風が吹いて、枯れ草が波のようにざあざあ揺れる。市街地からちょっと離れた河川敷は、突っ立っていると、耳がちぎれそうなほど寒い。当然、周囲に人影は全くない。今日は、12月24日、クリスマスイブだ。オレは北風にもかき消されないくらいわくわくした気持ちで、雲雀さんを待っている。待ち合わせの時間よりもまだ十五分早い。学校にはいつも遅刻ギリギリにしか行けないのに、雲雀さんと待ち合わせるといつもフライングになってしまう、自分の現金さをおかしく思う。
「あれ?」
寒くてじっとしているとつらいのと、楽しみでどきどきしているのを紛らわすために、腕をまわしたり、ぴょこぴょこ飛び跳ねたりしていると、風と、風が揺らす草の音に混じって、うっすらと何か聞こえた。何か……歌?
「……ヒサーシークー マチーニーシー シュハキマセリー シュハキマセリー、」
もろびとこぞりて、だ。
「ヒバード!」
強い風にふわふわと浮き沈みしながら、まん丸の黄色い小鳥がオレの頭の上をぐるぐると回りながら歌う。
「久しぶりだなー、おまえ」
「キーヨシー コーノヨルー」
オレが言うのを聞いているのかいないのか、クリスマスメドレーは止まらない。レパートリーは豊富なようだけど、雲雀さんが教えたんだろうか。
久しぶり、と言っても別にヒバードがどこかへ行ってたわけじゃなく、単にオレが、朝は時間に余裕がなく、日中は授業を受けているから、姿を見ることができないだけだ。夕方は応接室にいるみたいだけど、日が短いこの季節、鳥目のヒバードは早々に眠っていて、わざわざ起こすこともない。
「おまえ、ええと、「主よ、人の望みの喜びよ」って歌える?」
この子が喋るからと言って、別に人間の言葉を理解しているわけではないんだろうけど、それでもつい話しかけてしまう。オレはやっと覚えることができた賛美歌の名前を挙げた。
「……歌えないよ。」
遠くから、よく響く声。まさかのヒバードからの返事、なわけはない。
「雲雀さん、おはようございます」
見上げれば、堤防の土手をあがったサイクリングロードに、大きな風呂敷包みを持った雲雀さんが立っている。細身のジーンズに黒のハイネックと、黒革のライダース、足はショートブーツだ。中学生なのにバイク乗りファッションを違和感なく着こなしているところがちょっと怖い。堤防の道はバイク乗り入れ禁止だけど、近くまで乗って来たんだろうか。
「おはよう。待たせたかい?」
「早く着き過ぎちゃったんです」
風呂敷包みをその場に置くと、黒い革手袋の手首の金具をはずす。ディーノさんがあげたっていう例のやつだ。白くしなやかな手首とそれを包む黒い革の対比、そして、少し首をかしげながら、顎の高さの辺りまで持ってきた手首から金具を外すその仕草が、やけに色気があって、オレは少し視線をずらした。雲雀さんの足もとに置かれた風呂敷包みを、なんとはなしに見る。
「僕ももう少し早く出るつもりだったんだけど、仕込みに手間取ってね」
風呂敷包みの上に手袋が落ちる。
「仕込み?……って、ぎゃああ!」
手袋が、ぱさ、と音を立てた瞬間、わずか数歩の助走で土手の上から雲雀さんが跳びかかって来た。冬の鈍い陽射しをちかり、と反射するトンファーを目の端で捉えながら、辛くも避ける。空を切ったトンファーは枯れ草をひと束、散らした。あれがオレの頭でもおかしくない。不意打ちに心臓がばくばく暴れて息が切れる。それでも背中は見せずに、とりあえず1動作では届かないところへ距離をとった。
「あああ、びっくりしたあぁっ、もう、雲雀さん、ルール忘れてないですよね!?」
「直接殴る蹴るは減点、だろう。忘れてないよ。」
5メートル以上は跳んだように見えるのに、体勢も乱さず構えなおした雲雀さんは、舌なめずりをして、にい、と笑う。あああ、本当に嬉しそうだなぁ……彼氏として喜ぶべきか悲しむべきか。
「何、君、こんな攻撃に当たるつもりだったの?」
「避けた自分をほめたいですよ!」
クリスマスプレゼントに、雲雀さんが喜ぶものをあげたかったオレは、一生懸命考えた。雲雀さんは、オレと戦ってみたいとよく言う。でもオレは雲雀さんとは戦いたくない、というか、戦えない。雲雀さん相手に、本気で炎を灯すことができない。十年後の雲雀さんに鍛えられた時のように、どうしても、という状況になればできるのだろうけど(そんな状況にはなりたくないけど)、ちょっとやってみましょうそうしましょう、という風には、どうしてもできない。オレという人間が、臆病で、痛いのは嫌いで、平和なのが一番、という風にできているからだと思う。そんなオレが、闘争本能が服を着て歩いている、というか、食べるとか、眠るとか、そういうことの延長上に、トンファーを握るということが存在する雲雀さんと、じゃあ戦いましょうと言ったところで、瞬殺されるのは間違いない。そんなことになれば、オレは痛いし、雲雀さんはおもしろくない。じゃあどうするか。
「わっ」
危険信号。
頭を少し横にずらした瞬間、びゅんと耳もとで鋼鉄が鳴って、こめかみの髪が数本散る。
「だからっ、あ、たるって、ぎゃ、ひいっ」
「避けてるじゃない」
言いながらトンファーをぶん回す雲雀さんは、多分、オレがギリギリで避けられるように撃ち込んでいる。遊ばれているのだ。準備体操?
