授業も終わって、下校時刻はとうに過ぎた。
 今日も今日とて学ランの袖を、自由な鳥の翼のようにたなびかせた雲雀恭弥は、特別教室にたむろして、ぴーちくさえずる女生徒の群れを蹴散らした。蜘蛛の子を散らすように(蜘蛛の子はあんなにうるさくはないが)逃げていった姦しい集団を、ふん、と見下すようにねめつけて、しかし、その悲鳴が、いつもの、「ギャー!(恐)」ではなく「キャー!(嬉)」であったことに違和感を覚え、ふと立ち止まる。足もとに転がる、一枚の紙。何気なく拾い上げ、隙間なく印字された文字にざっと目を通すと、まず眉間に深く皺が寄って、次に驚いたように軽く目を見開いて、それから、にや、と微かに笑った。誰かが見ていたら、回れ右して逃げ出すような笑みだった。雲雀は、紙を畳んで、ズボンのポケットにしまった。

 ところで、並盛中学の公式発行物といえば、新聞委員会の並中タイムスである。
 ただしこれは、風紀委員会の影に怯え生徒会の圧力に脅かされ、さらに顧問教師の監視の下に書かれたもので、ジャーナリズムにあふれているとは言いがたい。まじめな読者も、ほんの一握りである。

 今ここに、雲雀が応接室へ持ち帰ってきた、一枚の印刷物。Wordで作成したと思われるA4サイズの文書は、ホームセンターの7円コピー機を使ったようで、極小フォントをこれでもかと詰め込んだ誌面は全体に薄汚れていたが、段組、行間、レイアウトなど工夫がされており、写真も使って、ぱっと人目を惹く構成になっている。


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並盛FLASH! 新入生歓迎号(通算127号)発行日○○年四月△△日
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 新入生諸君、入学おめでとう!並盛FLASH編集部は今年度新入生を心から歓迎する。君たちの前途に幸多からん事を!我々は、この並盛中で、報道の自由を求めて集った志ある者たちである。諸君らがこの並中に在籍する限り、我々は真実を知らせ続けることを誓う。
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【第1特集】旧制服を脱がさないで!?風紀委員長の危ない講堂裏!
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 過日行なわれた新入生歓迎会は盛況のうちに幕を閉じた。在校生には窺い知ることの出来ないその驚異の内容をお届けするため、当誌記者は講堂潜入に成功!例年通り、教師陣からの挨拶に、部活動紹介、在校生有志による新入生歓迎の出し物、というプログラムである。苛烈な新入生の奪い合いに生き残るため、より楽しく、より過激に、内容を刷新した各部のPR特別VTRについては第2特集に詳細を譲るとして、この第1特集では、在校生有志による驚くべき出し物と、その後発覚した大スクープをお届けする。
 新入生諸君は既にご承知の通り、本年の有志による出し物は、ダメなところが可愛い!との声も高く一部地域にて人気上昇中のST氏を中心とした、男子生徒のみで構成されたダンスチームによる「セーラー服を脱がさないで」が大トリであった。もともと、学年内では人気を二分する、イタリアからの帰国子女GH氏と、野球部の剣客YT氏を両脇に、野球部員を20名近く従えてのダンスということで、噂を聞いていた在校生諸氏も多いことと思う。
(写真1)
 この写真に注目して頂きたい。これだけの数の男子生徒が女子の制服を着用し一糸乱れぬダンスを披露している映像、それだけでも十分スクープ足り得る資格はある。実際、講堂は割れんばかりの笑いと喝采、新入生諸君には、並中がユーモアにあふれた素晴らしい先輩を多く抱える、三年間の青春を約束する学校であると確信されたことと思う。
 しかし在校生諸氏の間には、知りたいのはそこではないと不満をお持ちの方も多いことだろう。練習段階の噂では、ダンスチームは意中の女子生徒の制服を借りるといった類のものもあった。一年生時、並中のアイドルS嬢に、何と下着一枚で交際を申し込み、結局は友情を結ぶに到ったという経緯のあるS氏はともかく、S氏との友情を優先し女生徒からの交際の申込みはことごとく断っているG氏Y氏の想い人がわかるのでは、と胸を高鳴らせたであろう諸姉のため、当誌記者は事実を確かめるべく出し物が終わったばかりのダンスチームが休憩している、講堂裏へと向かった。そこで目にした信じられない光景……!
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 諸氏の中には、センターで踊るS氏が、この並中の旧制服である黒のセーラー服を身につけていることに疑問を持った方もいるのではないだろうか。曲目にあわせてのチョイスである、という見方は当然出来るが、現在旧制服は風紀委員の管理下にあり入手困難な状況である。どうか、この写真を見てほしい。
(写真2)
 講堂裏手、舞台裏出口(大道具搬入口)スロープを、講堂側から見て左手の植え込み影から撮影したものである。ダンスの成功を祝い、しばしこのコンクリートの上でクールダウンしていたダンスチームだが、何故か今年も在学の並盛名物・風紀委員長H氏の登場により、あえなく解散となった。しかしその中で今回のダンスチームの中心人物S氏が、にこやかに風紀委員長に歩み寄ったのである。まさか旧制服は風紀委員会直々の提供!?本誌記者が息を呑んだその瞬間、さらに信じがたい光景が展開された!
 写真右端に伸びている仔鹿のような脚がS氏のものである。黒いプリーツスカートが大腿にかかっているのがお分かりだろうか。その両脚の間、身体を割り込ませている学ランは慧眼なる読者諸氏には説明するまでもないと思うが、信じがたいことに風紀委員長その人なのだ!
 にこやかなS氏と記者に背を向けた委員長H氏が二言三言、言葉を交わしたと思えば、その直後にはH氏はスロープ上にS氏を――あえてこの表現を使わせていただく――押し倒した。記者には二人が言い争いをしているようには見えず、H氏得意のトンファーも持ち出されなかった。残念ながらダンスチームが去って静まり返った講堂裏では、風紀委員長へのこれ以上の接近は危険と判断し、当誌記者は撤退したが、この日、新入生歓迎会終了以降、二人の姿を見た生徒は皆無であることをここに記しておく。講堂裏で一体何が行なわれていたのか知る者はない。
 以前から密かに接点があるとささやかれていたS氏とH氏。風紀委員会から貸し出された旧制服と白昼堂々の密会。今年度、当誌はこの二人を徹底追及する構えである…………


