ちろりーん、という音で目が覚めた。

 最初に思ったのは、雲雀さん、だった。オレは携帯電話は持ってないけど、教室でもよく聞くあの音は、携帯のカメラのシャッター音だ。オレの身近で携帯電話を使うのは、雲雀さんしかいない。
「う、ん……?」
 ええと。昨夜、雲雀さんの布団に侵入したのは覚えてるから、目を開けたときの景色がいつもとちょっと違うのは、驚かない。
「…………あれ?」
 部屋は明るい。もう朝だ。布団の中はぽっかぽかで、そこから出てる顔と肩だけが寒い。ぽっかぽかっていうか、胸の辺りなんか、むしろ熱いくらい、
「ひばりさん、」
 目の下に、黒いものが広がってる。近すぎて焦点が合ってないけど、雲雀さんの髪だ。胸が妙に熱いのは、オレの腰に腕を回してくっついて眠っている雲雀さんの寝息が、至近距離でかかっているから。オレと雲雀さんの位置が、夜と逆になってる。……でも、じゃあ、いまの、『ちろりーん』は、誰の?
 すやすやと眠る雲雀さんの頭を抱えたまま、首だけ動かしてみると、部屋の入り口で、満面の笑みを浮かべたディーノさんが、携帯電話を構えていた。

