃないですかっ」
悪態を吐いた瞬間、うなじがちりちりとして冷や汗が出た。身を隠していた物陰から飛び出す。ごがん、と景気の良い音がして、美しく緑を萌えさせていたはずの、今は跡形もない、イタリアの歴史ある幾何学式庭園を手入れするために在ったのであろう木造の納屋が爆発した。
「遠隔攻撃とか聞いてねええええぅえっ、げほっ、いったた」
飛散した藁と木片が綱吉の顔面を襲った。口や鼻に入る程度ならいいが、小さな木切れが目を掠めたようでぼろぼろ涙が出てくる。しかし構っている暇もなく、片目で銃弾の嵐をくぐり抜けてひたすら走る。リングや匣を持っている者はほぼいないと確認済みで、向かってきた黒スーツの集団を鞭の一撃でなぎ倒す。ついでに自分の顔はハンカチで覆って、しばらく戦闘不能になるガスの類を、懐から出したカプセルでばら撒かせてもらう。今までに戦闘不能状態にした黒服たちの人数をざっと計算すれば、敷地内に隠れていた私兵はこれでほぼ全滅、のはずだ。
(あなたたち、群れているからいけないんですよ)
彼の人のように言ってみたいが、ボンゴレ的に障りがあるので口には出来ない。もう面倒になって、両手に炎を灯すとこの城の主が居るはずの三階まで一気に飛んで窓を蹴破った。と、綱吉の手勢で突入した者はまだ居ないはずなのに、大理石の床の上に踏むのが恐ろしいような美しい絨毯を敷いた廊下は死屍累々といった様子だ。はあ、と肩を落として大きなため息をつく。そして今度は、すう、と大きく息を吸うと、額と両手の炎をいっそう強く、澄んだ輝きに燃え上がらせた。作戦前に叩き込んだから城の内部は頭に入っていたが、それよりも直感で一直線にある一室を目指した。
(ここだ、)
繊細な装飾が施された巨大な扉の前に一度立ち止まり、それからふっと脇へ避けた。その瞬間に、轟音を立てて扉が吹き飛んだ。質量さえありそうな紫の炎が噴出している。構わず、綱吉自身も火柱を立てると室内へ突っ込んだ。間髪居れず、びゅ、と首を狙って来る鋼鉄の武器、そう、トンファーを、紙一重で避けた。
「やっぱりあんたか!そう、わかってたけどね!知ってたけど!!」
二撃、三撃、髪の一筋を、あるいはタイの端を、飛び散らせながら何とか避けて隙を窺うがそんなものはありゃあしない。城の中の幹部たちを一人で片付けて、最上階でラスボスよろしく宝物を守っていたドンもおそらく瞬殺して、ここへ来るはずの綱吉を待っていた戦闘狂、綱吉の記憶が間違っていなければ綱吉の守護者であるはずの、雲の属性、雲雀恭弥は、なぜか大変な上機嫌で炎を纏ったトンファーをぶん回して綱吉に襲い掛かってくる。完全に殺す気だ。そんな雲雀に、綱吉如きが全力を出さずに立ち向かえるはずがない。部屋を満たす炎は橙と紫がぶつかり合い、きらきらと花火のように火の粉が散る。こんなときでなければ見蕩れるほど美しい光景だ。振りかぶり、いなし、蹴りを受け、炎を放つ。狭くはない部屋の隅に、血の泡を吹いて倒れている壮年の白人男が見えた。
「げっ、まさか殺っちゃったんですかっ」
「さあね、確認はしてないけれど」
部屋としては広いが、バトルフィールドとしては狭い、そんな場所でそんな場所なりの戦い方がある。壁や天井を足場に使い調度品を粉砕するような戦闘に切り替えた綱吉に、雲雀は舌なめずりしながら目を細めていて、綱吉は隠さずに舌打ちした。この気違いの戦闘マニア。
「雲雀さんっ、これは]世としての仕事です!どいてください!」
「いやだね。君、これを壊すつもりだろう?」
ひらり、とスーツの内側をめくって見せた、一部分が不自然に膨らんでいる。匣と指輪が入っているはずだ。
