障子を透かした鈍い光線が柔らかく畳の上に落ちていた。障子の向こう、縁側を降りてすぐのところに植わっている南天の枝に雀がとまって跳ねているのが、影絵のように白い紙に映っていた。部屋の真ん中に延べた床に半身を起こしてぼんやりとそれらを見ていた雲雀は、薄い夜着を通して染みてきた秋の朝の冷気にふるりと身を震わせて、立ち上がると肩から夜着をすべり落とし、壁に掛かったハンガーを手に取った。ブラックジーンズと濃いグレーのニットチュニック、休日の普段着に着替えると、夜着をたたんで床を上げた。

 雲雀家の建具はすべてぬかりなく手入れがされており、雲雀の部屋の障子ももちろん、指を掛ければわずらうことなくすっと開く。板の間に出てガラス戸も開けば、ひんやりとした清々しい空気が夜の間に澱んだ部屋へなだれ込んできた。すう、と大きく息を吸い込んで、吐いた。

 秋になり多くの庭木の葉は紅葉し、黄葉し、または枯れ、散り落ちたが、雲雀の部屋に面した中庭は苔に覆われて地には緑が残っていた。ふかふかした感触が心地よく、幼い頃はこっそりと裸足で庭に下りて遊んでいた。そういえば、それをしなくなったのは、いつの頃だったろうか。

 苔の上には雪を散らしたように、白いさざんかの花弁がばらばらと落ちていた。小学生の頃、さざんかのぐずぐずと崩れて落ちる大振りの花のだらしなさが嫌で、首ごとぽとりと落ちる椿の潔さを殊更に愛し、白の侘助に植え替えて欲しいとわがままを言ったことが確かにあったが、さざんかのだらしない崩れ方に、嫌悪よりも先に哀愁を感じるようになったのは、いつの頃だったろうか。

 雲雀は、ふ、と息を吐いた。

 洗面所で身支度を整え、朝食を食べ、再び自室へ戻ると、部屋の隅の、まだ真新しく見える桐の箪笥をそっと開いた。防虫香の匂い袋が強く香った。

 今日は、何の予定もない日曜日だ。正しく言うなら、何の予定もなくなってしまった日曜日である。家の用事で出かけるはずで風紀の仕事もすべて入れずにおいたのが、先方の急な都合で昨夜に延期が決まった。中止ならいいが、延期ということは、今日を一日無駄にして、近いうちにさらにもう一日予定を空けなければならないということだ。

 招待では茶席の用意があるという話だったから、和服、紋付きの色無地を着れば間違いはないと、一昨日から衣紋掛けに一式組んで鴨居に吊るしていたのを仕舞い、そのついでに、箪笥の整理をかねて、夏の間に袖を通した着物に汗染みなどできていないか確認して過ごそうと考えた。

 中学生になり、二次性徴も来た雲雀に、もうそんなに身長が伸びることもないだろうと幾枚もの着物が作り与えられた。振袖、訪問着、色無地、小紋、雲雀の好みも一応は聞き入れられたから、十代の少女が着るものと思われないような、地味な色合いのものが多いが、無理矢理にあてがわれた、華やかなものも数枚ある。それらを着て外出させられた時のことを思い出し、雲雀はふと手を止め、ぼんやりと考え込んだ。今年は特に多かった。桃の節句だから、桜が咲いたから、夏休みだから、暑さの盛りも過ぎたから、様々な理由をつけられて、娘らしい朱鷺色や紅梅色の着物で外出する破目になったのだ。

 ぼんやりと考えに沈んでいた雲雀は、甲高い口笛のような百舌鳥の声に、はっと我に返った。箪笥は開けたまま、ゆっくりと立ち縁側に出て空を見た。百舌鳥はずっと鳴いていたが、姿を見つけることはできなかった。並盛町内の一等地に広大な敷地を有し数多くの庭木を植えた雲雀邸は、そこいらの公園よりもずっと緑が多く、鳥が多く来る。

 見上げた空は晴れ渡って、淡い色の大気が高くまでずっと続いていた。空が遠く雲が薄いことに不安を覚える自分の感傷を笑い飛ばそうとして、唇からは、ひゅ、とおかしな空気が出ただけだった。

