アンティークのソファは古さと高価さだけが取り柄であって、僕は投機対象として以外の価値を見出してはいない。だからクッション性はかけらもない居心地の悪いシートに座ることには内心閉口していて、だけどボスの前ではいつも口にできない。お尻が痛くなってしまいそうな骨董品のソファに一日だって座っていることのあるこの人は、肉と酒以外の嗜好品にはまったく興味がないのだろうか、とどうでもいいことをつい考えてしまう。
いつもは一人掛けのに玉座のようにおさまっていることが多いボスはごくたまに、三人掛けのはじっこに肘をついて座っていることがある。足元にベスターがいれば僕はボスを見もしないし近寄りもしない。いないのならそのときが僕の出番だと思っている。ルッスーリアに目配せされるまでもなく、僕は自分の意思でボスの膝元に近づく。
ボスのそれはそれは頑丈な分厚い身体、それと頼りない百年前のソファの背もたれが角を作っているところへ、薄紫色の繻子の側生地に羽毛が入っているクッションをぽすんと据えて、僕は身体を埋める。ころり、と寝返りをうてばもう、頬がボスの膝に乗っている。けして柔らかくはなく、厚い皮膚に硬い筋肉をぎゅうぎゅうに詰めて、下から押し返してくるような弾力のある、熱を持つあつい肉体。僕はそこに、脆弱でまろやかな幼児の肌を押し付けて、隊服のフードの陰からそっと上目遣いに自分の従う人を見るのだ。
「ん、」
赤ん坊の首なんか一握りでもいでしまいそうな手のひらが、隊服の上から僕の身体に触れる。手のひらも他の肉体同様に熱を持っていてあつい。革でできた隊服も通してしまいそうな熱が、やわやわと僕のまんまるの呪われた身体の線を辿るのを感じるといつも鼻にかかった声を出してしまう。
ボスがこうして厚くてあつい手のひらで撫でるのはたいていベスターか僕で、ベスターがどう思っているのかは知らないが、僕が知る限りはこれらは等しく熱のこもった愛撫だ。呪いに掛かる前に僕は幾人かの男(それは今アルコバレーノと呼ばれている奴らが大半なのだが)と寝たことがあったけれど、どれもちっとも心躍る経験ではなく、時間、すなわち金、をどぶに捨てるのに似た無駄なことをしたと嘆いたものだ。それなのにいま赤ん坊の身体で何の交わりもない服も乱さないこの静かな愛撫が一瞬で僕に火をつける。ボスは身体そのものが憤怒の炎でできている気がする。触れられるとあつくて溶けてしまいそうで、それで僕はいつも、ボスはきっと本人も自覚していないところで本当はこうして誰かと溶けてひとつになりたいのだろう、と夢想する。
「……ボスが何を考えているか、僕知っているよ」
はあ、と熱い息を吐きながら、意図した以上に言葉は悪戯めいた響きになった。ボスは、ドカスが、とは言わなかった。
「お姫様にボスの誕生日を祝いたいって言われて、困って、っあ、」
ただ平坦だったボスの手つきが急に、強いものに変わる。だから、僕の指摘は図星だったのだ。
お姫様。そう、ボスには、お姫様というのがぴったりな婚約者がいる。もちろんボスが望んでそうしたのではなく、あの、デリカシーの足りない脳みそも足りないボスの父親(とは認めていないのだけれど)、ボンゴレ九代目がある日突然連れて来た。あの爺さんはザンザスのために世界中から選りすぐったお嫁さんなんだよ、と言うけれど、自分が日本びいきだから日本人、という時点で最初から思いっきりボスの心を逆撫でしている。
ジャパニーズマフィアの娘だ、というから極道ムービーのシマ・イワシタみたいな女なのかと思ったら、ガラスケースの日本人形みたいなのが、ドールハウスの調度品かと思うような小さなアンティークソファにちんまりとおさまってすうすうと寝息をたてているのを見た僕らの(僕らは当然のように爺さんに呼び出されたボスについていったのだった)驚きと言ったら。
