どんどんとエンジンの音を響かせて、バイクは家の前に停車した。夕方と夜のさかいめくらいの時間で、玄関には明かりはついていなかったけど、住宅街に響き渡る重低音はもうすっかり家に定着していて、オレが短い足でタンデムシートからぴょんと降りる頃には、ぱっと明るくなってエプロンをかけた母さんが顔を覗かせたのだった。
「二人とも、おかえりなさい」
 オレがヘルメットをすぽんと取って、ただいま、と言おうとする前に母さんは、オレと雲雀さんの顔を見て、あらあら、とびっくりした声をあげた。
「ケンカでもしたの?」
 そういえば、鏡も見ていないけど、昼のディーノさんのように、オレたちの顔にも青あざがあるはずだ。他にも、擦り傷、鼻血のあと、髪は砂だらけだし(後でヘルメットの中を払っておかないと!)、唇は切れている。心配そうな母さんに、オレは慌てて首を横に振った。
「違うよ、遊んでただけ!……ちょっとエキサイトしすぎたかもしれないけど、」
 焦って言い訳すれば、今度は嬉しそうに、まあまあ、と言われる。
「ツナもやんちゃになったのねぇ」
「やんちゃって……」
 母さんにとって、オレはまだまだランボたちと変わらないらしい。少し頬を膨らませると、隣で雲雀さんが小さく笑った。決まりが悪い。
「お風呂がちょうど沸いたのよ。入って綺麗にしてきたら?温まるわよ」
 うん、ありがと母さん、と頷くと、雲雀さんは、それじゃあこれで、と帰ろうとした。オレが引き止めるより早く、母さんが「あらぁ、お夕飯、雲雀くんの分までもう作っちゃったのよ。このあと、忙しいかしら?」と先手を打った。母さん、ナイス。
「雲雀さん、寄ってってください。子供たちも、雲雀さんにツリーのお礼したいって言ってたし、」
 お礼を言われる筋合いは、と、戸惑ったようにもごもごと呟いている雲雀さんの腕を、両腕で抱えるようにすると、母さんはそれでもう雲雀さんが寄ってゆくものと思ったのか、台所から頭を出して呼んでいるビアンキの方へ戻って行ってしまった。なのでオレは、建前ではなくて本音のところを口にすることができた。
「えと、その、オレ、もうちょっと、雲雀さんと、一緒に、居たいんです。」
 頬が熱い。小さな子供のようなことを言ったのに自分で照れてしまって、そっぽを向きたいのをぐっとこらえて、雲雀さんを見る。
「雲雀さんの手、冷たいです。お風呂、入りましょう」
 さらに言うと、少し驚いたような顔をしていた雲雀さんは、ふと顔を緩めて、じゃあ、甘えてしまおうかな、と言った。
「君の、頭と耳の裏と背中を洗ってあげる」
「……自分で洗えますよ、」
「いいじゃない、洗わせてよ」
 だって雲雀さん、いやらしいことをするでしょう、と口にするのはどう考えてもヤブヘビだ。けれど、もじもじしているオレがそんなことを考えているのはお見通しなのか、雲雀さんはふと身をかがめると
「タオルだと、傷に染みるといけないから、ちゃんと手のひらで洗ってあげるよ?」
 そんなことを、わざわざ耳元で言う。
「てっ、……てのひら、って」
 思わず想像してしまって、赤くなって、でもそれ、ちょっとやってもらいたいかも、なんて考えてしまって、さらに赤くなっていると、家の中から飛んできた何かが、すぱーん!とオレの頭に当たった。トイレのスリッパ(右足)だ。
「赤ん坊、情熱的なあいさつで嬉しいよ。こんばんは」
 そう言う雲雀さんは、右手でトイレのスリッパ(左足)を取って、投げ返している。
「ちゃおっす、ヒバリ、恥ずかしい会話がご近所じゅうに筒抜けだぞ!」
 嘘だ。筒抜けと言うほど大きな声じゃない。だけど、開けっ放しの玄関先でいつまでもしていていい話でもない。はっとして口をつぐんだオレの肩を押して、雲雀さんは玄関の中へ入ると、ばたんとドアを閉めた。
「それは失礼。……これでいいかい?」
 真面目な顔で首をかしげた雲雀さんに、リボーンはさっさと背を向ける。
「家の中でも恥ずかしい会話はすんな。子供の教育に悪い。」
「子供って、君のことかい?赤ん坊、」
 肩をすくめるのが似合う赤ん坊なんて、世界中探しても、リボーンくらいのものだろう。
「確かに、俺はキュートでチャーミングな2歳児だけどな。この家で教育が心配な子供と言えば、アホ牛とそこのダメツナだ。」
「なんっ……おっまえ、」
 リボーンの暴言には(悲しいことに)慣れているとはいえ、むっとしないわけはなくて、いきり立ったオレを、雲雀さんは後ろから、ふわっと抱え込むようにした。決して乱暴ではないのに、もう動けない。
