沢田さんがわたしの髪をとかしてくれる。ママンやビアンキさんとはちがって、慣れない手つきは、ときどき髪をもつれさせるけど、いたいっ、なんて、ぜったいに口に出してはいけない。こわがった沢田さんが、髪をとかすのをやめてしまったら、もったいないから。悲しいから。
「イーピンの髪、ずっと三つ編みなのに、ほどいただけでまっすぐだね。チャン・ツィイーみたい」
 優しい指が、髪を剃ってしまっているわたしの頭の、肌に直接さわる。少しかさついていて、最近どんどん太くなっている指。男のひとの指。この手が、悪い人たちをやっつけて、いたずらしたランボにデコピンして、わたしをそっと撫でてくれて、そして、ヒバリさんに触れるんだ。

「やっぱり、下ろしてたほうが可愛いよ」
 じょうずではないけれど、とてもていねいな沢田さんに梳いてもらうと、髪の毛がいつもよりつやつやになった気がする。かわいい、と言われることに慣れていないわたしは、黒い髪をゆらして沢田さんのほうへ振り返ったけれど、何も言えなくて、ただ、ほっぺたを赤くしてしまうだけ。そんなわたしを見て、沢田さんは笑ってくれる。
「じゃ、次はこれね」
 手に持ってひらひらさせた、かわいいチェックのハンカチは、ビアンキさんのもの。三角に折って、後ろで縛って、わたしの頭の剃ったところを隠してくれる。こうすると、前髪を上げているだけの、ふつうのおかっぱ頭のように見える。

 ハゲだとかデコだとかブサイクだとか、そんな言葉は別にわたしを傷つけはしないのだけれど、日曜日、おつかいの途中、すれ違いざま、ランボくらいの歳の男の子にそう言われたとたん、沢田さんは今までに見たことないくらいに怒った。あの、面倒くさがりの沢田さんが、男の子達の首根っこを捕まえてきて、イーピンに謝って!と叱りつけたから、かえってわたしのほうがびっくりしてしまった。あわてて、いいの、気にしてないの、本当のことだから、と言うと、沢田さんはとても悲しそうな顔になった。
 その日、帰ってから、わたしとランボがおやつを食べているとき、沢田さんはママンとビアンキさんと、長い間話していたようだけど、その内容はわからない。でも、次の日の朝、着替えよ、といってママンから渡されたのは、いつもの功夫着ではなくて、ちょうちん袖の白いTシャツと赤いショートパンツだった。

「これはオレから。……あんまりいいやつじゃなくて、悪いけど」
 言いながら沢田さんは、うさぎさんのかざりのついたパッチンどめを、右耳の上のあたり、ハンカチのはじにつけてくれた。
「ロ阿、很漂……か、かわいい!ありがとう、」
 日本語をしゃべろうと思って、とっさには出てこなくて、さいきん黙ってしまうことの多いわたしの言葉を、せかしたりしなくて待ってくれる。つっかえても、日本語が出てきただけで、イーピンはえらいね、とほめてくれる。沢田さんはイタリア語がなかなか覚えられなくて、リボーンに怒られたり、ランボにばかにされたりしているから、ほめてくれる言葉にはとても重みがある。そして、わたしが日本語をひとつおぼえるたびに、自分のことみたいによろこんでくれる。

「さ、行こうか」
 さしだされた手を、にぎっていいのか迷って、わたしはまた黙ってしまう。
「……オレと手をつなぐなんて、イヤかな」
 まさか!ぶんぶんと首をよこにふる。そんな言い方はずるい。イヤなわけない。誤解されたらかなしいから、しかたない。わたしは自分に十も二十も言い訳してから、とびつくように手をにぎる。それだけで、沢田さんはほんとうに嬉しそうに笑う。
 やさしい沢田さんの、やさしい手。不器用だけど、あったかくて、おおきな手。悪い人をやっつける手。わたしの、ちいさな手。人殺しの手。沢田さんがおいしいといって食べてくれるチャーハンを作る、おなじ手で、人を殺して、お金をもらって、お師匠さまと一緒にごはんを食べていた。良いとか悪いとか、何も考えたことなくて、ただ、言われるままに人を殺した。沢田さんはそのことを知っているけれど。
「こんな可愛いイーピンと、手をつないで買い物にいけるなんて、嬉しいな」
 とんとんと階段をおりる。それにあわせて、わたしのワンピースもゆらゆらゆれる。しましまのワンピースは、ズボンばっかりはいていたわたしには、あしがすうすうして、居心地がわるい。でも、スカートをはくのは、うれしい。かわいい。
 人を殺して暮らしていたころ、かわいい、というのはわたしには価値のない言葉だった。小さなこどもだとターゲットは油断するから、おさない、と言われるのは価値があった。有名になってお金がたくさんもらえるから、強い、と言われるのは価値があった。でも今は、沢田さんが言ってくれる、かわいい、という、他には何の意味もない言葉が、わたしの心にはとても価値があるものだ。

