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 もたれかかった下駄箱は寄りかかりやすいとはとても言えないし、べったりと座り込んだ砂だらけの床からじんじんと冷えてくる。出入り口から吹き込んでくる風も冷たい。腫れた頬には冷気が気持ちいいが、このままでは風邪をひくだろう。感情の波が去った後には現実が訪れる。
  
 綱吉が伏せていた顔を上げると、目の前には彼の家庭教師が立っていた。
  
「リボーン、」 
「おう、派手にやられたな、ダメツナ。」
  
 この、赤ん坊の姿をした家庭教師が神出鬼没なのは、いまさら驚くに当たらない。
  
「ヒバリさんの取締りの邪魔しちゃったからなぁ……」
  
 たはは、と情けなさそうに笑いかけて頬がひきつれ、いてっ、と小さな悲鳴を上げて口を閉じた。
  
「お前、義憤にかられて勝てない相手に立ち向かうような、そんなキャラだったか?」
  
 赤ん坊は帽子のつばを引き下げて、うつむきがちにそんなことを言う。
  
「ギフン?」
  
 綱吉は言われた意味がわからず、鸚鵡返しに繰り返すと、はあ、と特大のため息が返って来た。
  
「すみませんリボーン先生家に帰ったら辞書引きますから今蹴りはやめてくださいほんとシャレにならないんで!」 
「顔も知らない女のためにボコボコになって、ごくろーなこったな」
  
 ヒィィ、と頭を抱えた綱吉を無視して、彼の家庭教師は重ねて言った。今度は彼にもわかりやすい言い方で。
  
「……オレさ、ほんとは、べつに、誰かに宛てて下駄箱にチョコを入れた女の子たちがかわいそうだって、そりゃあちょっとは思うけど、それだけであんなにむちゃくちゃしたわけじゃないんだ。ヒバリさんが踏み潰したチョコが、オレがヒバリさんにあげようと思ってたチョコみたいに見えて、悔しかっただけなんだ。それに、捨てるんだとしても、ヒバリさん、オレのチョコ持ってった。他の子たちは贈りたい相手には届かないのに、オレは喜んじゃったんだよ。ただの自分勝手だからさ、ヒバリさんが怒るのも無理ないよ、サイテーだ。」
  
「そーでもねー。」 
「え?」
  
 自嘲に対して返された呟きに、綱吉は思わず訊き返したが、リボーンは、それより、と強い口調でさえぎった。
  
「やるなら死ぬ気で応戦しろ、このダメツナが。お前が殺る気見せれば、ヒバリだってお前のことをちったぁ見直すかもしれねーぞ。」 
「そんな理由で見直されてもイヤだよ!」 
「『強くてかっこいい』なんて巨大ロボにあこがれる子供みたいな理由でヒバリのこと好きになっといて、そんなこと言えた立場かこのバカツナ」 
「オレの心を読むなぁ!つかいつから知ってたんだよ!」
  
 顔を真っ赤にしてぜえはあとつっこんではみたが、この赤ん坊かどうかはもとより、人間かどうかすらあやしい家庭教師を、本気で追及する気はない綱吉は、身体中の痛みにうめき声をあげながら、何とか立ち上がった。
  
「いって……教室戻んなきゃ、」
  
 静けさから言って授業中なのは間違いないが、時間がわからない。昇降口には時計があったはず、ときょろきょろしていると、家庭教師にむこうずねを蹴飛ばされて、綱吉はもう一度床に這いつくばるはめになった。
  
「痛いって!何すんだよリボーン!」 
「お前もう今日は帰っていーぞ。俺が許す。」
  
 ええ!?、とすっとんきょうな声をあげ、がばりと起き上がると、リボーンはもう背を向けてどこへやらと歩き始めていた。
  
「どーいう風の吹き回しだよ。」 
「その顔で教室戻ったりしたら獄寺がうっせーぞ。帰ってこの間の問題集の続き全部やっとけ」
  
 薄暗い廊下に黒いスーツの背が溶ける。
  
「全部って……半分以上残ってただろあれ」
  
 それでも天秤は帰る方に傾いて、綱吉は上履きを靴に履き替えるとそのまま手ぶらで学校を出た。雲雀とのあれこれについて、山本や、獄寺や、京子や、教室にいる親しい彼らに訊かれたくはなかったし、話したくなかった。
 
 
  
「もっと嬉しそうな顔したらどうだ、バカツナに告られたんだろ」 
「赤ん坊、」
  
 明りも、空調も、消えている応接室は、薄暗く底冷えしている。革のソファから足をはみ出させて、不機嫌に寝転がった雲雀の手には淡い空色の包装紙が掴まれていた。
  
「それ。本気なの?どういうつもり?僕の顔見ればガタガタ震えてるくせに、よく言うよ」
  
 半眼の雲雀は、手にしていた紙をぐしゃぐしゃと丸めて、ソファのすぐ横に放ってあるゴミ袋に投げ込む。その紙に包まれていた中身の方は、既に袋の中に葬られているのか何なのか、どこにも見当たらない。
  
 リボーンは、「怯えられてるのが不満なのか」と言おうとして、口を開く前にやめた。
  
「……派手にやってくれたな、俺の教え子を」
  
 ため息をつけば、雲雀はようやく黒服の赤ん坊の方を見た。
  
「あの子、妙に打たれ強いね。」 
「俺が毎日鍛えてやってんだぞ。そこらの有象無象と一緒にしてもらっちゃ困る。」 
「赤ん坊が毎日?それは妬けるな」
  
 ふ、と息をついて、唇を笑みの形にした雲雀が、流し目と共にやけに色を含んだ声をとばしたが、リボーンはまるで相手にしないというふうに帽子のつばを下げて、雲雀の視線をさえぎった。
  
「妬けるって、どっちにだ」
  
 鼻で笑ったリボーンに気分を害したのか、乱暴な動作で起き上がった雲雀は、足をゴミ袋の上にぐしゃりと下ろした。
  
「だいたい、僕がこんなものもらって喜ぶとでも思ってるの。校則違反じゃないか」 
「じゃあお前は、あいつの、何が欲しいんだ。」
  
 リボーンは、今度はためらわず言った。虚を衝かれたように黙り込んだあと、きりきりとまなじりを吊り上げて、雲雀はリボーンをにらみつけた。並中生なら、いや教師でも、はたまた全く関係ないそこらの大人だろうと、はだしで逃げ出すような視線だったが、リボーンは、まったく、そよ風でも受けているような様子だった。雲雀はぎりぎりと歯軋りした。
  
「欲しいものなんか、ない」
  
 声は、搾り出すようだった。
  
「そーか。」
  
 リボーンは肩をすくめると、来た時と同じように、2階にあるはずの応接室の窓から、全く気軽に、ぴょい、と出て行った。
 
 
 
  
ホワイトデーにたぶん続くはず 
2009年2月22日  
 
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