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「で、この話の流れで、なんでオレのシャツの中に手を突っ込む必要があるんですか?」
「さあ、どうしてだろうね?」
 重ねあっていた雲雀さんの手はいつの間にか離れて、いつも出しっぱなしのシャツのすそから侵入を果たし、オレのわき腹の辺りをさまよっている。そのことにようやく気づいて指摘すると、さりげなかった動きはかえって露骨になって、頭を撫でてくれていた方の手も参戦してきた。
「んん、ちょっと、雲雀さん、」
「うん?」
 変な話だけれど、雲雀さんに、シャツの中に手を突っ込まれるのは慣れている。雲雀さんは冷え性なので、冷えた手を温めるのに、オレの背中やお腹を触りたがるのだ。冷え切った手で触られるオレとしては、心臓が止まりそうでたまったもんじゃないけれど、雲雀さんの手はこんなにも冷えてるのか、と思うと何かかわいそうで拒否しきれない。だけどここは、室内だ。しかも、程よく暖まった。さらに、暖を取るときとは違って動き回る手は、あばらを数えるようになぞってみたり、へそをくすぐったりと、挙動が不穏なことこの上ない。
「ええと、あの、獄寺くんは、……あと山本も。友達、ですよ?」
「そうだろうね。よくもまぁ、群れるよね、君は。」
 へそから、身体の中心を上に向かって、鎖骨のところまで人差し指でつーっとたどられる。シャツがみぞおちの辺りまでめくれあがって、ひんやりした空気が肌に触ると、さあっと鳥肌がたつ。
「あ、乳首たってる」
「寒いからです!!」
 力いっぱい言うと、にやにやした雲雀さんがそこを触ろうとするので、オレは服の上から慌てて止めた。
「っ、ご、獄寺くんは、オレのこと友達とは思ってないかもしれないけど、でも、恋でもないですよ?」
「そうだね。恋愛感情の方がまだ、わかりやすくて良かったかもしれないけど。」
 うなじに顔を埋めて、ふんふん、とにおいを嗅いだ雲雀さんは、れろ、と舐めた。
「ひい!」
「もうちょっと色気のある声だせないの、君。せっけん変えた?」
「あ、き、きのう、間違えて、ビアンキの使っ、舐めないで舐めないで、舐めないでくださいったら!」
「くだものみたいな匂いがする。おいしそう」
「子供じゃないんだから、何でも口に入れないで、あっ、んっ、や、ひ、ちょ、ひばりさん!」
 急な展開についていけなくて、パニックになる。自分で聞いてもせっぱつまってる、と思う声になった。
「友達、恋愛じゃない、そうだろうね、わかっているよ。でも理性と感情は別だと思わない?」
「んん…………」
 それはオレにもわかる。オレだって、毎日やきもち(そう、雲雀さんは嫉妬しているのだ!)をやいている。たとえば草壁さん。雲雀さんに一番信頼されているし、一緒にいる時間は誰よりも長いはずだ。了平お兄さんは、何と雲雀さんに対して、友人という地位を築いている。ものすごい偉業だ。オレにはムリだ。それからディーノさん。雲雀さんは強い人が好きだ。口では冷たいことを言ってるけど、実のところ、ちゃんと師匠として慕っているんじゃなかろうかと、オレはにらんでいる。一番気になるのがリボーン。オレは付き合いはじめたばかりのころ、もしかして雲雀さんはリボーンと会うためにオレと付き合ってくれているんじゃないだろうか、という疑いがなかなか捨てられなかった。もちろん、彼らと雲雀さんの関係は、オレと雲雀さんの関係とは違う、ということもわかっている。だけど、雲雀さんが誰かのことを気にかけていれば、オレは気にせずにはいられない。それは、オレが雲雀さんのことをとても好きな以上、どうしたって仕方のないことだ。ただ、不条理だということもわかっているので、口にはしないだけで。
 だから、雲雀さんの言うことはよくわかるのだけれど、オレの身体をまさぐりながら、そんな平然と言われても、よくもしゃあしゃあと、と思うだけである。
「だ、誰か来たら、どーすんですか!」
 草壁さんが出て行ったときのままのはずだから、鍵はかかってない。
「草壁も帰ったし、こんなとこに誰が来るっていうの」
 自分で「こんなとこ」言うか。
「え、ちょ、タンマ!ほんと、待って、」
 ついにベルトのバックルに手がかかる。
「ぁん、に、にぎるのも、ダメ、です……!」
 リーチだ。落城寸前だ。どうするオレ!
 と思っていたら、廊下からけたたましい足音が聞こえてきた。雲雀さんの手が止まる。応接室の近くで廊下を走るなんて、どこの勇者だ。でも救世主だ。思わずオレも動きを止めて足音を聞いていると、叫び声まで聞こえてきた。
「おーい、ツナー!ヒバリー!」
 ……山本だ。勇者だ。
 声とともにばたばたと足音が近づいて、この部屋の前で止まった。
「開けるなー?」
 遠慮がちに半分ほど開いた扉から、泥だらけの練習着を着た山本が、上半身だけをもぐりこませて、うかがうようにこちらを見る。
「お、よかった、セーフ?」
 服の上からだけど、雲雀さんの手が思いっきりオレの股間をわし掴んでいるので、オレ的にはアウトと言いたいけれど、たぶん山本の位置からは、デスクとパソコンにさえぎられて見えないんだろう。
「何の用?」
 オレをがっちり抱え直した雲雀さんが、不機嫌そうに口を開く。
「なんかヒバリ、おもちゃ取られたくない子供みたいなのなー」
 からからと笑い声。雲雀さんの腕がどんどん強くなる。山本は勇者かもしれないけど、救世主ではなかったみたいだ。頼むからすみやかに用件を言って山本……!