 薄暗い室内へ取って返す。壁に吊るされた、藤色の色無地の袖を何となく手に取った。合わせた帯は、全面に宝尽くしの刺繍が施された金色のもので、無難だが格の高い組み合わせだ。

 自室の畳は毎日掃き清めているが、それでも念のため着物に埃をつけないよう衣装敷きを広げて、その上に衣紋掛けから外した色無地を下ろした。開け放した障子から届くわずかな日の光に、華唐草の地紋のとろりとした正絹の生地が反射して、うねったような模様を描く。彩度の低い藤色は光量の低い室内では金属のように見えた。紫なら紫で、もう少し赤みの強い色を選べばいいものを、せっかく若く美しくていらっしゃるのだから、と嘆く出入りの呉服屋の言葉を聞き流して、雲雀がこれで着物をこしらえさせた理由がこの質感だった。たたんでたとう紙におさめ、箪笥に入れず、同じようにたたんだ帯と重ねて部屋の隅に置く。

 箪笥から、たとうを一包み取り出した。春、「母の名代」で行った観桜会の時に着た、桜の振袖だ。見れば苛立ちが募るが、細かな針目も美しく仕上がった、着物自体には何の罪もない。言い聞かせて、乱暴になりがちの手を押さえて紐を解く。

 少なくとも昨年までは、多忙な両親の名代として、という言葉を頭から信じていたし、そのようなつもりで出向いていたが。気づくまでにそう時間はかからなかった。多忙だからこそ、ほぼ月に一度のペースで、茶会やパーティーなど、そもそも参加するはずがないのだと。桃の節句、観桜会、万燈会、観月会、賑やかな席に華やかな着物を纏わせた雲雀を送り込んで、それは遠まわしな見合いに他ならない。

 雲雀は跡取りだが、女だ。両親は、ひらひらと華のような着物を着せて、あちこちと人目に触れさせ、血統のよい種馬を持つ家の目に止まるのを、見初められるのを、待っているのだ。雲雀は釣り針であり餌であった。家の存続のための。

 観桜会で、名のある剣術流派の前宗家に、頭のてっぺんからつま先まで、何度も視線を往復された挙句、うちにも君くらいの歳の孫がいるんだよ、次男だがね、と言われて初めて、両親の意図に気づいた。その時まで、なぜ趣味に合わぬ少女めいた着物を着て外出せねばならないのか、疑いもしなかった自分の間抜けさを雲雀は責めた。その場でトンファーを振り回し暴れだすような無様を晒さなかっただけましだったか。何十時間にも感じた数時間を何とか過ごし、帰宅して、苛立ちにまかせて振袖を脱ぎ散らかし、よく風に通しもせず仕舞ってしまった。部屋に吊るして、これ以上、華やかな振袖を、それがどんなものか気づきもせずに身に纏っていた滑稽な自分を、見ていたくなかった。

 春の陽気のいい日だったから汗をかいた。屋外に数時間、飲み物も食べ物もあり、そんな風に過ごしておいて、ろくに手入れもせず仕舞いこんで、振袖には何の罪もないものを、無体なことをしたと、明るい縁側近くに寄り、衣装敷きの上にふわりと広げた。柔らかな曙色の地に、たなびく春霞と、けぶる遠山の景色、そこに、こぼれるような桜が描かれている。

 光に当てて、左右の長い袖、正面の裾、汗を吸ったはずの八掛、と見ていけば、やはりいくつか染みのようなものがあり、地の色が淡いからわかりづらいが、カビもあるようだった。雲雀はため息をついた。くだらないことで子供のように動揺して、とんだ不始末をしでかしたものだ。例の出入りの呉服屋に頼めば腕のいい染み抜きを探してくれるだろうが、染み抜きを施してもらえばどうしても生地は痛むし、母親からの小言は免れない。

 染み抜きに出す振袖は綺麗にたたみなおしてたとうに包み、先ほどの色無地とは違うところへまた置いておく。それから、箪笥の中から、振袖と同じ引き出しに入っていたたとうをすべて出した。三つあった。湿気が移っているかもしれず、すべて開いて確認しておくのが確実だと思われた。

 一つ目は、振袖用の長襦袢だった。桜の振袖と一緒に着たものだ。当然汚れていて、正月に着た振袖にも合わせたはずだから、これは洗い張りに出すことにした。たたんで、たとうに包む。

