音楽室は大きな窓から射し込む日差しのおかげで、暖房がなくてもあったかい。昼休み、オレと山本と獄寺くんは、昼ごはんを持って避難してきていた……クラスの女子から。もともともてている二人なのだけど、クリスマスが間近だからか、ここ何日かはみんなの目の色が違う。オレは、ガッツのある女の子たちは元気で可愛いなー、そういえばハル元気かなー、なんて思って見ていたのだけど、それは他人事だからだったようで、これじゃあゆっくり昼ごはんも食べられない、と閉口する二人に連れられてここまで来たのだった。贅沢な悩みだと思うけどなー、と呟けば、時々雲雀さんのことで相談に乗ってもらう山本には、ツナはひとのこと言えねーって、と言われてしまった。

「獄寺くんは、クラシックしか弾かないの?」
 空の弁当箱を袋にしまって手を合わせると、目の前のグランドピアノが自然と目に入る。軽い気持ちで話を振ると、勢い込んで、いえ十代目がお望みならJ-POPでも演歌でもなんだって!と詰め寄られて、思わず後ろに下がる。近い、顔が近い!
「一番慣れてるのはクラシックですけどね。何か弾きましょうか?」
「いいの?じゃあせっかくだから、ええと、何かクリスマスっぽい曲が聴きたいな」
 リクエストの半分くらいは、離れて欲しいから、という理由もある。ごめんね獄寺くん。でも近すぎて怖い。
「まかせてください!」
 ポケットから白いハンカチを出してピアノの上にひろげて、指にいっぱいついた重そうな指輪を外してゆく。身軽になった白く骨ばった指で銀髪をかきあげて、優秀な頭の中にしまってある楽譜を引っ張り出しているらしい、考えに沈む横顔は、文句なしに綺麗で格好いいのに。
「十代目に捧げます!」
 ばちんとウィンク。
「そこの野球バカは十代目のおこぼれにあずかれる幸福に感謝しろ!」
 山本には歯をむき出しに怒鳴る。ああ、綺麗で格好いいのに……黙っていれば……
 獄寺くんは一度座ってから立ち上がって、椅子の高さを合わせるとまた座り、まず一番下のドから一番上のドまで、じゃらららららららら、と両手で弾いた。そして今度は、一番上のドから一番下のドまで、じゃらららららららら、と戻ってくる。
「おおー…」
 隣の山本が小さく歓声を上げる。うん、これだけでオレたちにはじゅうぶん凄いことだ。あんなに早く指を動かして、何で絡まっちゃわないんだろう。ぽかんと見とれるオレたちをよそに、ぐーぱーぐーぱーと軽く指を動かして、まったく気軽に、ふわっと白黒の四角の上に指が乗ると、もう音楽が始まっていた。穏やかで、優しくて、素朴なんだけど、綺麗なメロディ。
「あ、オレ、これ聴いたことある」
「オレもあるぜー」
 少し切なく盛り上がって、最初のメロディに戻って、指が離れると、余韻を残して日差しに溶けるみたいにして、消えた。
「……もっとハデな曲の方がよかったですかね」
 照れたように頭をかく獄寺くんの言葉で、口を開けたままだったオレは我に返って、慌てて拍手した。
「ううん、すごくよかった!曲は綺麗だし、獄寺くんはかっこいいし、見とれちゃった!女子が騒ぐのも仕方ないよー」
 山本もうんうんと頷いている。獄寺くんは顔を真っ赤にして、そんな、お気を遣わないでください!と首を振った。正直に言ったんだけど(正直に言い過ぎてちょっと恥ずかしいくらいだ)。
「いまの、何て曲?」
 獄寺くんは一瞬だけ面食らったような顔をした。
「……『主よ、人の望みの喜びよ』、」
「しゅ、……ひと?」
 長いタイトルはオレの頭には一度では入ってくれない。
「賛美歌です。日本だと結婚式でよく使うらしいですね。」
 そういえば、いつぞやのビアンキとリボーンの結婚式でかかっていたかもしれない。
「賛美歌かぁ。リボーンが、イタリアには教会がたくさんあるって言ってたっけ」
 その時に、宗教と政治の話題はタブーだ、と言われていたにも関わらず、オレは友達に対する気安さと、日本人的宗教観で、イタリアで生まれ育ったんだから、と何の気もなく獄寺くんに訊いてしまった。
「獄寺くんは、クリスマスはミサに行ったりするの?」
 そしてすぐに「あっ」と思った。獄寺くんの顔がこわばった。
「いえ、」
 すぐに否定すると、一度うつむいて、もう一度顔を上げたときには、もう表情が違っていた。
「……神様なんて、どこにもいないっすよ。」
 その顔は確かに笑顔の形になっているのに、どうにも笑っているように見えない。悲しそう、とも怒っている、とも似ているけれど、違う顔だ。見ているこちらが悲しくなる顔。不意に、オレの頭にフラッシュバックするものがあった。母さんだ。小さなオレが肩車して欲しいとねだったとき、父の日の宿題の「おとうさんのにがおえ」が描けなくてこっそり破って捨てたのがばれたとき、街なかで家族連れを見たとき。そしてついこの間も、父さんが今年のクリスマスも年末年始も帰って来られないとわかったとき、母さんもこんな顔をした。そう、何かを、諦めた顔だ。
「獄寺くん、」
 クリスマスは家族と過ごす日だ。獄寺くんの家族。ばかなことを訊いた。後悔してもどうにもならなくて、どうしたらいいかもわからなくて、とりあえず声をかけてみたけれど、獄寺くんはもういつもの、オレに見せるにかっとした笑顔に戻っていた。
「神なんかより、オレは十代目を崇拝してますから!教会には行きませんよ」
「す、崇拝はしなくていいから!でも、じゃあ、25日のクリスマスパーティーには来てね、山本も」
 だからオレも、いつも通りの反応をした。
「もちろんです!」
「おー」
 それから獄寺くんは、「もっとにぎやかなのがいいですね」と、ものすごくかっこいい「赤鼻のトナカイ」を弾いてくれた。ジャズバージョンだと言っていた。




2008年12月26日