「あのな、イチャつくならカーテンひけよー。グラウンドから丸見えだぞ」
 ………………う、
 ぎゃー!?
 悲鳴は声にはならなかった。赤くなればいいのか蒼くなればいいのか、口を開けたまま固まったオレをよそに、雲雀さんは冷静だ。
「背中くらいしか見えないだろ」
「でもヒバリが誰かとイチャついてる、てのはわかったぞ。ツナのこと知ってる奴なら、ツナだってこともわかるぜ、髪の毛で。まだ気づいてる奴いないっぽかったけど、オレが気になってチラチラ見るもんだから、先輩に何見てるんだって訊かれてよー、こりゃまずいと思って教えに来た!」
「……つまり君が悪いんじゃないか。」
「でも時間の問題だと思うぜ。暗くなってきたらこの部屋明るいからもっと目立つだろーし」
 じゃあな、カーテンひけよー、ともう一度言うと、来た時と同じく、ばたばたと足音を立てて山本は帰っていった。
「廊下を走るんじゃないよ……まったく」
 オレはまだ固まったまま、立ち直れない。「気づいてる奴いないっぽかった」ってほんとだろうか。ほんとであってほしい。雲雀さんの膝から降りることも思いつかなくて、ぐるぐる考えていると、さて、と雲雀さんが言った。
「カーテンを閉めて続きをする?」
「……っ!」
 そんなの、山本に「いまここでいかがわしいことをしてますよー」と言ってるようなものだ。ぶんぶん、と首を横に振ると、雲雀さんは案外あっさり手を離してくれた。そっと膝から降りて、窓から見えないところまですばやく避難する。
「もう暗くなるし、帰るかい?」
 そんなオレを見て、笑いながら訊ねる雲雀さんに、今度は、こくこく、と首を縦に振る。振りながら、誤解しているようなことはないとは思うけれど、それでも言わずにはいられなくて、オレはやっと喋ることができた。
「あの、別にオレ、雲雀さんとそーゆーことするのが嫌って訳じゃなくて、誰か来たりとか、外から、み、見える、から……」
 ごにょごにょと、下を向いていると、雲雀さんも立ち上がってこちらへやって来た。
「うん。じゃあ、キスしてくれる?」
 それを聞いて、「その『じゃあ』はつながりがおかしいですよ」なんてツッコミは、もちろんしなかった。オレはまず、出入り口まで走っていった。扉の前、そこでくるっと回れ右して、背中をつける。これで、内側に向かって開くこのドアは開かない。ここなら、窓からも見えない。
「ここまで来てください。」
 ゆっくり近づいてくる雲雀さんをどきどきして待つ。もちろん、恐怖ではなく、期待で。目の前に立った雲雀さんの腰に手を添えると、少し引き寄せる。
 ……こんちくしょー。
「届きません、」
 笑ったら咬んでやる!と思ったけれど、雲雀さんは、おや、と言っただけで腰をかがめてくれた。目線を上げると、目の前に雲雀さんの顔がある。少し目を伏せて、でもまぶたも唇も、閉じきってはいない。まじめな顔で、オレを見ている。
「そんなに見ないでください、」
「やだ。ねえ、早くしてよ。」
「寄り目になりそう……」
 顔が熱い。視線が気になって、オレも目を開けたまま、顔を近づける。軽く開いた唇と、そこからちらりと覗く歯と舌を見たら、何だかのぼせてしまいそうだったので、雲雀さんの目に映っている自分の目を見た。
 ちゅ、と上唇に軽く吸い付く。ふにふに、と感触を確かめるように食む。まだ目を見合っていて、雲雀さんのまばたきにつられて、オレもまばたきする。触れるか触れないか、ぎりぎりのところをまつげがかすめていく感じがくすぐったい。下唇には、かぷ、と軽く歯を当てる。雲雀さんの弾力を、歯ざわりで覚える。ぺろ、と舐めて、口の端に唇を押し当てる。はあ、と息をついたのはオレと雲雀さんのどちらだったのか。ふ、と雲雀さんのまぶたが下りたので、オレは両手を首に回して、唾液で濡れた唇をそこにも押し付ける。右、左、と口付けていると、早く、というように口が開いて、ぬらりとした赤い舌が揺れる。オレはそこでやっと目を閉じて、唇をあわせた。
「ん、んん、っふ、」
 待ちかねたように迎えてきた舌に、自分の舌をそっと触れさせる。熱い。ねっとり絡めると、緑茶の香りがする。オレはいつから、味がするようなキスができるようになったんだろうか、
「あ、」
 口はふさがっていたので、実際に聞こえた音としては、「ま」と「が」の中間みたいな音だったけど、とにかくオレは、突然思い出したことがあって、キスの最中に、あ、と言った。
「………………、」
 少しの間があって、唇が離れる。濡れた皮膚がひんやりする。少し頬を赤らめた雲雀さんは口元を手の甲で拭ってため息をついた。オレはよだれをたらしてしまって、くしゃくしゃのハンカチをポケットから引っ張り出して、慌てて拭いた。
「ご、ごめんなさい」
「………………何」
 半眼が怖い。いやあの、わざとじゃないんです。でも思い出しちゃったんです。
「あ、あの、言うの忘れてたんですけど、キスで思い出したんですけど、あの」
「さっさと言いな」
「ああああの、24日のデート、模擬戦、しません、か……?」
「もぎせん、」
 そして目をまん丸にした雲雀さんは、とても可愛かった。




2009年1月21日