あちこちにろうそくが灯され、電気を使った照明は全て落とされている。小さな炎はいくら数があるとはいっても、その恩恵にあずかる範囲はごくわずかだ。ちょっとした物陰、床の隅、天井、そこかしこに闇はわだかまって、何かを潜ませているように怪しく揺れる。何百、何千もの揺らめく灯りに照らされて、無機質なはずのボンゴレ並盛支部の内部は、得体の知れない大きな化け物の体内のような、ほのかに赤く、蠕動するように揺れている。

 きゃああ、と悲鳴のような女児の声が聞こえた。興奮しているのだ。つづいて、弾けるようなたくさんの笑い声。10月31日の夜、並盛町にある、悪い人がたくさん住んでいる地下のお城が開放される、というのはもう十年近くにわたって年中行事になっていて、この町に住む子供たちならば皆、その日を心待ちにしている。仮装した子供なら誰でも入ることが出来る。もちろん、何日も前から入念な準備がなされ、物騒なものはしまわれて、部外者に侵入されては都合の悪い区域は隔壁が下ろされる。黒猫、オレンジのかぼちゃ、くもの巣、少し不気味で少し可愛い飾り付けがあちこちにされて、ちょっとした罪のないトラップ、何人かの門番が隠れていて、イベントも発生する。子供だましのダンジョン。もちろん、振舞われるお菓子はどっさり。

 ヤのつく人たちが盆や正月に敷地を解放して、餅つきをしたり、無料の露店を出したりするのと、要するに同じことだ。日頃迷惑をかけているお詫びという建前、まあそんなに嫌わないで仲良くやりましょうや、と。おかげさまで開催以来無事故、大人たちは寄り付かないが、ハロウィンの夜、拙い仮装で練り歩く子供たちの巡回ルートにはなくてはならない存在となっている。

 ルートはまっすぐではつまらないから、適当に分岐や曲がり角もあって、仕掛け人の方はやり始めれば夢中になる大人が多いものだから、長い順路を全て攻略するのは子供にはなかなか難しい。

 最初に出会うのは片目の魔女。白く大きなフクロウを使い魔として従えている。無口で喋らないが、はにかむように笑って、綺麗な花や溢れるとりどりのキャンディーやチョコレートの幻を見せてくれる。本当に小さな子や、臆病な子なら、ここでお菓子を貰えば満足して帰ってしまう。振り向かずに、走って。

 次に会うのは日本刀をぶら下げた落ち武者で、落ち武者の癖に底抜けに明るい。何故か町内のリトルリーグに所属している子供を全て把握していて、そんな子たちには的確なアドバイスやグラブやボールをくれたりするので、野球をやっている子供なら男女問わず、少なくともここまでは来る。

 三番目のイベントは、銀髪の爆弾魔。口が悪くてヤニ臭い。眼光鋭く相当恐いが、勇ましく向かってくるようなクソガキが好きなようで、口では恐ろしいことを言いながら、大人しく蹴られたりなんかもしている。爆弾魔の潜んでいる一角は、あちこちに火薬が仕掛けてあって小さな爆発を起こし、荒っぽいのが好きなやんちゃ坊主にはたいそう好評だ。ここでもらえるお菓子は何故か爆弾魔には不似合いなヨーロッパのブランド菓子が多く、母親に言われて半泣きでたどり着いた、という子供も多い。

 大体ここいらあたりでほとんどの子供が帰ってしまう。泣いている子を守った子には冠を。好奇心が先走りすぎて無鉄砲な子にはちょっとだけ恐い幻。足がすくんで動けなくなってしまった女の子の前には、どこからともなく黒いスーツを身にまとった小さな黒猫が現れて、鈴の音についていけば外まで出られる。別れ際、真っ赤なバラの飴細工が渡される。べそをかいたのが男の子なら、空中を泳ぐイルカが先導する。どこかの物陰では、臆病者のミノタウルスが、小さな女の子に慰められて、逆にお菓子をもらっていることもある。ろうそくがゆらゆら揺れる暗い通路を歩いている時に、やたらと暑苦しいフランケンシュタインが「極限!」なんて叫びながら向こうから走ってきたら、例えその手に握られているのがたっぷりのお菓子だって、何がなにやらわからなくって悲鳴を上げて回れ右だ。

 年によっては、白馬に跨った鎧の騎士がうろうろしていたり、白いひげを生やした魔導師が、嬉しそうに杖を突いて歩いている。何にしろ、大人に出会ったら、とりあえずは「トリックオアトリート」と唱えれば、溢れるほどのお菓子をもらえる、子供には夢のようなダンジョンである。

 その、一番奥。伏魔殿の最深部には、白いスーツの死神がひとり。これはあくまで噂であって、たどり着く子供はごくわずか、まったくいない年もある。ただ、どこからともなく噂だけが流れていて、子供たちは知らないけれど知っている。そこまでたどり着いた恐いもの知らずの子供を、悪い大人の仲間にならないかと勧誘するラスボスだと囁かれている。