 そこまで読んだ雲雀は、ふうん、と言って唇の端をきゅっと吊り上げた。
「……『仔鹿のような』?」
 口に出してしまったら我慢できなくなった、という様子で、くっくっと笑い出す。
「こんなのがいたなんてね」
 まさかこの並中で、風紀委員長雲雀恭弥の『密会』を盗み見た挙句、盗撮し、さらにこんな発行物に仕立て上げるような生徒がいたとは。草食動物ばかりと思っていたが、なかなか気骨があるではないか。
「A4のクリアファイル、新品あったかな」
 デスクの引き出しをごそごそやりながら、もう一度、ゴシップ誌を見る。モノクロの写真の中で、一際目を惹く、『仔鹿のような』白い脚。あの日の、それを撫で回した感触と、わずかに汗ばんだ肌の匂い、伝統の旧制服を下世話な出し物へ貸し出したことの対価に頂いた、いくつもの甘さを反芻する。講堂裏にある薄暗い物置へ押し込んだときの、不安と、紛れもない期待に揺れた大きな瞳。高い声。
「僕に悟らせずに写真を撮るとは、」
 セーラー服を着た沢田綱吉に、それほど夢中になっていた、という事実は今は頭の隅へ追いやっておく。小さな写真の、モノクロコピーのチープな荒さが隠微さを強調している、と思うのは、雲雀が『密会』の当事者だからかもしれないが、不自由な場所から撮ったであろうに、構図も悪くない。
「楽しみがふえた」
 独りごちて、ファイルを引き出しへとしまった雲雀の耳に、軽やかなノックの音が響く。
 ――ひばりさぁん、補習、終わりましたぁ、
 扉の向こうから甘えた声がする。そう、また着せるのもいいかもしれない。彼は嫌がるだろうか。埃っぽい倉庫の中で、大きな瞳に熱い水の幕を張って、仔鹿のように震えながら、仔猫のように鳴いた痴態を思い出す。けれど、借りた制服を返すだけだから、と言って、獄寺隼人と山本武を先に帰らせたのは、他ならぬ彼自身だ。……それとも、嫌がらないだろうか。
「情けない声を出すんじゃないよ、」
 雲雀は珍しくデスクから立ち上がって、仔鹿のために扉を開けて、出迎えてやる。めったにない歓待に、はしゃいだ声を上げてまとわりついてくるのを、邪険にはせず、抱きとめる。

 片腕に沢田綱吉を抱いて、応接室の扉を閉める瞬間、雲雀には、カシャ、というシャッター音が聞こえた気がした。




2010年2月10日(拍手お礼文)

「愛の前には全てが無力」に出てきたゴシップ誌です。
編集長は女子生徒です。
編集部員も九割女子生徒です。 (2010年12月19日)