 二つ目は、鶯色の地の紅型染めの小紋だった。母の娘時代のもののお下がりで、数年前にはこれで着付けの練習を繰り返した。今は和服も、振袖でなければ一人でさっと着られるようになり、あまり出番もなくなっていたものだ。風を通すために衣紋掛けに掛け、鴨居に吊るす。

 三つ目、引き出しの一番下に入っていたのは、これもやはりお下がり、しかし母のものではなくもっと古いもので、銘仙の矢絣だ。現代日本でこれを着たらコスプレのようであるし、もっと小さな頃は気にせず着ていたが、今は丈も足りない。やはり出番はないが、これも一応鴨居に吊るした。

 空気は乾燥していて、しばらくこうしておけば湿気は飛ぶだろう。箪笥の二段目に移る前に茶でも飲もうか、と腰を浮かせかけると、にわかに庭の方が騒がしくなった。聞き覚えのある声だった。それが次第に大きくなり、ヒバリ、極限に勝負だ、とはっきり分かる形で聞こえるようになり、ため息が出る。今日予定通りに外出できていればこんなことに煩わされることもなかったのかと思えば、余計に腹立たしい。戦ってやる気にもなれず、自宅からボクシングスタイルで走ってきたのか、半裸にヘッドギアを装着した笹川了平が、柔らかな苔を踏み荒らして百日紅の古木の陰から現れた瞬間を狙って、トンファーを投げつけた。

「貴様がいれば女子ボクシング部設立も夢ではなぶっ」
「お兄さんっ、女の子の部屋に縁側から入るなんぎゃあっ」

 ただ、笹川了平は一人ではなかった。思いもかけない声が聞こえて動揺した雲雀は、声変わり前の少し高い少年の声が耳に届いたのが、トンファーを投げた後で良かったと内心で胸をなでおろした。でなければ手元を狂わせていたかもしれなかった。眉間にトンファーをもろに喰らって昏倒した笹川了平の下敷きになって、色素の薄い、つんつんととんがった髪が、ボクシングのヘッドギアの影からぴこぴこと見えている。ひらひらと百日紅の枯葉が舞った。

「騒々しいな」

 縁側から見下ろして一言で斬って捨ててやれば、つんつん頭の少年、沢田綱吉は、気を失った笹川了平を押しのけてもぞもぞと這い出てきた。這ったまま、雲雀の足元まで近寄ってくる。

「すっ、すみません、雲雀さん、休みの日に」

 パーカーを着た沢田の背中に、さざんかの白い花弁が押し潰されて何枚も、べったりとくっついているのを見て、しゃがんだ雲雀はぱんぱんと叩いてそれを払い落としてやった。

「頭に枯葉もついてる。そんなものいっぱいくっつけて、とんでもない間抜けに見えるよ」
「うう、」

 ばたばたと全身を叩いて立ち上がった沢田は、すみません、ともう一度頭を下げた。

「コンビニ行く途中でお兄さんとばったり会って、雲雀さんちに行くから一緒に来いって引き摺られて、」

 沢田の言うことも聞かずに猪突猛進、町内を駆け抜ける笹川了平の姿は目に浮かぶようだったが、雲雀はふんと鼻を鳴らして見せた。

「君も、嫌なら嫌ってもっとはっきり言いなよ、」
「でもオレ、雲雀さんちって、一度来てみたかったんです」

 一度来てみたかった、という言葉はただの好奇心であって、意味などない、と雲雀は心の中で何度も自分に向かって言った。こんなことで動揺するのは「自分らしくない」。きゅ、と唇を結び軽く拳を作った雲雀の内心も知らずに、沢田はさらに口を開いた。

「雲雀さんの私服はじめて見ました!貴重、」

 へらへらと笑った、子供らしく不躾な視線が、雲雀の上を頭のてっぺんからつま先まで何度も往復して、雲雀は思わず身体の向きを少し反らした。私服と言っても今身につけているのは全くの部屋着で、ニットのチュニックは毛玉こそないが着古している。観桜会でじじいに同じように見られた時と、今、沢田綱吉に見られているのと、感じる羞恥の意味は全く違った。さらに、着ている物があの時と今で逆なら良かったのに、と頭の隅を掠めた思考も、自分のことながら現金なことだと思う。雲雀は一つ、咳払いをした。