「オレ、まだ、死ぬ気になってない、ですけどっ」
「それ、実戦で言う気?」
言えないですけど!
接近戦にされてしまっては、死ぬ気丸を飲むチャンスがない。でもこのまま、丸腰でただ避け続けてるだけじゃ、すぐに追い詰められてしまう。オレはジャケットの懐に手を突っ込んだ。しっかり掴んだそれを、斜めに跳ね上げるように薙ぐ。すぐに見切られてしまうだろうから、インパクト勝負だ。
「っ!」
果たして、雲雀さんは目の前を切り裂いた鞭を避けて、数メートルの間合いを取った。
「ワオ!いつからSM趣味になったの?」
……ツッコむべきだろうか。
「まえに、ディーノさんがお下がりをくれたんです。ついでに特訓も」
それで入院するハメになって、雲雀さんと同室になった。校内で顔を合わせれば、なんとなく言葉を交わすようになったのがそれからだから、結果的には感謝すべきなのかもしれない。ものすごく抵抗あるけど。
「なにそれ。聞き捨てならないね」
きらり、と肉食獣の目が光る。んん、それってやきもち?……どっちに?
雲雀さんはオレの出方をうかがっている。ディーノさんによれば、鞭はもともと家畜の調教や拷問のためのもので、動いている相手には当てにくい。一般的には、戦闘用の武器には向かないのだそうだ。長引けば不利なのは間違いない。
「その割には、あの男とは間合いとか違うようだけど、」
クセが移るほどにはちゃんと習っていないからなんだけど、修行でディーノさんの鞭さばきは知り尽くしている雲雀さんを、少し戸惑わせる効果があったみたいだ。もう一度打ち込まれる前に、雲雀さんの鼻先で、ぱしん、と威嚇音を鳴らすと、トンファーで払われた。ライダースジャケットから覗く白い手首がしなる。
「あ、」
それを見たら、急に頭の中にひらめくものがあった。さっきの、革手袋の金具を外す雲雀さん。ディーノさんは、あれが見たくて、手首に金具の付いた、あの手袋を贈ったんだ。根拠はないけど、絶対間違いないと思った。頭に血が上った。
払われて宙に舞った鞭を、腕の動きで引き寄せる。手首を返すと、ぱぁん、と空を打ついい音がして、まっすぐに雲雀さんに向かう。
「何度やる気なの」
呆れたようにトンファーで払おうとする、雲雀さんの腕。最後の振り抜きで微調整して、その白い右手首を、鞭で捕らえた。
「くっ」
息を詰めて、思い切り引く。引き寄せられた雲雀さんが、左のトンファーで打ってくる。紙一重でかわす。次は右脚で膝蹴り。左手で受ける。重くて手が痺れるけどなんとか耐える。そのまま足を取って、枯れ草の上に思い切り引き倒した。受身を取って体勢を立て直そうとする雲雀さんの上に、体術も何もなく、ただ、乗っかる。
けほ、と軽くむせた雲雀さんには構うことなく、鞭を手繰り寄せて、拘束された手首までたどり着く。そのまま、小指の下の、何ていう名前だろうか、ぽこん、とでっぱった骨、そのすぐ下のあたりのくぼみに、思い切り吸い付いた。ちぅ、と音をさせてきつく吸う。跡がついたのを確かめると、雲雀さんの上からどいて、横に寝転がった。
「オレの先制です!油断しましたね」
「……生意気な、」
仰向けに転がったままの雲雀さんは、左手でくしゃっと前髪をかきあげて、悔しそうだ。
今日の模擬戦のルール。直接殴る蹴るは禁止(ヒットしたら減点)、相手に唇を付けたら勝ち(キスで得点)。
一晩寝ないで考えたんだけど、思いついたときは名案だと思ったのに、いざ雲雀さんに伝えようと思ったら恥ずかしくて仕方ない。それでも他にアイデアもなくて、結局、言うのが遅くなってしまった。夜中にする考え事なんて、朝になってみればろくなもんじゃない、ということを一つ学んだ。
それにしても、と、雲雀さんは手首についたアザを指でなぞって、不思議そうにしている。
「なんで手首?」
「口がよかったですか?」
オレはからかったつもりだったのに、雲雀さんが当たり前のことのように、うん、と言ったので、思わず口を開けたまま静止してしまったら、雲雀さんは身を乗り出してきて、オレの唇に、むに、と唇を押し付けた。
「これで同点。」
「えっ、ずるい!」
「ずるくない。最初から君が口にしてればよかったのに。なんで手首?」
もう一度言われて、オレはぼそぼそと白状した。
「手袋、ディーノさんからもらったでしょう。」