 奥へ向かう小さな人影がある。何の仮装なのか、腰までの白いマントと、その上の長い後ろ髪が尻尾のようになびいている。ゆらゆらと炎が揺れる。人が歩けば空気が揺れて、一方向になびくはずだ。けれども、一人きりの小さな人影が奥へ奥へと歩みを進めても、炎は真上に伸びるだけだ。歩みには怯えも迷いも見えない。ただ一方向だけを目指して進んでいる。

 その先、普段は休憩室、談話室として使われている小さな部屋は、ダンジョンのラスボスの部屋らしく、切り抜いたダンボールなどでごてごてと飾り付けられている。白日の下で見ればちゃちな装飾も、暗がりでろうそくに照らされればそれなり、おどろおどろしさの演出に成功していて、人影はくすりと笑ってドアノブに手を掛ける。

「こんばんは、素敵な夜ですね」

 小さな人影は、ダンジョンの最深部に到達する。古ぼけたソファに弾痕で使い物にならなくなったゴブラン織の古カーテンをかけた玉座に座って、ぼんやりとワインを嗜んでいたラスボス、白いスーツの死神が、ふ、と顔を上げた。

「こんばんは、素敵な夜だね」

 まったく同じように返した死神は、少し笑ってグラスを置いた。

「君が一番乗りだよ」
「まあ、そうなんですか?」

 ふふ、と笑う小さな人影はしかし、決まり文句を口にはしない。白い死神はそれを訝しげに思う様子もなく、逆に訊ねる。

「何の仮装を?」
「私、マフィアのボスの格好をしているんです。」
「それは恐ろしい、」

 おどけたような口調で、しかし死神は、まるで胸が酷く痛むかのような顔をした。

「『お菓子をあげるから悪戯しないで』私には、言ってくださらないのですか?」
「……オレがどんな顔をして、君にそんなことを言えるだろうか」

 小さな人影は切なそうに笑って、死神に近寄っていく。大きな帽子と、軽やかなマント、つややかな黒髪が動きに合わせて揺れる。けれどやはり、燭台に灯されたろうそくの炎は揺れない。

「あなたが早く、私の亡霊から解き放たれますように。今年も私、ここに来てしまいました、」

 触れる感触もなく、死神の頬に親愛の口付けが落ちる。同時に、小さな人影は掻き消えた。炎は揺れない。

「解き放たれるなんて、のぞんだらいけないんだよ」

 呟いた死神は再びグラスを取った。波打ったワインが、昏く炎を反射する。それを飲み込むように口をつける。グラスが空になる頃、再びラスボスの部屋の扉が、不躾にばたんと開けられた。

「やあ、しけた部屋だね。お菓子を頂戴!」

 真っ白い髪の子供が騒々しく入ってきて、部屋のあちこちをかき分ける。ばたばたと家捜しのように部屋を荒らしているのに、炎は揺れない。死神は子供の無作法を咎めることもなく、けれど好ましいと思っているような様子もなく、空になったグラスをことんと置いた。

「マシマロなら、そこに山ほどあるさ」

 視線で示した先、袋入りのマシマロが積みあがったバスケットに、歓声を上げて子供が飛びつく。

「僕、これが欲しかったんだよ。これしかいらないんだ」
「そうだろうね、きっとお前は、そう言うだろうね」

 ばりりと遠慮もなく袋を開けて、もしゃもしゃとマシマロを口に入れる白い髪の子供は、にやにやと笑う。

「この世界に倦んだ顔をしているよ。ハハッ、僕の気持ち、本当はわかりはじめているんだろ?」
「お前の、思い過ごしだ」

 死神の言葉に、子供が哄笑する。不愉快な響きを延々と残して、やってきた時と同じように騒々しく、無作法に扉を鳴らして出ていった。半分ほどの長さになったろうそくに灯る炎は揺らぐこともなく、ジジ、とかすかに芯が鳴る。部屋の中には、死神以外に誰も居ない。とろりと血のような、暗闇で濃さを増したワインをグラスに注ぐ。はあ、と死神は小さくため息をつく。廊下の向こうから、とたとたと、おぼつかない足音が聞こえてくる。

