綱吉は走っている。きん、と冷えた冬の朝、はっはっと吐き出す息は白く、頬は赤く染まっている。家光のお下がりの、メタルバンドのクロノグラフ(電波ソーラー30気圧防水)はちょっと大きすぎて、足を踏み出すたびに手首でかちゃかちゃと鳴っている。

 その時計で確認するなら、なんと、始業より三十分も早い時間である。歩いたって余裕で門をくぐる事ができる。

「遅くなっちゃったぁっ」

 だと言うのに、遅刻スレスレの普段のように、息を切らして、綱吉は走っている。

 並中の門が見えてきた。学ランとリーゼントがうろうろしている。持ち物と服装の検査である。ぜーはーと荒い息を吐きながら、綱吉は一度立ち止まって、走っている間に乱れてしまった服装を整えた。ぴんぴんと暴れまわる髪も、なんとか手のひらで撫で付ける。そして、カバンとは別に握りしめた紙袋の中身を確認した。

「よし!」

 気合を入れると、小走りに校門に近づいてゆく。まだ少し早いせいか、人影もまばらだ。

「おはようございます!」

 気合が入っているので、自然と挨拶の声も大きくなる。草壁が気づいて、にっこりと頭を下げる。

「沢田さん、おはようございます。……委員長!」

 風紀委員長は必死に聞こえないフリをしている。

「ひーばーりーさんっ!おはようございますっ!」

 半眼になった綱吉が、背を向けた雲雀恭弥につかつかと歩み寄る。強気のダメツナと弱気の風紀委員長。予想もしない組み合わせに、偶然居合わせた数人の生徒たちが目を丸くする。

「後ろ向いたってだめですよ!」

 肩にかけた学ランの、ひらひらとたなびく袖。根性で委員長の肩にくっついている、とまことしやかに囁かれているそれを、ぐいっとひっぱる。

「……おはよう、さわだ。」

 観念したように、うなだれて雲雀が振り向く。その隙に、今にもつかまりそうだった男子生徒がひとり、逃走を図ろうとして別の風紀委員につかまった。

「ああああああ、やっぱりいいいいい!!」

 振り向いた途端、絶叫を浴びせられた雲雀が、びくん、と肩を揺らす。つうっと一筋、冷や汗がたれる。

「服装検査のときは、朝早いんだから、厚着してって言ったじゃないですかああ……!!」

 カバンと紙袋をぎゅっと抱きしめ、信じられない、と言うように左右に首を振りながら、悲痛な声で綱吉が言う。

「雲雀さん!オレの服装はどこか違反してますか!?」
「してま、せん……」

 敬語……!!

 さざなみのような動揺の中で、草壁だけがにこにこしている。うん、と重々しく頷いた綱吉はさらに畳み掛けた。

「それじゃあ雲雀さん、貴方が今、上に着ているものをひとつずつ、オレの前で言ってみてください!」

 ごく、とつばを飲み込んだのは雲雀だけではない。始業時間に近づいて、次々と登校してくる生徒たちも同様である。

「わ、ワイシャツと、」
「ワイシャツと!?」
「が、っ学ラン、と……」
「学ランと!?」
「……い、以上、です」

「うわああああああああん、雲雀さんのばかああああああああ!!」

 ばかって、あの風紀委員長にばかって言った……!!

 大概の者は関わり合いにならないのが一番とばかり、足早に校舎の中へと消えてゆくのだが、それでも何人かのツワモノは、この校門前で繰り広げられている、風紀委員長の服装検査に興味しんしんで、遠巻きに見守っている。

「オレ、オレこの間、風邪ひいた雲雀さんの看病したときに言いましたよね、あったかい格好してくださいって!雲雀さんが「約束する」って言うからオレ、恥ずかしかったけどピンクのナース服で頑張ったのに……!」

 大きな目に、透き通った涙がみるみる盛り上がって、きらり☆、と朝日を反射した。

「いやいやいや、そんな事実はないだろう!」

 雲雀の必死の抗弁もむなしく、やじ馬の間には「ナースだってよ……」「ピンク!うわー」「ていうか、この二人ってどういう関係?」というささやきが広がっている。草壁などは眉を寄せ、雲雀に向かって「めっですよ、委員長」などと言う始末だ。