数年前、綱吉は匣とリングの使用をやめるよう、全ボンゴレファミリーと同盟のファミリーに「お願い」した。もちろん、反発は並みのものではなかった。人間兵器だとも揶揄されるようなボンゴレだからこそ、弱小ファミリーの事情も知らずにそんなことを言うのだと、耳に痛い糾弾もされた。それでも、世界一の規模といわれるボンゴレのトップが頭を下げて回ったのには効果があったようで、また取引に色々な権益をちらつかせたのもあり、ここのところはボンゴレ立会いのもとで封印したり処分したりするファミリーも随分増えていたのだ。
しかしそうなってくると今がチャンスとばかりに武力増強に走るファミリーがあるのも、その気持ちには頷ける。綱吉は再三再四に渡り、平和的な「お願い」を繰り返した。日本生まれの日本育ちで未だ若いボンゴレ]世を侮ったそのファミリーは、首を縦には振らなかった。見せ付けるように小競り合いさえ起こして見せ、多数の怪我人が出た。
ただ没収するだけならば、目立たない服装で真夜中に来て盗み出せばいいのだ。来る人間も、綱吉よりは、隠密行動に長けた門外顧問のバジルかその弟子かの方が、よほど上手くやってくれる。けれどそうしなかった。綱吉がわざわざ真昼間に、しかもど派手な純白のスーツを着て、これ見よがしに橙色の大空の炎を灯してやって来たのは、「オレの「お願い」を平和的に聞いていただけないのならこういった手段もとらせていただきますよ」というえげつない脅し、みせしめに他ならないのだった。
匣はともかく、リングは大概が各ファミリーに伝わる由緒のあるものだから、封印にとどめて破壊することはほとんどなかったが、みせしめであるのならば、破壊しなければならない。死者を一人も出さずに。どのみち嫌味な嫌われ役だ。
「がっ、は、」
息があるのか、ないのか、倒れている男に意識を反らした瞬間を狙って、トンファーが腹に決まった。戦闘の前はいつも固形物を摂らないようにはしているが、それでもさっき飲んだスポーツドリンクをまき散らしながら綱吉は壁に叩きつけられてめり込んだ。二撃目が来る前に無理やり身体を引き抜いて構える。身動きが取れないまま昆虫の標本のように突き刺されるのはまっぴらだ。
「よそ見しないでよ」
チェシャ猫のように吊り上げていた唇をむっとへの字にして、体重がまったくないみたいに簡単に軌道修正をして雲雀が向かってくる。トンファーが取れれば溶かすなり凍らせるなりできるだろう、といちかばちか、綱吉も頭から突っ込んだ。雲雀がフェイントで蹴りを入れてくるのは長年の付き合いでわかっている。頬を掠めて切り裂きながらかわし、トンファーに向かって手を伸ばす。が、届かない。めったに接近戦をしない綱吉は、今、自分がさっき浴びた木片によって片目をほとんど閉じているということと、それによって起こる遠近感の狂いを失念していた。
「ぐあっ」
ほぼノーガードで頭部に打撃を浴び、歯で舌をかなり大きく切って、なすすべも無く吹っ飛んだ。なんとか意識は落ちずにいるが脳震盪で朦朧として右も左もわからない。衝撃で首をやったようで、頭を動かすことも出来なかった。ざりざりざりと破壊され散らかった室内を雲雀が近寄ってくる足音だけが何とか知覚できる。がん、と左右のこめかみの脇にトンファーを突き立てられ、さらに腹の上に馬乗りになられて、がふ、と血と唾液の混じった液体を大量に吐いた。額の炎が消えた。
「大勢の人間を背中にしょって、できないことをするんじゃないよ、甘ちゃん」
身体的に喋ることはできなかったが、言葉もなかった。それでも何とか言おうとして、自分の血にむせて咳き込んだ。
「……その目、どうしたの」
「さっ、き、納屋、爆破、したの、あなた、でしょ、っ」
「木っ端を浴びたの?どこまでバカなの」