 こんこんこん、小さな頼りない音で、これでいいのかな?と何かを伺うように、遠慮がちなノックが響く。

「……どうぞ、」

 短く答えてやれば、ゆっくりと扉が開いた。茶色の髪は天井を向いて、白い頬には色がなく、おおきな目はろうそくの炎を映して、落ち着かなげに揺れている。

「あ、あの、すみません、オレ、知らないうちに迷い込んじゃったみたいで、」

 仮装もしていない制服姿の少年は、何も入っていなさそうなくたくたのカバンを胸に抱いて、おどおどと口を開く。

「あの、あ、あなたは?」

 死神は一度目を閉じた。一つ呼吸をして、堪えるように目蓋を上げる。

「オレは、死神だよ。」

 ヒィ、と短く息を呑む少年に、感情を隠して死神は微笑む。

「こんな夜だ。君はまだ子供だし、仮装はなくてもお菓子をあげるよ。取って食ったりしないから、大丈夫」

 しかし、つんつん頭の少年は、怯えたように後ずさって結構ですと首を横に振った。

「で、出口さえ教えてもらったら、帰りますから」

 死神は胸を押さえた。少年は臆病だが、悪い大人に近づかない分別があった。

「出口、さて、どこだったかな?」

 とぼけて見せれば、ただでさえ白い顔色が、目に見えて悪くなる。脚ががくがくと震えている。死神がなくしてしまったもの。

「何やってるの、」

 少年が泣き出す寸前のところで、前触れもなく再び扉が開いて、もう一人少年が現れた。そうすればもう、少年は死神などには目もくれず、もう一人の少年ばかりを見ている。真っ黒の髪は手入れされている様子でもないのに艶やかで、釣りあがった目は野良猫のようで愛らしい。肩にかけた学ランが揺れているが、すぐ近くの燭台の炎にはかすりもしない。

「こんなところ、君の居ていい場所じゃない」

 この部屋にやって来てから一度も、死神を見もしない黒髪の少年が、茶髪の少年に向かって放った言葉が、死神の胸を焼け付くように痛ませた。二人の少年は手をつなぐ。黒髪の少年が、茶髪の少年の手を強引に、けれどそれは無理やりにではなく、双方の望みの上にそうしているのだ。ばたんと扉が閉じて、死神はぐったりと安っぽい玉座に身を委ねた。炎が揺れ、グラスが光る。

 今夜は、亡霊が訪ねて来る夜だ。自分を犠牲にした少女、神になろうとした子供のような男、マフィアにはならないと言った少年に、ただ秩序を守るためだけに力を揮っていた少年。目を閉じる。子供たちの声が聞こえない。

 それから何時間もたったのか、案外すぐのことだったのか、がちゃりと扉が開いて、呆れたような声をかけられた。

「まだこんなところに居たの」

 ぱちん、とどこか間抜けな音で、蛍光灯が点けられる。ダンジョンの最深部が、ただの談話室になる。扉を開けたのは、毎年この夜に何もしない男、この夜でなくても、他人のためにはほとんど何もしない男だ。もちろん仮装もせず、いつもの前を肌蹴た着流しで、ずんずんと部屋に入ってくる。袖が揺れて、残り少なくなっていたろうそくの炎が揺れて、消える。

「群れにかこつけて飲んだくれて、だらしのない。もう子供らは一人も居ないよ」
「あなたも、ハロウィンの亡霊ですか?」
「しかも寝ぼけてるの?咬み殺すよ」

 どす、と腹の上に座られて、死神は、死神の仮装をした綱吉は、ぐえっ、と酒臭い悲鳴を上げた。腹の上に乗った男、雲雀には、体温があり質量があった。

「……なくしたものが痛むんです、」

 珍しく酔っ払って、とろんとした目で、綱吉は空中に亡霊たちの姿を見ている。自分を犠牲にした少女、神になろうとした子供のような男、マフィアにはならないと言った少年に、ただ秩序を守るためだけに力を揮っていた少年。

「オレが、自分でなくしたものなのに、それが痛むんです」

 見上げた雲雀は蛍光灯を背負って逆光になり、綱吉は目を細める。寒い夜なのに薄着をしている雲雀の身体は熱い。というより、雲雀を熱く感じられるほど、綱吉の身体が冷えているのだ。

「毎年毎年、よくも飽きずに、幻影に引かれて君は」

 蔑むように雲雀は笑って、綱吉の服に手を掛ける。自分の着物は、身じろぎ一つで肩からすべり落とす。

「幻の痛みをなくす方法はいくつかある」

 つうっと、トンファーを握る硬い皮膚が綱吉の胸元をすべる。じれったくなるような、神経に繋がった所を避けた触れ方だ。

「なくしたものはないと思い込むこと」

 ちゅう、と喉仏、急所に吸い付いてから、意地悪そうに雲雀が言う。綱吉は首を左右に振る。必死に。それに満足したように笑って、死神のベルトを外して下着の中に手がもぐりこんでくる。

「もしくは、痛みよりも強い感覚を与えること」

 手荒に与えられる快楽に逆らわず、綱吉は高く啼いた。開いた唇から舌が忍び込んできて、ねっとりと絡み合って鳥肌が立つ。ぷつん、と物欲しげにたちあがった乳首をこねまわされる。

「僕は子供じゃないから、お菓子はいらないし悪戯もしない。亡霊も恐くないよ」

 馬鹿にするような雲雀は、ただ綱吉の痛みを取り払うため、綱吉に強い快楽を与えるためだけに動いている。毎年必ず、ハロウィンの夜の終りを告げに綱吉のところへ来てくれるのはこの男だ。やさしいひと、唇だけで言えば、弱い腰骨のあたりを容赦なく攻められて、びくびくと魚のように身体が波打った。体温が上がり、亡霊の姿は薄くなっていく。ハロウィンの夜は終わる。また来年まで、この痛みを忘れるのだ。





ハロウィン→亡霊→ファントム→幻肢痛
連想ゲーム。
2010年11月2日