じゅわ、とフライパンの上で、黄色の生地が焼ける。ふわんと甘い匂いがして、昨日あれだけ夕ご飯を食べたのに、どうしてこんなにお腹が空くんだろう、と思う。すんすん、と雲雀さんが鼻を動かす音が、耳元で聞こえる。
「雲雀さん、やけどしないでくださいね」
「君じゃあるまいし、」
「どーせ、」
 言い返された言葉にむっとすると、ぐりぐりと頬ずりされた。でもきっと、にやにやと人の悪い笑い顔してるに違いないんだから!
 着替えて2階から下りて顔を洗って、台所でホットケーキを焼き始めると、雲雀さんはおんぶおばけみたいにオレの背中にくっついた。両手はお腹に回して、右肩にあごをのせて、手元を覗き込んでくる。結構重い。
「思ったより手際がいいから、意外。おいしそう。」
 ……雲雀さんひどい。知ってたけど。
「子供たちにせがまれて。いくらオレでも上達するわ!ていうくらい焼いたんです」
 最初は、母さんもビアンキもいない時におやつをねだられて、ホットケーキくらいならオレでも焼けるかな、なんて甘い考えで作った。結果は、真っ黒とか、生焼けどろどろの、ホットケーキとはとても言えないシロモノを量産したんだけど、何が気に入ったのか、それ以来、フゥ太もランボもイーピンも(イーピンなんて、自分で焼いた方が、早いし綺麗で、おいしいだろうと思うんだけど)、オレに頼むおやつはいつもホットケーキになった。母さんがたくさん焼いて冷凍したりもしてくれたけど、焼きたてじゃなきゃ嫌だと騒ぐ。仕方なく、いっときなんて、週に3回は焼いていた。
「オレも、そりゃあ、好きですけど。あいつらのホットケーキ好きは異常です。」
 ふつふつと穴の開いてきた生地を、フライ返しでそっと持ち上げて裏を確認していると、雲雀さんが、ふふふ、と笑った。
「違うよ。ホットケーキも好きなんだろうけど、それより、あの子らは、沢田が好きなんだろ。君が作ってくれるから、食べたいんだ。」
 妬けるなぁ、と耳元で囁くように言われたから、オレは危うくホットケーキを半分折りのオムレツにしてしまうところだった。
「そ、そんなこと、」
 そんなこと、ないと思うけど。でも「妬ける」なんて、いや、雲雀さんはからかってるだけ?へどもどしながら、ぱふん、とひっくり返して、もこもこと膨らむ生地をフライ返しでつっついていると、雲雀さんの言葉を聞いてたみたいに、どたどたと足音がする。このおぼつかない感じは、ランボだ。匂いを嗅ぎ付けて来たな。
「けーき♪けーき♪ほっとけーき♪」
 変な歌を歌いながら、足元にまとわりついてくる。焼きあがった一枚目を皿にのせると、ぴょこん、と椅子に飛び乗った。
「ランボさんのぶんー!」
 手を伸ばしてくるのを、間一髪で遠ざける。
「……は、ないよ!お前もう、朝ごはん、食べただろ」
「食べた!ごはんとー、みそしるとー、チクワとー、たまごとー、」
 指を折って、えんえんとランボの朝食おかず読み上げが続く。うん、人のことは言えないが、朝から立派な食欲だ。
「オレと雲雀さんは、これが朝ごはんなの!ランボのおやつにする分はないよ、」
 だいたい、お客様(……雲雀さんが「お客様」なんて控えめなものかどうかはおいといて)の食卓に手を出そうなんて、行儀が悪い。めっ、としかめ面を作ると、甘い匂いに興奮して、ピンクに染まっていたまん丸のほっぺたが、みるみる歪んで、不満を訴える。
「ちがうんだもん!ツナのホットケーキは、ランボさんのおやつなんだもん!」
 椅子の上でどすんばたんと暴れる。うるさいし、危ない。どうしよう、時間もないし、この一枚目はオレの分ってことにして、ちょっとちぎってやれば、静かになるかな……  ほんとは、ごね得だって覚えさせると良くないんだけど。仕方なく、焼きたてのホットケーキをフライ返しでさくさくと切った。焼け具合はちょうどいい。
「しょーがないな、一口だけだぞ。パーティーのケーキ、食べられなくなっても知らないからな」
 手でつまんで、ランボの口元へ差し出すと、
「あーっ!!」
 半泣きみたいな悲鳴が上がる。ほかほかのホットケーキが、ランボの口に入るより先に、ぐっと身を乗り出した雲雀さんが食べてしまった。しかも、ちゅぱ、とオレの指をくわえて。
「ひ、ひばりさん!」
 ランボに代わって抗議の声を上げたオレに、ふん、と鼻で笑って、雲雀さんは意地悪そうな顔で、ランボを見下ろした。