 玄関でくつをはく。沢田さんは、高校へ行く時にはくスニーカー。わたしは、一足しかもっていない功夫靴。
「今日は、靴と、帽子を買うからね。何色がいいか、考えた?」
 剃っていた髪がのびて、三つ編とおなじ長さになるまで、ぼうしをかぶって。布の黒いくつはやめて、しましまのワンピースににあうかわいいくつをはいて。それで、沢田さんのおうちから学校にかよって、なんでもわたしのやりたいことをしたらいい、と沢田さんは言う。わたしはうれしくて胸をどきどきさせながらうなずく。でもそれは、お師匠さまの教えにそむくことだ。
 お師匠さまといっしょにいたときは、髪を剃って辮髪にして、功夫着を着て、男の子のかっこうをすることは、わたしには苦痛じゃなかった。闘うのに髪が長いのはじゃまになる。功夫着はうごきやすくて、どんな修行でもできた。女の子のかっこうをしたいなんて、思いつきもしなかった。

 わたしは、沢田さんが、お師匠さまの言いつけでわたしが男の子のかっこうをしていたこと、ううん、男の子のかっこうをして、人を殺していたことを、あまりよく思っていないと、知っている。わたしが、お師匠さまのことを大好きだから、口にはしないように、気をつけていることも。わたしの大好きな沢田さんは、わたしの大好きなお師匠さまを、よく思わないところがある。それを知っていて、それなのにわたしは、ふたりのことを同時に大好きだと思うのは、おかしいんじゃないかなぁ、と自分でも思うけれど、じっさいに大好きなのだから、不思議だ。

「あ、雲雀さーん!」
 商店街のアーケードが見えてきたあたりで、沢田さんが大きな声を出して、手をふる。わたしはびっくりして、沢田さんのかげにかくれてしまう。ヒバリさんがいっしょだなんて、どうしておしえてくれなかったの、と心の中で沢田さんをせめてみるけれど、ヒバリさんがいっしょだと知っていたら、わたしがすなおに出かけられたかときかれれば、きっと恥ずかしくてでかけられなかったと思うから、こうしたのに違いなかった。
「沢田、」
 わたしから見れば、とても高いところにあるヒバリさんの目が、沢田さんの顔からさがって、足にしがみついている、わたしのほうを見る。
「……あれ、いつもと違う、」
 おどろいたように降ってきた言葉で、ヒバリさんが「いつも」のわたしを記憶していたことがわかって、うれしいのと、恥ずかしいのとで、ますます小さくなってしまう。
「人の話を聞かない人だなぁ、だから買い物するんだって、オレ説明しましたよ」
 むっとして、ほっぺたをふくらませる沢田さんは、ママンの前で同じようにする時とは、ちがう顔をしている。おうちでは、見ない顔。
「いいけど、君、女の子の服なんて、店わかるの」
 ヒバリさんは、ちょっと意地悪そうな顔。そっくりな顔のお師匠さまは、ぜったいに、しない顔。
「だーかーらーっ、商店街に詳しい雲雀さんに一緒に来てほしいんですけどってオレが言ったら、雲雀さん、「うん」って言ったでしょー!?」
 顔をまっかにして怒る沢田さんを、ヒバリさんは、にやにやしながら見ている。ただ黙ってそこにいると、お師匠さまがそこにいるのかと思ってしまうくらい、ヒバリさんとお師匠さまは似た顔をしているけど、すこし動きだしたら、似ているところなんてぜんぜんない。お師匠さまに似ているから、それがきっかけでヒバリさんのことを好きになったのに、ヒバリさんがお師匠さまとは似ていないことがわかった今も、わたしの心から、ヒバリさんが好きという気持ちがなくならない。とっても不思議だ。

「今日は、帽子と靴を買いたいんです」
 むっとして、それでも沢田さんはやさしい手つきで、わたしの背中を押して、ヒバリさんに説明する。あごに手をやって、ふん、とうなずいたヒバリさんは、もう一度わたしのすがたを見て、そして、一点で目をとめて、あ、というかたちに口を動かした。ちょっとだけ、ほっとした顔をしたヒバリさんは、ハンカチについたうさぎさんのパッチンどめを見ていた。それでわたしは、沢田さんがこれを買うときに、ヒバリさんと何かがあったんだろうということがわかった。
「なら、こっちだよ」
 わたしと沢田さんの、つないだ手を見たヒバリさんが、沢田さんのもう片方の手をとって歩きだす。沢田さんはあわてて、商店街で手なんかつながなくたって、はぐれたりしませんよ、と言うけど、ヒバリさんは聞こえないフリをしている。
「普通、この並びなら、イーピンを挟むべきでしょ」
 ねえ?と沢田さんはわたしにたずねてくるけれど、ヒバリさんと手をつないで歩くなんて、そんなの、考えただけでどうかなってしまいそうだった。顔をあかくしてぷるぷると首をふった。