雲雀は胸ポケットから染み一つない真っ白のハンカチを取り出して、背を曲げ綱吉の顔を覗き込んで埃や血や胃液や唾液や涙を丁寧にぬぐった。
「じっとしてな、」
それから綱吉の、異物が入って真っ赤に充血した方の目の、下まぶたを親指で少し引っ張って固定して、右左、上下、と角度を変えて覗き込むと、あった、と小さく呟いて、れろ、と舌を出した。
「う、あっ」
熱くてぬるぬるしてもったりした肉の塊が、潤んだ眼球の表面を撫でる。強く押し過ぎないように、けれど汚れは全て拭い去るように、丁寧に隅々まで、少しざらついた熱くて柔らかいものが粘膜を覆いつくして、綱吉は「じっとして」と言われたにも関わらず、びくびくと数回、小さく身体を跳ねさせた。雲雀は怒りはせず、ただ喉の奥で低く笑った。
「甘いね、いつも。傷つけないでよ、僕の気に入りなんだから」
ぺろりと舌なめずりをして熱い感触が離れていくのに綱吉は呆れではないため息を吐きながら、あなたこそ馬鹿なことを言わないで、と強がりを言った。雲雀の唾液の違和感が強くて何度も瞬きをするうち、痛みと異物感は無くなり普通に両目を開いていられるようになった。
「完敗です、オレの」
「まあ不満もあるけれど、良い誕生日祝いをもらったよ」
雲雀の言葉に、綱吉は片手で額を覆って天井を見た。ああー、と低く唸った。
「どうしてオレが言う前に自分で言っちゃうんです」
「覚えてたんだ?」
くっと意地の悪い笑みを浮かべて腹の上から尋ねてくる雲雀を、綱吉はぎっと睨みつけた。
「そんな顔してもね?」
くすくすと笑いながら雲雀が何か紙切れを綱吉の胸ポケットへねじ込む。
「ここは風紀が介入させてもらう。匣とリングはもらった。戦闘は、あんまり集中していなかったのは不満だけど、これで我慢してあげよう」
見下ろして、それだけ言うと立ち上がって背を向けた雲雀の背中をただ見送る。くそっ、という低い悪態は届かない。歯軋りをしてみても今は立てそうになかった。何であんな男を恋人にしたんだろうか、もう十年も胸のうちで繰り返してきた何度目かわからない問いを、また自分に問いかけた。
「あーあ、」
そろそろと身体を動かしてみる。首が鋭く痛む。まだ頭は上げられないが、次第に全身の感覚が戻ってきて、綱吉は胸ポケットへ入れられた紙片を取り出した。ボールペンの走り書きは文字数も多くない。ホテルの名前らしき横文字と、部屋番号と思われる3桁の数字が書いてあるだけだ。雲雀の宿泊場所に違いない。
「ここへ来いって?」
行ったら何をさせられるのか、ナニに間違いないだろう。雲雀が、いってしまった綱吉の首や、どう考えても青黒くなっているであろう少し力を入れただけで痛む腹、ざっくりと切って独り言にも苦痛が伴う舌だって、気を遣うことなどあるわけがなく、考えるだけで恐ろしい。震え上がっていると、ばたばたばた、と豪華な廊下を走ってくる複数の足音が聞こえてきた。おそらく獄寺と部下だ。慌てて紙切れをポケットにしまい直す。
「……あーあ、」
それでも綱吉は、獄寺に必要なことを告げたらここを抜け出して、シャワーを浴びて着替えてケーキを買って花束を買って、そこへ行ってしまうのだろう。雲雀の生まれた日を祝いに。何故かどうしても上がってしまう口角を無理やり押し下げて苦虫を噛み潰したような顔で、綱吉は床に転がったまま獄寺を待った。
遅刻ごめんなさい(いま6日の03:42)
こんなタイトルをつけておいて
書くときに聞いていたのはYUIのCHE.R.RY
謝辞:
萌えネタくださったSさん
日付変更前に励ましてくださったYさん
御礼申し上げます。
2011年5月6日
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