「だーめ、これは、沢田が僕に焼いてくれたんだから、君にはあげないよーだ」
「何はりあってんですか!」
 ぎゃわー、とものすごい声で泣きわめき始めたランボを、慌てて抱き上げると、雲雀さんが背中から手を伸ばしてきて、ほっぺたをつまんだり、おでこをつついたりするものだから、ますます収拾がつかない。ついには奮起したランボがオレの手を抜け出して、雲雀さんにパンチやキックを繰り出しはじめた……全然、当たってないけど。雲雀さんの片足だけで、ちょいちょいといなされている。
 最初のうちは、ランボの意識が雲雀さんに向いてるうちに、早くホットケーキを焼いちゃおう、と思ってフライパンに集中してたけど、勝ち目のない勝負にそれでも諦めないランボと、おもしろがる雲雀さんの、じゃれあい(と言ったら真剣なランボには悪いか)はエスカレートするばかり、どったん、ばったん、と派手な物音が響き始めて、ついにオレは、最後の一枚を焼く途中で、コンロの火を消した。
「こらぁっ!!」
 腰に手を当てて恐い顔を作って、大きな声を出すと、ランボと、雲雀さんまで、びくっ、として動きを止めた。
「火のそばで暴れたら、危ないだろ!やけどしたらどうするの!?火事になっちゃうかもしれないよ!?」
 フライパンを指差すと、二人とも、ぱっとそっちを見る。……いや、あの、別に、雲雀さんに説教する気は、ないんですけど、……してもいいのかな?
「「だって、!」」
 ランボと雲雀さんの声がハモって、オレが恐い顔を維持できたのは奇跡だった。
「だってじゃないよ!ランボ、火を使ってるときは、近くに来たらダメだって言ったろ!雲雀さんも、大人気ないですよ!おもしろがってランボをからかわないでください!」
 二人とも、ぶーたれている。ランボは、目にいっぱいに涙を溜めている。はあー、と思わずでっかいため息が出て、オレはしゃがみ込んでランボの頭を撫でた。
「もー、泣くなよ」
 さっきのホットケーキを、もう一口分小さく切り取って、口に入れてやる。ずびずびと鼻をすすりながら、それでももぐもぐして、ちゃんと飲み込んだ。よしよし、
「……が、きなの」
「え?」
 もごもごとランボが何か言ったけど、聞き取れない。
「ツナは、ランボさんとヒバリと、どっちが好きなの!」
「な……っ」
 今そんな話をしてただろうか。そういえば、昨日の朝、雲雀さんに、オレがランボと遊ばなくなったのは雲雀さんのせいだって、食って掛かったんだっけ?
「どっち、って、」
 ふと、自分が小さかった頃を思い出した。オレも同じことを言ったことがある、母さんに。「おれととーさんと、どっちがすきなの!」……いや、それに当てはめたら、ちょっとすごいことになるな。急に頬を赤くしたオレを、雲雀さんが不思議そうに見た。そんな場合じゃなくって!あの時、母さんは何て答えてくれたっけ。
「どっちも何も、ランボも好きだし、雲雀さんも好きだよ」
 だいたい、「好き」の意味が違うから、どっちと言われてこっちと言えることでもない。記憶の中の母さんは、にこにこと嬉しそうに、うふふー、と笑っていた。母は偉大だ。オレはあの時、答えを聞いて、ごまかされた!と思ったけれど、自分が答える方になってみれば、それ以外に答えようもない。そんな質問をされて喜べるほどの余裕もない。
「…………、」
 やっぱり、あの時のオレみたいに、ランボも不満そうな顔をした。でも、それからは騒がず、コンロにも近づかないで、食卓の自分の椅子に座ってじっとしていた。中断していた最後の一枚を焼き終わって、オレと雲雀さんが座ると、ちょこちょことやってきてオレの膝に座ったけど、もうホットケーキが欲しいとは言わなかったし、雲雀さんもランボを邪険にするようなことはなかった。
「……オレの好きなランボと、雲雀さんが、仲良くしてくれたら、嬉しいな。」
 そう言ってみたけど、ランボはちらっと雲雀さんのほうを見て、ぱっと顔をそらすと、オレのお腹に顔を埋めるようにしてしがみついてしまった。雲雀さんも、対抗しているのか、椅子を寄せてきてぴたっとオレにくっついた。やれやれ、と顔を上げれば、台所の入り口ののれんの影に、目を輝かせたディーノさんが立っている。
「すごい修羅場だったな、」
 いつから見てたんだ。
「オレも、ツナも恭弥も、二人とも好きだぜ!」
 頼むからもう喋らないでくれ、と思ってしまったオレに、罪はないと思う。




2010年3月10日