「今朝もその格好で、もう長いことここにいるんでしょ?」
「はい沢田さん。部活動の朝練開始時刻にあわせて取締りを開始していますから、これで47分と32秒になります。」

 問い詰める綱吉に、雲雀は無言を通そうとしたが、控えていた草壁が、携帯電話を見てあっさり答えた。

「一時間近いじゃないですか!こんなに寒いのに、また風邪でもひいたら……!!」

「草壁、余計なことを!」
「雲雀さんヒドイ!草壁さんは雲雀さんのこと心配してるんじゃないですか!なのに、そんな言い方するなんて!」

 一言言えば倍返しである。綱吉の目に溜まっていた涙がはらはらとこぼれおちて、雲雀はとりあえず謝った。

「……すみません。」
「でもっ、今日はそんな雲雀さんのためにオレ、いいものを用意してきたんです!」

 聞いちゃいない。マフィアのボス候補たるもの、涙もコントロールできるのであろうか、先ほどの真珠の涙はどこへやら、一転、綱吉は満面の笑みになった。

「じゃーん」

 抱きしめすぎてくしゃくしゃになった紙袋、そこからもたもたと取り出した物体を、両手で広げてかかげる。赤が基調のそれはふわふわしていて、全面に、白とピンクでハートマークが散らされている。ファンシーである。

「ハラマキです!」
「どこで買ってきたのそれ……」

 げっそりと雲雀はうなだれる。百歩譲って、ハラマキはまあ良いとしても、柄が突き抜けすぎている。

「寒がりですぐ風邪引く雲雀さんのことを、京子ちゃんに相談したら、京子ちゃんが「私、いいもの知ってるの♪」って商店街の雑貨屋さんにつれてってくれました!」

 笹川京子の声色が地味に似ている。草壁が「モノマネお上手ですね!」というと綱吉はえへへ、と照れた。雲雀には全く理解不能である。

「あ、京子ちゃんにはちゃんと、お礼としてカラオケおごりましたよ、雲雀さんの彼氏として、礼儀知らずだなんて思われたら大変ですからね!」
「それってただのデートじゃないの!?」
「やだなー雲雀さん、誤解しないでください。オレだって二人きりじゃ良くないと思って、ちゃんと他に、黒川とハルとクロームも誘いましたよ。」
「なお悪いわ!」

 ただのハーレムである。力なくうなだれた雲雀に、綱吉はぐいぐいとハート柄の真っ赤なハラマキを突きつけてくる。

「ほら、風邪ひいちゃう前に、これ、着けてください」
「ううう、」

 それでも綱吉に正面切って「嫌だ」とは言えない雲雀は必死に考える。

「沢田、あのね、校則に、『並盛中学校の名に恥じない、清潔な身なりで、華美にならぬよう心がけること。』という一文があるだろう。」
「……はい。」
「沢田の気持ちは嬉しいけれど、これはちょっと、『華美』にあたると思うんだ。」
「……確かに、そうですね。」
「だからこれは、奈々さんにでも使ってもらったらどうだい?」
「うーん、……残念ですけど、そうします。」
「僕は、応接室に指定のセーターがあるから、指導が終わったらブレザーに着替えてくるよ。だからそんなに心配しないで。ね?」

 そこでようやく、残念そうにハラマキを引っ込めた綱吉を見て、雲雀は内心で冷や汗をぬぐう。

(なんで僕、こんな面倒な子と付き合ってるんだろうか……)

 心の片隅を、ちらりとそんな思いがよぎった、その時、

 むぎゅ☆

「じゃあ今日は、オレがこうやって雲雀さんを暖めてあげますねっ」

 抱きついてきた柔らかなぬくもりと上目遣い。

(……かわいいからいいかぁ)

 こうして今日も、並盛最強の風紀委員長は飼い慣らされてゆく。

 ムチとアメ、綱吉の見事な手腕に、ギャラリーからは惜しみない拍手が贈られたのだった。






2009年1月23日

一番最初のお礼文。
折角だから普段と毛色の違うもの、と思って、やり過ぎました。
色々ひどい。すみません。でも書くの楽しかったです。(2009年7月5日)