夜の闇の中に白い花が開いて、雲雀さん、と呼びかけられた。
「こんな時間に、何してるの。風紀を、」
「乱してないです。コンビニ行ってただけです。」
柔らかな後ろ髪を夜風に流して、キャミソールにショートパンツでサンダル履きという、気負いのない格好で立っていたのは、沢田綱吉、雲雀自身驚くことに、雲雀の恋人である。
「お風呂入ったら、どうしてもアイス食べたくなっちゃって」
言われて見れば、綱吉の手にはカサカサ音をたてる、小ぶりの買い物袋が提げられていた。湯上りらしく髪も半乾きで、普段はつんつんに跳ねている茶色の髪も、少ししおらしく見えた。気楽な衣服からは、腕に脚に、かなりの面積、洗い立ての白い肌がむき出しにされている。
「もう少しまともな格好で出てこられなかったわけ?」
「こんなみっともないとこ見られちゃって、恥ずかしいなあ」
そういう意味で言ったわけではなかったのだが、訂正することもなく、雲雀は黙った。綱吉も何も言わず、にこにことそこに立っている。本当に「恥ずかしい」と思っているのか疑問である。
夜の見回りをしていると、宵っ張りな綱吉と、こうして出くわすことがたびたびあった。そのたびにいつも、昼間、学校に居る彼女と、夜、こうして出会う彼女は、どこか違って見えると感じていた。昼間には、こんな風に、伏せた長いまつげを震わせて、ふふ、と唇からそっと押し出すような笑い方を、見たことがない。
鎖骨にかかった髪を払って後ろへ流す彼女から、花の匂いがすると思った。夜に咲く、白い花弁の。ぐっと大きく一歩、距離を詰めて、雲雀の影に小柄な姿がすっかり入ってしまうほどに近寄っても、避けるどころか驚きもせず、ただ大きな目で雲雀を見上げている。昼間、校舎の中でなら、小さな悲鳴をあげて、飛び退かれている距離だ。
「いい匂いがする」
さらに近づいて、距離をゼロにした。雲雀の白いシャツ、あばらの辺りに、綱吉の柔らかな胸が押し付けられた。雲雀は抱きしめることもせず、だらりと両腕を垂らしたままだったが、やはり綱吉は避けたりせずに、そこに立っていた。目線を下へやれば、古びて若干伸びているキャミソールから、つぶされてふにゃんと歪んだ胸の膨らみが見えて、許された気持ちになった雲雀は、乾ききらないもさもさした髪の中へ鼻先を埋めた。
「わかりますか?入浴剤、イチゴの香りだったんです」
これもそういう意味で言ったわけではなかったのだが、訂正することもなく、再び雲雀は黙った。ランボが風呂の湯、飲もうとするから大変でした、とくすくす笑う、かすかな動きにあわせて、ゆらりと立ち上ってくる、とても惹かれる匂い。白い花の匂い。胸がざわついて、落ち着かない気持ちになるのに、もっと感じていたいと思う匂い。夜の彼女は、いったいどこから、そんな匂いを発しているのだろうか。裸に剥いて、シーツに寝かせて、身体の全て、順番に鼻を押し付けていったら、わかるだろうか。
雲雀がそんなことを考えているとも知らず綱吉は、身を寄せ合ったままがさごそと動いていると思ったら、冷たいものを唇に押しあててきた。
「溶けちゃいます。食べてください」
食べてくださいと言うからには食べられるものなのだろう。雲雀はそれが何なのか確認もせず口を開けた。綱吉以外には成し得ない偉業である。
「…………いちご」
かふ、と齧ったのは、棒つきイチゴアイスの先端だった。表面はもう溶け始めてどろどろしていて、舌の上で、濃いミルクの甘さとイチゴの甘酸っぱさをまき散らす。また、ふふ、と笑った綱吉は、自分の口元にもそれを運んで、雲雀の歯形の上から重ねるように一口齧った。
「おいしーい」
真っ赤な舌が、ぺろりと唇を舐める。
「………………、」
白い花が夜に咲くのは、夜にしか活動しない虫を誘うためだ。香りは、おびき寄せるためのもの。夜を這い回る、雲雀を。
「いい匂い、」
雲雀はもう一度言った。差し出されたアイスを、また一口かじる。雲雀の熱で、すぐに溶ける。それを味わいながら、さっき考えていたことを、そのまま口にした。
「君の服を全部とって、どこからその匂いがしてるのか、調べたいな」
軽く首をかしげてそれを聞いた綱吉は、綺麗な扇形に広がった長いまつげを動かして、ぱしん、とひとつ瞬きをした。そしておもむろに、ショートパンツのポケットから携帯電話を取り出すと、どこかへ電話をかけ始めた。
「あ、かーさん?オレ。……うん、いまさ、コンビニで、クロームに会って。泊まりに行ってくる……うん、わかってるって。うん、はいはい。」
ピッ、という小さな音とともに通話が終わると、何事もなかったように再び携帯をポケットへ入れた。その動きで、ついに耐え切れなくなったイチゴアイスが、溶けて棒から落ちる。
「あ、……あーあ」
雲雀は、残念そうな綱吉の手をぎゅっと握った。
「明日でよければ、買ってあげる」
「雲雀さん、悪い大人のひとみたいなこと言ってる、風紀委員なのに」
可笑しそうにくすくす笑う綱吉と真顔の雲雀は、手を繋いだまま歩き出した。どこもかしこも白い綱吉の姿は、どこもかしこも黒い雲雀の影に隠れて、アイスのように闇の中に溶けた。ひそやかな笑い声だけが、夜道に残っていた。
Gladiolus tristis グラジオラス・トリスティス
gladiolus=剣 tristis=石灰色の
グラジオラスの原種のひとつ。春咲き。
白に緑の線の入った花が、夕方から強く香る。
グラジオラスの花言葉「密会」
夏に芳香のある白い花を咲かせ
夜にしか活動しない蛾によって受粉するのは
ユッカ・エレファンティペス(青年の木)
夜来香、月下美人、良い香りの白い花を咲かせる
色々な花のイメージを混ぜて書いたのですが
きっかけはトリスティスの香りだったので。
2010年4月25日
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