あのえげつない爺さんがいったいどんな洗脳をしたのかは知らないけれど、起きろ、と何万歩譲ったとしても絶対に友好的には聞こえない低い低い声でボスに起こされた女は、月のない夜の闇のようなまつげを震わせてぱちりとまぶたを開き、わたしのおうじさま、と言ってにっこり笑ったのだ(スクアーロとベルフェゴールはその瞬間に大爆笑をして、ボスにかっ消された)。
病弱な娘は、音楽留学という名目で渡伊し、日本よりも命を狙われることの少ない土地でゆったり過ごす、という目的がもともとあったらしかった。爺さんは、残された時間の少ないかわいそうな娘であるからしばらく王子様をしてあげればよい、とかいう意味の、やっぱり決定的にデリカシーの足らない言葉でボスにこの突然降ってわいた婚約者の説明をした。要するにその娘もボスと同じにジジイの被害者であったわけだ。
別にボスはその娘を特段気に入ったわけではなかったようだけれど、嫌悪を覚えもしなかったようで、ボンゴレの所有する暖かい島にある古い貴族の館を改造して、寝たり起きたり、教師をつけてチェンバロやバイオリンを弾いたりして過ごしている婚約者に、会いたいと呼び出されれば気まぐれに訪ねていったりしているようだった。誰かと溶け合いたいと望んでいるようなボスの手のことを思って、僕はそれをなかなかよい傾向だと考えている。
さてその上で、ボスの誕生日だ。
僕らは基本的に、ボスの誕生日を祝わない。いや、それぞれにきっと、ボスがこの世に生を受けた日に対する感慨は程度の違いこそあれ胸に抱いているだろうけれど、誕生日、ボスの憤怒が生まれた日、それを面と向かって祝ったりしないということだ。
ボスの婚約者殿が何をどこまで知っているのかはわからないが、数回しかお目にかかったことのない僕にすら分かる、あの純度百パーセントの混じりけのない純粋な好意、誕生日を祝いたいというのは、ただそれだけの話だろう。
「祝いたいって言うなら、祝わせておけばいいんだよ」
ボスは戸惑っている。子供が母親を慕うような、無邪気な好意を向けられたのが初めてで。ジュニアハイの男子生徒が遅めの初恋に戸惑って何をしたらいいか皆目見当がつかないでいるように、困っているのだ。
「ボスから何も言わなくても、あの子にも、僕にしてるようにしたらいい」
それで手のひらから、全部伝わるだろう。あの外部からの刺激にほとんど晒されたことのなさそうな娘が、こんなにもあつい手のひらで触れられて、言葉がないからと言って何も分からないはずがない。
「………………、」
無自覚な困ったボスこそが、僕の言っていることがわからないのだ。好意を向けるのにも向けられるのにも慣れてこなかったボスの好意の種類は一つしかない。だからベスターや僕を撫でる手つきが愛撫になってしまう。
それなのに、遠く聞きかじった情報で、部下に親しむのと婚約者に親しむのが同じではいけないという知識だけはある。自分の手のひらにどれほどの熱と情念がこもっているのかなんて気づきもしないで、ベスターや僕を撫でるのと同じように婚約者を撫でるなんておかしなことだと思っている。これよりももっともっと熱い炎であの病弱なお人形さんを燃やしてしまおうとでも言うのか、ばかげている。
「僕はアドバイスはしたよ、」
本当のところ、官能を呼び覚まされるボスの手を、自分の方から離れるのは惜しいという気持ちは多分にある。けれどついさっきこの部屋に入ってきたベルフェゴールが嫉妬で死んでしまいそうな顔をしているので、名残惜しくも僕はボスの膝を離れた。
ぜんぜん祝ってない。捏造すみません。
2012年10月10日
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