「ところで君、のこぎり使ったことあるの」
あちこち乱れた作業服(頑張ってもみの木を探したからだ!そうだ!それ以外にない!)を、風邪を引かないようにきれいに直し、いつの間にか空になっていたお弁当箱をナップサックにしまって、オレが少々ふらつきつつ立ち上がると、腰にさげた鞘からのこぎりを抜いた雲雀さんが、刃を確かめるように軽く指でなぞりながら訊いてきた。太陽は少しずつ傾き始めている。
「ほとんどない、です。」
隠してもしょうがないので、正直に申告する。そもそも、オレが知っているのこぎりといえば、よくある四角い薄い、両側に刃のついているやつで、雲雀さんが今持っているような、細長くて片側にしか刃のついていない植木屋さんみたいなのは、触ったこともない。本当なら、家で父親と工作をしたり、学校祭で展示物を作ったりで、何度か使ったことがあるのが普通なんだろうけど、父さんはああだったし、学校祭の準備なんて混ざったことないし、技術の授業はさぼってたし……、原因はほとんどオレ自身か。
「まあ、もみの木はそんなに硬くないから、なんとかなるよ。はい。」
自分の過去の行いを思い出して、とほほ、と肩を落としていると、雲雀さんが刃先をこちらへ向けてのこぎりを寄越してきた。まるで突きつけられてるみたいだ。さすがにオレでも知っている、刃物を人に向けちゃいけません!
「それはまず山本武に言うべきなんじゃない。」
ごもっとも……いや、それとこれとはちょっと違うような気が。
「軍手してね。」
「手袋してますけど、」
「汚れるから。それ、捨ててもいいのならそのままでもいいけど。」
「……じゃ、使わせてもらいます。」
木の幹は土もついていないし、そんなに汚くなりそうには思えないのだけど、雲雀さんが勧めるまま、渡された古い軍手をつける。オレにはぶかぶかで、父さんが軍手をはめていた手もとを思い出して、あまりの違いにちょっとへこむ。ぴろぴろと指先の余った手で何度か握ったり閉じたりしてみる。雲雀さんは華奢そうに見えるのに、やっぱり薄汚れた軍手をはめた手は、父さんほどではないもののしっくりとはまっていた。
「雲雀さん指先余ってない……」
思わず恨めしげにオレが言うと、雲雀さんはふふん、と鼻で笑いながらオレの軍手をぐいぐい下に引っ張った。
「君は拳を使うから、まあそのうち、ぴったりになるかもね。もしかしたら。」
自分は大きいと思って!
「笑っていられるのも今のうちですよ!すぐに成長期が来て、雲雀さんなんか追い抜いちゃうんですからね!」
むっとしたオレは人差し指を突きつけて叫んだけれど、
「へぇ?そしたらお姫様抱っこでもしてくれるのかな?楽しみだね」
今は雲雀さんには勝てそうになかった。くそう、頑張れ、オレの父さんの方の遺伝子!
ごし、ごし、のこぎりを動かすたびに音はしても、おがくずがなかなか出てこない。小さな切り口から、つん、と木の匂いがする。入浴剤とかの「森の香り」をもっときつくしたみたいな感じだ。
「引くときに切れるから、押すときは力を入れないで」
雲雀さんは木が倒れないように、手で幹を支えていてくれている。が、今のところはその支えも必要ないほどしか切れていない。のこぎりを引いて戻す、それだけの動きなのに、じわじわと汗がにじんでくる。
「もみの木、がっ、そんなに、かたくない、って、ほんと、ですかっ」
全然切れない。ぎこぎことのこぎりを動かしながら、途切れ途切れにオレが尋ねると、暇をもてあましてあくびをしていた雲雀さんは、うん、と頷いた。
「腐りやすいから、棺おけとか、卒塔婆につかうんだよ。」
「かっ、……えええ、」
クリスマスツリーなのに!いや、仏教に関係ないけど!そんな豆知識知りたくなかった。母さんには絶対言えない。ロマンも何も台無しだ。
「これ、って、トンファーで、たお、したら、いっぱつ、なんじゃ、っ」
だんだん、落ちるおがくずの量は多くなってきてはいたけど、眠そうに木を支えている雲雀さんを見たら何か言いたくなって、そう言ったら、雲雀さんは間髪いれずに否定した。
「針葉樹はだめだよ、嫌だよ針葉樹は、」
しかも二回言った。
「脂でべたべたになるじゃないか」
「やに?」
「知らないかい。バレリーナがトゥシューズにつけたりするだろう。べたべたするやつ。」
「…………バレリーナ。」
何か今、雲雀さんの口からとは思えない単語が聞こえたような。
「………………観ない?バレエ。今の時期ならくるみ割り人形とか。」
「………………残念ながら」
たいがいの男子中学生はバレエ観ないと思う。もしかしたら獄寺くんは観たりするのかもしれないけど、山本は確実に観たことないはず……え、だよね?観ないよね?でも雲雀さんは観るってことか。えええ、常識とかじゃないよね!?
「あっ」
考え込んでいたら、余計な力が抜けたのが良かったのか、いつの間にか切り終わっていた。とん、と雲雀さんが押すと、障害物の少ない方向へばさばさと音を立てて倒れる。じんとしびれる手のひらを開いてみると、軍手は真っ黒だ。握って開くと、ぺたぺたした感触がある。
「これがやにですか?」
「そう。厄介だよ。」
嫌そうに顔をしかめる雲雀さんは、もしかしたらやにとトンファーにまつわる思い出があるのかもしれなかった。ここへ来た時に言われたように、気になることはなんでも訊けばいいのかもしれないけど、とりあえず。
「とったどー!!って気分です。」
「うん。沢田が見つけて切った、沢田のツリーだよ。」
「雲雀さんのおかげです。ありがとうございます!」
ぺこっと頭を下げてお礼を言うと、雲雀さんは唇の前でひとさし指をたてた。
「まだだよ、うちに帰るまで。」
「『うちに帰るまでが遠足です』?」
「そういうこと。」
そう言って微笑む雲雀さんは、やっぱりいつもとちょっと違う。よく笑って、たくさんしゃべる。この場所がそうさせてるのかな。
「じゃあ、これを持って、帰ろうか。」
「はい。雲雀さん、オレ、またここに、遊びに来たいです。」
その時の、一瞬目を見開いて、それから、花が開くみたいに、にこっと笑った雲雀さんの顔は、オレの中で上書き禁止の永久保存版にしておこうと思う。
2008年12月25日
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