「心配しなくても、性教育なら二人で勉強しているよ」
「ぶっ」
「ヒバリ、オヤジ入ってんぞ」
 いただけねーな、と呆れた息を吐くリボーンと、オヤジいいね、上等だよ、とにやりと笑った雲雀さんとの間で、オレはもう自分でわかるほど顔が赤かった。
「リボーン、うるさい!雲雀さんも、リボーンの遊びにのっからないでください!」
 ワオ、やきもちかい、と嬉しそうに尋ねてくる雲雀さんの腕を引っ張って、どしどしと廊下を進む。
「オレがやきもちやいてたら、何だって言うんです!」
 今日はずっと二人で楽しかったのに、リボーンの顔を見た途端、雲雀さんの意識はそちらへ向いてしまった。拗ねて何が悪い、と心の中で開き直る。
「うん?やきもちだったら、可愛いなと思って」
「…………うぅ、」
 かっかと顔から湯気を出しながら、雲雀さんの着替えにと、父さんの服を出す。オレの服は、雲雀さんは着られない。小さすぎて。それが悔しい。
「そのうちに、雲雀さんにオレの服だって貸せるようになるんですからね!」
 オレのパーカーのフードから、眠っているヒバードをそっと掬い上げて、机の上に逆さに置いたヘルメットの中に下ろしていた雲雀さんは、君は最近そればっかりだね、と言った。
「そんなに急いで大人になろうとしないでよ。僕と一緒に、まだ「教育」が必要なままでいてよ。」
 一緒?……それは違う、オレは、雲雀さんと一緒に、並びたいから、だから早く成長したいんだ。身体も、中身も。雲雀さんに追いつきたい。
「沢田の目に、僕がそんなに、大人みたいに見えてるのなら、嬉しいけど。でも僕は、君の方が大人だなぁとしょっちゅう思っているよ。」
「お、オレが?ですか!?」
 とても信じられなくて、目をぱちぱちさせる。雲雀さんの顔は真剣だ。着替えを持って風呂場へ向かいながら、たとえば、と指を立てる。
「恥ずかしがっても、いつも、言葉や態度で示してくれるところとか、」
 それは、わかりやすい、と言うのでは。
「嫌いだったり、苦手だったりする相手にも、合わせられるし、」
 臆病で、面倒ごとも嫌だから、面と向かって反抗できないだけなんだけど。
「オレは、雲雀さんが普段はあんまり感情を出さないとことか、でも自分の意思をしっかり持ってるとことか、大人だなぁって思います、けど」
 汚れた服を脱ぐ。脱衣かごに、他の服と一緒に入れてしまうと、母さんに怒られるから、洗濯機の近くの床に丸めて置く。雲雀さんの服をかけておくためのハンガーを出す。
「……あの、」
 ついにオレはたまりかねて言った。
「何?」
「そんなガン見されたら、パンツ脱ぎづらいです」
「ああ、気にしないで」
「無理です、って、ギャー!」
 じゃあ手伝おうか、と言ってみょーんとゴムを引っ張られた。悲鳴を上げると、ばちんと離される。地味に痛い。そもそも、男同士なんだから、意識しなければ別に恥ずかしいことなんてないんだけど、雲雀さんが(多分おもしろがって)そういう空気を出すから、オレも変に照れてしまう。
「先に入っててください!」
 タオルを渡して、風呂場へ押し込んで、それでやっとオレはゆきだるま柄のパンツを脱いで、腰にタオルを巻くと、風呂場へ続いた。湯気の中の雲雀さんの背中は、広い。
「背中、流しますよ」
「後で交代ね」
 てのひらで洗うのは何か変な気持ちになりそうだったから、オレはやっぱりタオルを泡立てて、ところどころにあざや傷跡、青タンがある雲雀さんの背中を、そっとこすった。青タンのところを、ちょん、と指で押すと、痛いよ、といって雲雀さんは笑う。こんな大きくて、筋肉のついた、傷があっても綺麗な、格好のいい背中をしたひとが、オレのことを大人だと言う。雲雀さんがオレを大人だと言うところは、雲雀さんにはないところだし、オレが雲雀さんを大人だと思うところは、オレにはないところだ。さっき、雲雀さんが言ってた「お互いの背中を追ってる」って、そういうことかな。
「痛くないですか?」
「うん。もうちょっとごしごしやってもいいよ」
 答え合わせはまだ、しないでおこうと思った。
 オレはタオルで雲雀さんを洗ったけれど、雲雀さんはてのひらでオレを洗ってくれたので、結局、ふらふらになって風呂から上がるはめになった。湯船の湯を入れ替えたのは、内緒だ。




2009年12月17日