「待ち受け、ゲットだぜ!」

「……………………何やってるんですか、」
 寝起きでろれつが回ってなくて、ディーノさんはオレの質問には答えず、ツナかわいーなー、と顔を崩した。本当に、何やってるんだこの人。くわ、とあくびをしようとすると、また携帯を構えられたから、オレはそっぽをむいてあくびをした。
「ひどいぞー」
「どっちがですか」
 半眼になってディーノさんを見ると、さすがにうるさかったのか、雲雀さんがうーんと唸った。起きるかと思ったのに、中に入りたそうに、オレのパジャマのボタンとボタンの隙間に鼻先を突っ込んで、まだ寝ている。葉が落ちる音でも目を覚ます、って話はどうなったんだろう。もっと写真を撮りたいらしいディーノさんと、雲雀さんも含めて撮られたくないオレとで、しばらく、無言の攻防を繰り広げていると、とんとんと階段を上る音が聞こえてきた。母さんだ。
「ディーノくん、ツナたち、起きたかしら?」
 エプロンで手を拭きながら、ひょいと部屋を覗き込む。オレは雲雀さんを抱っこしたままだ。……このくらいなら、友情の範囲内かな、雲雀さん寝ぼけてるし、どうだろう……
「……おはよー」
 果たして、母さんは、あらあら、と笑いながら言っただけだった。
「そろそろ起きないと、みんなが来ちゃうわよ」
「もうそんな時間?」
 きょろきょろしてみたけど、床の上からは目覚まし時計は見えなかった。雲雀さんごとゆっくり起き上がると、黒い頭がいやいやをしてお腹がくすぐったい。
「朝ごはんは?」
「ホットケーキの粉、ある?」
「あるわよ」
「じゃあ、オレたちでやる」
「時間はあんまりないわよ」
「わかってる」
 母さんはそれだけでもう、下りて行く。
「ディーノさん、着替えとか撮ったら、さすがに怒りますよ」
 じっとりとオレが言うと、ディーノさんも、てへっ、と言って下へ戻っていった。「てへっ」が許される22歳の男、って、人生得しているよなぁ、と思った。オレも試してみようかな。いや、リボーンに殺されるか。
「……ひばりさん、」
 耳元に口を近付けて、ゆっくり呼ぶ。沈んでいる雲雀さんを、引き上げるみたいに。
「雲雀さん、起きてください」
 うーんという唸り声が、さっきよりもはっきりしてきた。もう頭の中は起きてると思う。
「……やだ」
 寝ているとはとても思えない、きっぱりした声で言われた。やっぱり起きてる。布団の上に座り込んだオレの膝になついて、目を開けようとしない。くしゃくしゃになった黒い髪を、さらさらと指で梳いてみる。すぐにまっすぐになる。いいなぁ。
「朝ごはん、ホットケーキ、食べましょうよ。マーガリンいっぱいつけて」
「…………じゃあ、起きる」
 長いまつげをわさわさと動かして、ゆっくりと目を開けた雲雀さんは、ついでに大きなあくびをした。
「おはよう、さわだ」
 キスというよりかは、ただむにむにと顔を押し付けるだけみたいに、ほっぺたに雲雀さんの唇が触った。「おはようのちゅー」なんて、アメリカのホームドラマみたいなこと、雲雀さんはどこで覚えてくるんだろうか。TVなんて見なさそうなのに。でも嬉しい。
「おはようございます」
 へへ、と笑って挨拶を返すと、雲雀さんはむっとした顔になった。……オレにもしろと。されるのは嬉しいけど、自分がするのはちょっと照れる。でも、えいやっと唇を押し付けると、雲雀さんは満足そうにして、やっと自力で起き上がった。
「よくねた」
「雲雀さん、『葉が落ちる音でも目を覚ます』んじゃなかったんですか?」
 少しからかうように言ってみる。オレは、また照れ隠しで咬まれたりするのかなぁ、と思っていたけど、雲雀さんの反応は、想像していたのとちょっと違っていた。驚いたように少し目を見開いてから、眉を下げて、苦笑い、するように、ふっと笑った。なんだろう。
「……嘘ではないんだけど、」
 そう言って、またぎゅっと抱きつかれた。
「山が好きだった婆さんの話、覚えてる?」
「はい、」
 忘れるわけがない。雲雀さんが自分からしてくれた、貴重な話だ。別に貴重じゃなくたって、雲雀さんがオレに話してくれることは、できるだけ覚えていたいなって、思ってはいるけれど。
「婆さんは、まぁあの時も話したとおり、随分前に死んだんだけど。酒が好きな人でね、循環器がだめだった」
 もぞもぞと雲雀さんは体勢を変えて、オレの心臓に耳を当てた。少し早い、規則正しい鼓動が伝わっていると思う。頭を撫でると、喉を鳴らす猫みたいな顔をした。
「最初の発作では運よく助かって。でも入院するのは嫌だって言うんだ。わがままな婆さんだった。」
「……さすが、雲雀さんのお祖母さん、ですね」
「どういう意味、」
「わ、ちょ、う、っひゃ、ご、ごめんなさ、っ」
 脇腹の辺りをがぶがぶ咬まれる。くすぐったくて逃げようとすると、布団の上に引き倒される。またオレの心臓の上に頭を乗せて、雲雀さんは話を続ける。
「どうせ死ぬなら、家の畳の上がいいって。でも僕は、婆さん子で、まだあまり分別もない餓鬼だったから、婆さんが死ぬのはどうしても許せなかった。訊けば、発作を起こしたときにすぐ気がついて病院へ連れてけば、死なないって言う。昼間は、僕は学校へ行っているけど、家の者が誰か居る。夜は、雲雀の家に昔から出入りしてるじじいの医者が、看護師を交代で寄越すって言うのに、他人が居ちゃ眠れないって、またわがままだ。」
 そのときのことを思い出しているのか、雲雀さんは深いため息をついた。もう一度頭を撫でると、そのまま撫でていて、とうっとりと言われたから、昨夜、とんとんと背中を叩いたみたいに、ゆっくりリズムをつけて、雲雀さんが落ち着けるように撫で続けた。
「……それで、他人はだめでも、僕ならいいでしょうって、婆さんの部屋に布団を持っていって、隣に敷いて寝た。寝たと言っても、最初は、いつ婆さんに発作が起こるのか、恐くて、ほとんど寝られなかったけど。」
 暗闇の中、息を殺して、隣に寝付いた年老いた女性の寝息を数えている、黒髪に黒目の小さな男の子を想像してみる。
「それでも、それから二年くらいはもったかな。僕もだんだん慣れて、眠れるようになった。けど、少しでもおかしなことがあったら起きられるように、深く眠ることはあんまりなかった。物音に敏感になったよ。寝返りとか、咳払いとか、老人だからね、夜中に一、二度は用足しに立つ。それも危険だからって、必ず着いてった。」
 学校の屋上で昼寝するようになったのは、この頃からだね、という雲雀さんに、納得する。ただでさえ、子供ってのは、呆れるくらいよく眠る。フゥ太よりも小さな男の子が、夜をそんな風に過ごしていたら、昼間眠くて当たり前だ。たぶん大人だって眠い。
「まぁ結局、わがまま婆さんも病気には勝てなくて死んだんだけど。その後も癖になって、特に夜や、病人の匂いのするところでは、あんまり眠れない。」
 それで、病院での『葉が落ちる音でも目を覚ます』に繋がるわけだ。守ろうとした人が亡くなった後も、染み付いた恐怖だけが抜けない。あの時は、なんつー恐ろしい人だ、理不尽だ、と思ったけれど、理由を知れば何だか悲しく(理不尽でないとは言わないけど)、胸に乗った雲雀さんの頭をぎゅっと抱きしめた。肩がわずかに揺れている。……まさか、泣いてるんじゃ、と思ったら、くっくっくっくっ、と鳩の鳴き声みたいのが聞こえた。雲雀さんが思い出話で泣く、ていうのも大概ありえないと思うけど、何でこの流れで笑うの?!
「……っふ、ふふ、でもさ、沢田と寝たら。……君、寝相悪いし、寝言言うし、時々お腹がぐぎゅーって鳴るし、うるさくって、……くくっ、絶対に、殺しても死にそうにない、からっ、安心して…………っ」
 苦しそうにそれだけ言うと、雲雀さんはオレのお腹に突っ伏したまま、大笑いし始めた。
「………………、」
 「よくねた」って、そういうこと。オレはしばらく天井を睨みつけて、ぷう、とほっぺたを膨らませていたけれど、いつまでも笑っている雲雀さんにため息をついて、ほっぺたの空気を抜いた。
「……うるさくても、よく寝られるんなら、良かったら、またうちに泊まってください。」
「『我慢』と安眠のバランスが、難しいところだね。理想は、我慢しないで、その後に安眠、だけど。」
 あー笑った笑った、と目元を拭いながら、さらっと雲雀さんがそんなことを言うので、オレは一気に熱くなったほっぺたを、元に戻すのに苦労した。




今では分別があるつもりの雲雀さん。
2010年3月7日