「で、君もぼくの家に来て、勝負したいのかい、」

 つっかけを引っ掛けて縁側から降り、まだ倒れている笹川了平の脇に落ちたトンファーを拾って構えれば、一気に青ざめた沢田はぶんぶんと両手を顔の前で激しく振った。

「まさか、め、めっそうもない!!」
「遠慮は要らないよ、」

 これ以上沢田と会話をしてらしくもない動揺するのが嫌で、畳み掛ければ悲鳴を上げて逃げ帰るかと思ったのに、好奇心旺盛な子供は、ひく、と呼吸を引き攣らせて視線をさまよわせた次の瞬間には、さまよった視線が発見したものに飛びついた。

「あっ、あれ、あの着物、雲雀さんのですか!?」
「……そうだけど」

 つい今しがたまで青ざめていたはずの頬はもう赤みを取り戻して、「女の子の部屋に縁側から入るなんて」と笹川了平に言った本人が、縁側に手を着いて、暗い室内を覗き込んで歓声を上げている。臆病な草食動物の癖に、変なところで鷹揚で大胆なのだ。ため息を一つ落とすと、トンファーをしまってつっかけを脱ぎ、再び縁側に上がった。上がれとも何とも言っていないのに、沢田はスニーカーを脱いで後をついてきた。これでいて、応接室でも、雲雀が本当に入ってきて欲しくないと思っている時には、何故か空気を読むのだった。

「はいからさん、」

 矢絣の銘仙のことを言っているのだろう。好んで着ていると思われるのは気恥ずかしい。

「子供の頃に着ていた物だよ」

 言ってしまってから口調の言い訳がましさに舌打ちしたくなった。沢田は気にしていないのか、それともそういうふりをしているのか、ああ、緑色のよりも短いですね、と二枚の着物を見比べて頷いた。

「そっちは、母のお下がり」
「じゃあ、今の雲雀さんの着物は?」

 当然の質問だった。結局のところ自分は、こんな普段着ではなく、ちゃんとした外出用の服を沢田に見てもらいたいのだろうか、と雲雀は自問した。視線で、壁際に寄せたたとうを示すと、それを目で追った沢田は、見せてもらえるものと思った顔で、期待して雲雀を見た。はあ、とため息を吐き、少し迷って、結局、藤色の色無地ではなく桜の振袖の方のたとうを開いた。

「きれいですね」

 こぼれるほど描かれた桜を見て沢田は声を上げたものの、どこかぴんと来ない顔をした。洋服は着ていなくても人の形をしているが、和服は着ていなければただの布だ。今見えているのが袖の部分だということも沢田にはわかっていないだろう。どうせなら、見せてやればいい、雲雀はもう浅ましいついでに、振袖をばさりと振って広げると、襟を折り、立ち上がって羽織り、袖を通して前を軽くあわせた。似合わないと言われるのが怖くて、まっすぐに沢田を見ることはせず横を向いた。

「オレンジだ、」

 沢田は咲き誇る桜の向こうの生地の柔らかな曙色をそんな風に表現して、照れたように笑った。そうだ、身に纏っているのは沢田の炎の色だ、そう思ったら、「自意識過剰だ」とでも言ってやれば良かったのに、何かを言う前に雲雀まで照れてしまった。頬が上気したのが分かって、部屋に灯りをつけていなくて良かったと思った。

「すごい、雲雀さん、お姫様みたい」
「………………っ、」

 はにかんで投げかけられた言葉に、頭の中でこね回していた言葉はもう、ぷつんとちぎれてばらばらになってしまって、みっともなく何度も口を開いたり閉じたりした。

「っ、ば、ばかじゃないの、」

 もっとよく見ようとするように沢田が近寄ってきたから、雲雀はうつむいてぎゅっと身を固くした。もちろん嫌悪などではなくて、羞恥と緊張からだった。

「桜、似合いますね」
「それ、嫌味?」

 嫌そうに返事をしたのはほとんど照れ隠しのためだったけれど、沢田は以前の花見の保健医との騒動、その後それを六道骸に利用されしてやられたことなどを思い出したのか、違います!と大きな声で言ってぶんぶんと首を横に振った。

