昔話か、と千種は心の中だけでつっこんだ。

 桃である。

 贈答にも購入されるような、薄く蓋のない白いダンボールに、まるくくぼみをつけた緑のトレーが入っていて、そこに、白くて、桃色で、薄く毛の生えた、素敵な香りの、白桃が、お行儀良く、1ダースほど並んでいる。それが、丸ごと、黒曜ランドの床の上に鎮座していて、クローム、犬、千種の三人で、囲んで座っているのである。

 これを持って帰ったクロームが言うことには、事の顛末はこのようなことであった。

「私の前をね、お婆ちゃんが歩いていたの。今日とても暑いから、帽子もしないで大丈夫かなって、見てて。そのうちに追いついて、追い抜こうとしたら、その時に、お婆ちゃん倒れちゃったの。それで私、ペットボトルにお水を入れてたから、飲んでもらって、残りの水で絞ったタオルをお婆ちゃんの頭に載せて、おぶっておうちまで連れて行ったの。」

 クローム髑髏、13歳、152cm、41kg。自分の身長よりも長い三叉槍をぶんまわして戦闘できるだけあって、見た目に反して力持ちである。

「そしたら、お婆ちゃんの息子さんが、お礼にこれ、持って行ってって、」

 説明するクロームは複雑な顔をしている。他人に受け入れられないことで、かえって純粋培養のように育ってしまったクロームには、いまどきの女子中学生とも思われないような純粋さがある。この炎天下、その細腕で、老婆を背負って送っていったのも、純然たる好意、というか、目の前で倒れた老婆を心配してのことであって、まさかこんな高価な(黒曜の面々に桃一箱は十分高価な品である)ものを礼にもらうとは、思ってもみなくてとまどっているのである(クロームは、話術巧み、とは対極のところにあるし、断りきれなかったのだろう、と千種は思った)。

「ったく、どうせもらうんなら、肉にしろよな!役にたたない女だびょん!!」

 悪態をつく犬は、言葉とは裏腹に、目を輝かせながらふんふんと桃の匂いをかいでいる。ツンデレ乙、と千種は心の中だけでつっこんだ。クロームにはツンデレなど通じないのである。

「………………。」

 しょぼん、とうなだれたパイナップルヘアを、千種は、無言のままではあったが、ぽんぽん、と軽く撫でた。するとようやく、「しょぼん」でなく、とまどった風でもなく、良いことをして褒められた子供の顔、になった。

「私、皮むくね。……犬はいらない?」

 またクロームも悪意なくこういうこと言っちゃうしな、と千種はやっぱり心の中だけでつっこんだ。

「い、いらないなんて言ってないびょん!ひとりじめなんてさせねーんらからな!」
「……犬、声でかい。」

 再びパイナップルがしおれる前に、千種は一応、犬をたしなめた。


「おいしそう、」

 膝の上にタオルを敷いて、両手をべたべたにして、桃の皮をむいているクロームが、ほにゃ、と笑う。良く熟した桃は、手でするすると皮がむける。ナイフを使わなければむけないようなら、犬の動向に気をつけないと危ない(クロームの刃物の扱いは、ちょっとしたことで怪我をするだろう、と見る者に危機感を抱かせる程度に下手である。今はまだ。)、と内心はらはらしていた千種は、安心したのもあって、珍しく、クロームにつられて緩い笑いを見せた。

「むけたら貸して」

 きれいに裸んぼにされた桃を、千種は出来るだけさりげなくクロームから取り上げて、ウォレットチェーンにつけているビクトリノックスで、適当に切り分けた。犬にはおあずけをかける。

「とりあえず、5個くらいむけばいい?」

 千種は頷く。まさに今、食べごろの桃が1ダース、食べ盛りの中学生が3人、攻略はたやすい。

「あ、」

 2個目にとりかかっていたクロームが、左の手のひらに桃をのせ、右手の指で皮をつまんで、半分ほどむいた、変な姿勢のまま、困ったように動きを止める。熟した桃の、豊富な果汁が、べたべたと手からあふれだして、ひじまで伝って落ちてゆく。膝のタオルで拭こうとして、両手がふさがっているのに気づいた、そんな感じだ。

 クロームは今、半袖のシャツワンピースを着ているし、膝にはタオルを敷いているので、桃の果汁が垂れたところで困ることは無いのだが、少々粘度のある液体が腕を伝う感触が、こそばゆいのであろう。千種はナイフを置いて、クロームの膝のタオルを取り上げ、拭ってやろうとした。が。

「もったいねーびょん」
「ひゃ、」

 れろ、と舌を伸ばした犬が。

 白くて、桃色で、薄く毛の生えた、素敵な香りの、クロームの肌を、伝い落ちる桃の果汁の雫を追って、舌でなぞってゆく。ひじの骨の、とがったところを、ちゅう、と吸って、

「…………あ、の、……けん、」
「…………、っ!」

 すっかり狼狽したクロームに、おどおどと声をかけられて、犬ははっと顔を上げる。二人とも、すごい汗だ。

「……犬、素直じゃないのか素直なのか、はっきりしなよ。」

 千種はとうとう、我慢できずに、声に出してつっこんだ。


 向かい合ったまま、頬を真っ赤に染め、うつむいている二人は、どこからどうみても、初々しいお似合いのカップルに見える。

(骸様、クロームと一心同体だからって、余裕ぶっこいてる場合じゃなさそうですよ。)

 夏の恋は、桃より甘い。






2009年8月15日

犬は、重度のシスコン弟(ただしツンデレ)という感じがします。
「Peach!!」福山雅治
「桃色片思い」松浦亜弥
(2009年11月4日)