もう十年も前のはなし。その時のことを、綱吉はほとんど覚えていないが、季節がめぐるたび、奈々が何度も何度もくりかえして話すので、覚えているような気になっている。実際は、聞かされた話をもとに、脳内で再構築された擬似的な記憶だ。

 五月五日、端午の節句に、父、家光が、鯉のぼりを脇に抱えて帰ってきた。何事もおおざっぱなようでいて、一年いちどのその日にたがわず、奈々には和紙にくるまれた菖蒲の花束を携えて、どこか遠くの国から駆けつけたのだ。庭で広げて見せながら、ツナのまだ無かったろう、すっかり忘れてた、といって笑った。住宅地やマンションで、ベランダに掲げるような類のものではない。何メートルもある立派な真鯉と、それに連なる緋鯉たち、五色の吹流し。それを何の包装もないむき出しのまま、ぎゅうっと抱えて、「大漁だー!」などとほろ酔いで現れたものだから、さすがの奈々も、もしや酔った勢いで、ご近所で狼藉を働いたのではと一瞬不安になった。もちろんそんなことはなく、日本の日付を思い出すなり飛行機に飛び乗って、帰国したその足で人形店に駆け込み、「一番大きいのを!」購入したのだった。まったく家光らしい話だ。すぐに、どこで手配したのか、まだ三つか四つだった綱吉の腰の太さほどもある立派な青竹が運び込まれ、ブロック塀にくくりつけられた天を衝くようなそれに、堂々とした鯉の家族が掲げられた。奈々が両手でなくては持てないほどの菖蒲の束は、数本ずつに分けて家中に活けられ、青々とした晴れやかな香りが、五月の風に乗ってそこかしこに満ちた。新聞で折ったかぶとを被り、切りつけるような鋭い菖蒲の葉の刀を持った綱吉は、悪漢家光を何度も成敗し、奈々に手を叩かれてそのたびに勝ち鬨をあげ、柏餅を食べて菖蒲湯につかった頃には、うつらうつらとしていた。

 なんとか夕食を食べ終え、ふわふわの頭をゆらゆらさせながら夢うつつの綱吉を、両親が呼ぶ。目の前では、夕暮れになって降ろされた鯉のぼりの、一番立派な真鯉が広げられている。意識がはっきりしていたなら、もしかしたら怖がって泣いたりしたかもしれないが、おねむで、しかも今日一日ヒーロー気分を味わって気が大きくなっていた綱吉は、鷹揚と鯉のぼりの中へ這い込んだ。口の方から奈々が呼んでいる。けれど、家光と菖蒲湯につかった身体はぽかぽかして、父も母もそばにいる。うろこの影をおとして薄暗い鯉のぼりの真ん中で、ついに綱吉は眠ってしまった。

 自分がダメツナなのは、このときに鯉のぼりをくぐりきらなかったせいではないのか。綱吉は、今でも、半分本気でそう考えている。

 その後、こどもの日に家光が帰宅することはなく、母子ふたりでは揚げることも叶わずに、沢田家の鯉のぼりは仕舞われたままとなったのだが。今年、十年ぶりに日の目を見ることとなった。

 五月五日、庭では、リボーンの無茶苦茶な指揮の元、綱吉と、山本と、獄寺と、笹川兄が、新しく購入した、鈍く光るポールに縄をかけ、引っ張り起こしている。
「おーい、ヒバリぃ、手伝えよー」
山本が笑いながら叫ぶ。獄寺と笹川兄は怒っている。綱吉は、雲雀がここに居ること自体ありえないと思っているので、まぁまぁと皆をなだめつつ雲雀には何も言わない。縁側には皆が持ち寄った粽や柏餅と、竹寿司のちらし寿司が並べられ、はしゃぐランボにイーピンにフゥ太、そこから少し離れて、学ラン姿の雲雀が猫のように転がっている。サンダルを突っかけた奈々が、冷たいお茶とコップを盆に載せてやって来て、わいわいとにぎやかな庭を見ながら目を細めて、ご苦労様、ありがとうと声をかける。あんなに高く揚がって、ツッ君も、みんなも、頼もしいわね。男の子は、子供と思っても、たくましいわね。誰に聞かせるでもない奈々の言葉を、雲雀だけが拾って、ちらりと視線をやった。

 快晴の空に、鯉が泳ぐ。新聞のかぶとを被ったランボが、悪漢リボーンを成敗しようとして、逆に泣かされている。綱吉は、今夜、こいのぼりを降ろしたら、子供たちをくぐらせてやろう、と思って、笑った。縁側に腰掛けた綱吉の膝の上に頭を乗せようと寄ってきた雲雀が、何笑ってるの、と訊く。綱吉が答えれば、君もまだできるんじゃない、と言って痩せた腰に腕をまわした。獄寺は頭から火を噴きそうなほど怒ったが、綱吉の、雲雀さん今日は誕生日だから、好きなようにしたらいいよ、の言葉で、歯軋りをしながらも引き下がった。その様子に笹川兄が茶々を入れれば、ゴングが鳴り、フゥ太はランキングブック片手に興味津々の態である。山本は粽を片手に、仲いいのなー、と笑っている。イーピンははにかみながら、綱吉の、雲雀が居るのと反対側の膝にもたれた。
「雲雀先生、恭賀寿辰。(ひばりさん、おたんじょうびおめでとう。)」
綱吉の膝の上で、仰向けに寝返りをうった雲雀が、目を閉じたまま、に、と口の端を上げる。
「…………謝謝。(ありがとう。)」
イーピンの右手に握られたかざぐるまが、吹き抜ける風にさらされてからからと回った。あの、天に向かって泳ぐ鯉の、堂々とした腹いっぱいに孕む風と、同じ風である。



鯉のぼりをくぐる風習についての詳細がどうしても調べられませんでした。
間違ってたらごめんなさい。
2008年5月