「ああ、知ってたの」
「さっき、手袋外すときの雲雀さんが、綺麗だったから、悔しくて。」
言いながら、かあっと顔が熱くなる。恥ずかしくて、雲雀さんには背を向けて、ごろっと転がる。と、右足首をいきなり引っ張られた。
「ぎゃ、」
関節が斜めによじれて痛い。じたばたするオレには構わず、雲雀さんはスニーカーとくつしたを脱がすとぽいぽいと捨てた。
「ぇえ、なに、なっ」
「知ってたなら僕も言うけど。君だって、靴、もらったらしいじゃない。」
ふ、と土踏まずに息がかかってびくりとする。でもオレは、雲雀さんの前でその靴を履いたことがない。というか、完全にスーツ向けの革靴は、オレの手持ちの服に合うわけはなく、ディーノさんの前で一度履いて見せたきりで、母さんが管理してくれている。
「手袋持って来た時、華奢な足首と硬い革の取り合わせがたまらないとか、履きなれない靴で不安そうに何度もかかとを振り返る仕草がいいとかなんとか、うるさいったらなかったよ。咬み殺したけど。」
「わぅ、」
くるぶしに吸い付かれて、思わず声が出る。ていうかディーノさんあの時そんなこと思ってたのか!
「これで勝ち越し。」
「だからずるいですって、」
振り向いて、足を取り戻そうとした途端、
「いだだだだだ!!いっ、ちょっ、痛い!痛い!!」
思い切り関節をきめられて、口からは悲鳴が飛び出した。痛い。ほんとに痛い。しかも抜けられない。
「か、かんせつわざ、までできたんですかっ」
痛みに頭が一杯で漢字が出ない。
「効率悪いからあまり使わないけどね。これなら、直接殴る蹴るはしてないでしょ。」
なんという抜け道!
「あし!おれる!おれますって!」
「折れないよ。もうちょっと体重かけたら靭帯はいっちゃうかもしれないけど。」
「ぎゃー!」
雲雀さんはオレの脚を自分の脚でホールドしたまま体勢を変えた。雲雀さんが動くたびにオレの膝はぎしぎしきしんで、関節がどうかなってしまうんじゃないかと冷や汗が出る。関節技を抜ける方法なんて知らないし、下手に動けない。悲鳴を上げながらただただ身悶えていたら、顔の前にすっと影がさした。
「ひっどい顔。」
オレに覆いかぶさる姿勢になった雲雀さんは、ぐっと身を乗り出して顔を覗き込んでくる。それによってさらに体重がかかって、もうオレは、涙どころか、よだれと鼻水も出てきた。
「いたいいたいいたいって、いたい、おねがい、はなして、」
「そう簡単に泣き言いうんじゃないよ」
長い指が涙を拭ってくれるけど、関節はきめられたままだから、すぐにじわりと滲む。
「ほら、黙って」
ずっ、と鼻水をすすると、アイロンのかかった綺麗な白いハンカチでごしごしと顔を拭かれた。そして、あごに手がかかる。オレはもう、ぎゅっと目を閉じて、ひくひくと引きつった呼吸をするだけだ。
「んん、」
半開きの口から、熱くてぬるぬるしたものが入ってくる。口の中いっぱいに、にゅるっとした塊がある。オレの頭は何が何だかわからない状態なんだけれど、身体の方はそれが気持ちいいものだと知っていて、勝手にびくびくと震える。痛みに縮こまった舌に、その熱いぬるぬるがすり合わせられると、ざっと鳥肌が立って、痛い!しかなかった頭の中に、ちらちらと別のものが浮かんでくる。
いたいいたいいたいいたい、きもちいい、いたいいたい、きもちいいいたい、いたいいたいきもちいい。きもちいい。
痛い、と交互に浮かんでいた、気持ちいい、がだんだん混ざり合ってくる。
ぴちゃり、と粘ついた水音をたてて、食み合っていた唇が離れると、同時に脚も開放された。全然力が入らない。無事か、オレの哀れな右膝!ううううう、とオレは涙目で唸った。
「オレが今後、マゾに目覚めることがあったら、間違いなく雲雀さんのせいです……!」
最後の方は完全に、痛い、と、気持ちいい、が同化していた。あの感覚はやばい。まずい。変な扉が開いてしまう。
「いいね、それ。そうなったら僕が毎日心をこめて虐めてあげるよ。」
その言葉にちょっとでもときめいた時点でオレの負けだった。
SもMも兼ね備えた逸材、それが沢田さん。
格闘技の知識がまったくないので適当です。ごめんなさい。
2009年2月1日
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