 ヒバリさんがつれていってくれたお店は、古くて、ちいさなお店だったけど、きれいにそうじがしてあって、ならべてあるお洋服も、ほこりをかぶったり、日にやけたりしているものは、ひとつもなかった。やさしそうなおばあちゃんが、今日はどんなご用で?とわたしにきいてくれた。わたしは答えようとして、やっぱりすぐに日本語がでてこない。あわててしまって、口をぱくぱくしていると、沢田さんが、ぽんぽん、と頭をなでてくれた。
「あ、あのっ、ぼうし、と、くつ、を、」
 はいはい、とお店のおくへ入っていくおばあちゃんに、沢田さんが、あるだけ全部みせてください、と声をかけている。
「こっちにもあるよ。そこの棚、」
 ヒバリさんが沢田さんに言う。沢田さんの着ているシャツのすそをひっぱって、指をさして、沢田さんにお礼を言われると、にっこり笑う。おつかいのおてつだいをしてる、ランボやフゥ太やわたしたちみたい。ヒバリさんが、お師匠さまと似ていないことがわかっても、わたしはヒバリさんが好きだ。それは、ふだんはかっこよくて、とても強いヒバリさんが、ほんとうは、やさしくて、かわいらしくて、むじゃきなところがあると、知っているから。
「黄色はやめた方がいいよね。通学帽みたいだし」
 古ぼけたおおきなかがみの前にわたしを座らせて、ああでもない、こうでもない、と悩む沢田さんに、ヒバリさんはお店のなかのどこかから見つけてきた、うさぎさんのアップリケのついたTシャツをあてて、にあうよ、買ったら?なんて言って、沢田さんにおこられている。
 ヒバリさんが、やさしくて、かわいくて、むじゃきなのは、沢田さんの前だからだ。わたしの大好きなヒバリさんは、わたしの大好きな沢田さんのことが大好きだから、ヒバリさんの目はわたしを見ない。
 でも、ヒバリさんが沢田さんのことを好きじゃなかったら、わたしは、ヒバリさんがお師匠さまと似ていなくても好きだとは、思わなかったかもしれない。

 10こもぼうしをかぶって、さいごに、ピンクがいいな、とわたしが言うと、沢田さんはうれしそうに笑って、さくらんぼのアップリケがついたぼうしと、ちょうどおそろいみたいな、さくらんぼのもようの、ピンクのスニーカーを買ってくれた。スニーカーはひもがついてなくて、バリバリテープでとめるものだ。
「イーピンはきっとちょうちょ結びなんて簡単にできるんだろうけど、遊んでて踏んだら危ないからね」
 照れたように笑う沢田さんを見て、ヒバリさんはまた意地悪そうな顔をする。
「君はこんな小さな頃には、ちょうちょ結びなんて、できなさそうだね」
「うるさいな!その通りですよ!ちなみに自分で紐靴はけるようになったのは小五ですよ!」
 ヤケになって、言わなくてもいいことを言ってしまう沢田さんを見るヒバリさんの目は、やさしいから、わたしは少し、さみしい。
 わたしの頭からハンカチをとって、帽子をかぶせてくれるとき、沢田さんは、ヒバリさんにも、お店のおばあちゃんにも、わたしの剃り上げた頭が見えないように、やってくれた。くつをはきかえて、黒い功夫靴を入れたビニールぶくろを持つと、沢田さんはわたしの手からそれをとりあげた。
「イーピン、新しい靴、痛かったらすぐに言うんだよ?」
 こっくりうなずいたわたしの手を、沢田さんがまたにぎってくれる。ありがとうね、と言うおばあちゃんに、どうも、と軽く頭をさげた沢田さんとお店を出ると、ヒバリさんがあいていたわたしの手をにぎったから、わたしは心臓がとびでてしまうんじゃないかと思うくらいおどろいた。思わず見上げると、ヒバリさんも沢田さんも、笑っている。ヒバリさんがわたしの手をにぎったのは、沢田さんの両手が、わたしの手とビニールぶくろでふさがっているからかもしれなかった。それでも、とてもうれしい。
「クリームソーダ、飲みたくない?」
 おうちでは、わたしが見ているところでは、いつも「お兄ちゃん」の顔をしている沢田さんが、ふにゃっと、少しあまえた顔をする。
「雲雀さんが、おごってくれるって。……ランボとフゥ太には、ないしょだよ?」
 いたずらの計画を話すような沢田さんを見るヒバリさんは、とても満足そうだ。
 わたしの大好きなヒバリさんは、わたしの大好きな沢田さんのことを大好きだから、わたしのことを見ない。わたしはそれをさみしいと思うのに、やっぱり、ヒバリさんのことも、沢田さんのことも、同時に大好きだと思う。それはとても不思議なことだけど、とてもしあわせなことでもあった。

 わたしたちは手をつないだまま、午後のひかりの中を、ゆっくりと歩きだした。





髪五尺ときなば水にやはらかき少女ごころは秘めて放たじ 与謝野晶子

2010年4月9日