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 薄暗い昇降口に人が立っている。出入り口から日が差し込んで、逆光で顔は見えないが、影の形から言って、男子生徒だ。手に提げた、巨大な半透明のゴミ袋が、ガサガサと耳障りな音をたてているのに、気にもせず、全校生徒の下駄箱を見回しては次々と何かをゴミ袋へ入れてゆく。
  
「ひとでなし。」
  
 昇降口から、廊下へ上がる段差のところに、もう一人、小柄な男子生徒が腰掛けている。薄暗い中でも、出入り口から差し込むわずかな光に照らされて、頬を腫らし、乾きかけた鼻血が、顔と白いシャツを汚しているのがわかる。微かな声で呟きをもらすと、ゆっくりと立ち上がった。足もとはおぼつかなく、制服に隠れて見えないだけで、顔以外にも相当の打撃あとがあると想像させた。
  
「おに。けだもの。」
  
 色素の薄い髪を、2月の冷たい空気にふわふわ揺らめかせて、甘い容貌に似合わない言葉をなおも言う。
  
「ヒバリさんには、人間の気持ちなんてわかんないんだ。ひとでなしだから。」 
「……まだ殴られ足らないの。」
  
 色とりどりの装飾が透けて見えるゴミ袋を、片手でずる、ずる、と引きずりながら近づいてくる男子生徒の腕には、風紀委員の腕章がある。2月14日の、少女たちの想いを無残に飲み込んだゴミ袋をだるそうにぶら下げた雲雀恭弥は、不愉快な様子を隠そうともしないで、下駄箱にしがみつくようにしてようやく立っている沢田綱吉を睨みつける。睨まれた沢田綱吉も、負けずに、不愉快そうに雲雀恭弥を見る。
  
「理解できない。」 
「ひとでなしですもんね。」 
「禁止されているとわかっていて、どうして持ってくるの。」 
「一年に一度のことでしょう。」 
「君も理解できない。みっともないね。」
  
 廊下を歩いていた沢田綱吉は、昇降口で、下駄箱に入れられたバレンタインのチョコレートを、黙々と没収、廃棄している風紀委員長の雲雀恭弥を見つけ、慌てて止めに入り、三秒で制裁された。いつもと違ったのは、そこで逃げずにねばったことだ。結果は、いたずらに傷を増やしただけだったが。
  
「僕を非難するなら、僕に勝ってからにしなよ。」
  
 負け犬の遠吠えは聞くに堪えない、と顔をゆがめる雲雀の言い分は、たぶん正しい。
  
「それは、贈った人の心なのに」 
「心を下駄箱に入れるわけ?不潔極まりないね」
  
 雲雀は、ふくらんだゴミ袋を、ぐしゃりと踏みつけた。沢田は、まるで自分が踏まれたように、ひゅっと細く息を吸い込んだ。
  
「好きな人に、好きって、伝えたいだけじゃないですか」 
「だったらなおさら、こんな小道具は必要ないだろう」
  
 踏まれたことによって、余裕が生まれたゴミ袋に、雲雀はさらに小さな箱を捨てていく。可愛らしいラッピングが、上下も左右もめちゃくちゃになって、袋の中に降り積もる。
  
「やめて、やめてください」
  
 もう一度、腕にしがみついた沢田を、雲雀は、今度はトンファーを使わずに拳で殴り飛ばした。簡単に飛ばされて、がつん、と背後の下駄箱にぶつかって崩れ落ちた身体を、さらに数回蹴る。止まっていた鼻血が再び出血し、飛び散って、雲雀の白い靴下に赤い斑点を作った。何度目かで、足先に伝わる感触から、ぐにゃりと力が抜ける。暴力をいったん止めてみると、ゴミ袋そっくりの格好で横たわった沢田はもう、ぴくりとも動かなかった。しばらくは起きないだろうと、雲雀は没収を再開する。
  
「、ヒバリさんは、だれかをすきにならないの」
  
 口の中を切りでもしたのか、とても聞き取りにくい声だったが、確かに沢田の声だった。雲雀はその打たれ強さに内心驚いたけれど、顔には出さなかった。顔に出したところで、這いつくばった沢田には見えなかっただろうが。
  
「君は、何故そんなに、こんなものにこだわるの。」
  
 純粋に、疑問で仕方ない、という声だった。沢田は睫毛を震わせた。
  
「……すきなひとが、いて。きょう、すきですって、いいたかったから。そのひとが、オレのことをすきじゃなくても、きらいでも、オレがそのひとをすきだってことを、しっててほしい、ゆるして、ほしいから。」
  
「草食動物同士共感したって?くだらない」
  
 雲雀はもう沢田の相手はせず、黙々と、普段の下駄箱の静謐を取り戻す作業を続けた。やがて、自分の下駄箱にたどり着いた雲雀は、そこに自分の靴以外に何も入っていないことに大変満足した。
  
 ふくらんだゴミ袋を引きずって、応接室へ戻ろうとした雲雀の足に、こつん、と軽い箱がぶつかった。取りこぼしただろうかと、かがんで拾うと、暖色が多い今日の没収物件には珍しい薄い水色のラッピングは、ひしゃげて血が付いていた。沢田の鼻血だ。
  
「これ、君のかい」
  
 雲雀は嘲るように笑って、指につまんだ箱をかかげてみせる。ゆっくりと身体を起こし、下駄箱に背を預けて座った沢田は、いいえ、と言ってゆるく首を振った。
  
「ヒバリさんの、です。オレ、ヒバリさんがすきです。」 
「……ワオ、どんな冗談?」
  
 無表情で、ぐしゃり、と握りつぶされた箱は、ゴミ袋の中へ落ちた。そのまま振り返りもせず、袋を引きずったまま廊下を曲がり、階段を上る雲雀の背を見送ると、沢田はぽろりと涙をこぼした。
  
「受け取ってくれて、うれしい。」
  
 誰に聞かせるでもなく小さく呟くと、沢田は両手で顔を覆って、肩を震わせた。
 
 
 
 
 
 
 
 
  
「ハムレット」よりオフィーリアの台詞 
「これがまんねんろう、あたしを忘れないように――ね、お願い、いつまでも――お次が、三色すみれ、ものを思えという意味。」 
(シェイクスピア/新潮文庫/福田恆存) 
2009年2月14日  
 
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