「あ、あの、いやみとかじゃなくて、雲雀さん、和風のイメージだし、桜、きれいなのに、散る時とか、なんかかっこいいから、ぴったりだって、」

 わかったからもう黙って、と心の中で叫ぶはめになった。余計に恥ずかしいことを言われた。沢田の言葉は子供のようにまっすぐで、裏がなかった。

 何てことだ、と内心で頭を抱える。ついさっきまで、忌々しくて仕方のなかったこの、嫌な記憶しかない、全く好みではない少女趣味の振袖が、もう今は、雲雀の中での位置づけが完全に変わってしまった。もう二度と粗雑な扱いはしないだろうし、染み抜きから帰ってきたら、きっと自ら進んで、これから何度も身につけるだろう。

「春に着る着物ですか?」
「……一応、」

 桜の文様は年間を通して身につけていてもよいことになっているが、この振袖はわりあい写実的な桜の柄が前面に押し出されていて、せいぜい正月から桜の季節まで、時期を外せば着辛かった。

「じゃあ、今なら、もみじの柄とかですか。雲雀さん、赤い着物も似合いそう」
「赤?洋服でも着たことない」
「ええ?もったいない、」

 沢田はへらへらと笑っている。雲雀が好んで自分から身につける着物は、灰、茶、紫といった色が多く、訪問着や振袖といった絵の入っているものよりも、色無地や無地に近い小紋や、幾何学模様の大島などで、親に無理に作らされた華やかなものの中にさえ赤系の着物などなかった。それなのに、目の前のこの、まだ頭に枯葉をくっつけている、へらへらした馬鹿みたいな後輩の一言で、雲雀は、紅葉狩りの赤い訪問着でも作ってもらおうか、という考えが頭の片隅に浮かんでいるのだ。女性らしい装いを嫌う娘がそんなことを言い出せば、両親は喜ぶ前に熱でもあるのかと驚くだろう。きゅっと唇をへの字に結んだ。

「似合わなかったら、君のせいだからね」
「似合わないなんて、絶対ないです」

 庭に転がしたままだった笹川了平が、うーんとうめき声を上げた。目覚める様子だった。雲雀は、自分がよそゆきの振袖を羽織って沢田に見せているところを、友人ではあるがデリカシーのない部類に入る彼に見られるのが嫌で、さっと振袖を脱いだ。沢田がそれを何と思ったのかはわからなかったが、沢田もさっと立ち上がった。

「お兄さんがまた暴れだす前に、連れて帰ります」
「是非そうしてもらおう」

 そのまま縁側から庭へ降りるかと思われた沢田は、足を降ろす前に一度振り返って、振袖をたたむ雲雀を見た。

「なに、」
「……な、んでも、ないです、」

 短い沈黙の後、少女のような白くすべらかな頬にぱっと朱を散らして、沢田は、すばやく庭へ降り、のっそりと起き上がった笹川了平の首根っこを掴むと、お兄さん帰りますよ、と言いながら立ち去った。

「何なのさ、」

 後に残された雲雀は、何かを含んだような、僅かな温度を持っていた沢田の視線を受け止めたまま、ぺたりと座った自室の畳の上で、呆然と呟くしかなかった。頬が熱かった。

 また、庭先で百舌鳥が高く鳴いた。はっとして、雲雀は桜の振袖のたとうをたたみ、紐を結わえた。少なくとも今わかっていることは、これから先、雲雀は、茶会や会食で、どこぞのじじいにじろじろと見られても、物怖じせず背を伸ばしてしゃんと立っているだろうし、うちにも君くらいの歳の孫がいてね、と言われても、毛ほどの動揺もなく、はあそうですか、と答えることができるだろう、ということだった。

「喉が渇いたな」

 笹川了平と沢田がやって来る前のことをようやく思い出して、雲雀は立ち上がった。茶を飲んだら、箪笥の整理を続けよう、今まで趣味ではないと敬遠していた華やかな柄のものも、たまには箪笥から出して風にあてて、次の外出で着てみるのもいい、と考えながら、長い廊下を台所へ向かった。







和装はあまり詳しくないので適当です
すみません
2011年11月24日