長くて短い昼休みもそろそろ終わる頃、何故か綱吉は屋上で円陣を組まされている。
紆余曲折の末ようやくできた、中学生活ではじめての親友、山本は、綱吉とは違って多彩な人間関係を築いていて、今日も、屋上のすみ、いつものように獄寺と三人で昼食をつついている最中に、口を何度も折り返した紙袋を持った男子生徒が訪ねてきた。
甘くて丸々としただし巻卵を頬張りながら、確か隣のクラスの野球部員だったはず、なんだっけ、竹下くん?、竹がついた気がするんだけど思い出せないなぁ、などと、綱吉がぼんやり考えて見ていると、やたらにこやかな竹下、もしくは竹田、は、一週間以内に次にまわせよ、と念を押すように紙袋を山本に押し付け、よかったぜえ、と言いながらにたりと笑った。受け取った山本は最初こそ嬉しそうにしていたものの、中身をちょっとのぞくと、あー俺こういうのあんま好きじゃねーかも、と困ったように眉尻を下げた。一対一のがいー、と言いながら袋をぶらぶらさせると、竹本(推定)はふたたび受け取って、じゃ、とばしていーのか、と尋ねたあと急に意地悪そうな顔になって、代わりにダメツナ、お前が借りっか?とその時はじめて綱吉の顔を見た。
一部始終を目の前で見ていても、何のことだかまったくわからなかった綱吉は、首をかしげてそれ何?と言った。途端に「十代目の目を汚すんじゃねー!」と色めきたつ獄寺と、苦笑いしきりの山本に、え、何、わかってないのオレだけ?と箸を握ったまま混乱するしかない。
「まさか、この歳になってしたことねーとか、お前ならあり得るか」
にやにやと笑いながら、がさごそと袋の口を開いた竹内(暫定)が、ぬっとそれを突き出してきた。獄寺がわめくのはいつものことなので、特に気にせず、反射的に覗き込んでしまう。
「っ、ひい!!」
直後に上がった綱吉のすっとんきょうな悲鳴に被って、竹原(憶測)の爆笑がげらげらと響き渡って、山本が、おい、と軽く咎めた。
袋の中身は、いわゆる、アダルトビデオだ。
「えっ、なっ、これ、学校に、」
動揺して、最後まで言葉が出ない綱吉の言葉をちゃんと拾って、苦笑しながら山本が、フォローしてくれる。
「あー、そういうの、先輩から極秘回覧ーつってまわってくんだわ。驚かせて悪りーな、ツナ」
とはいえ綱吉も健康な中学生男子だ。顔が赤い自覚はあるが、ほい、と紙袋を渡されて、ついついジャケットをしっかり見てしまった。
「山本って無理矢理モノ嫌いだよな」
「あー、まーなあ。演技だってわかってても何か罪悪感がなー、萎えちまう」
脇で交わされる野球部員二人の会話どおり、DVDのジャケットでは、ふわふわの短い茶髪を乱した、どんぐり眼の印象的な童顔で小柄な女優が、ブレザーを着た複数の男に押さえつけられてスーツを引き裂かれていて、真っ赤なゴシック体で「女教師狩り」というタイトルが躍っていた。
「女優は好きなんだけどなー」
横から覗き込んできた獄寺が、山本のその言葉を聞いてジャケットをまじまじと見、軽く、けれど本気で、引いたように山本を見た。綱吉には、ふーん、山本ってこういう子がいいのか、くらいの感想しかなかったが、獄寺にはまた別の感想があったようである。竹井(予想)が再びげらげらと笑う。
「でた!ロリ好き山本!」
「そんなんじゃねーって」
「説得力ねーし!山本がいいって言う女優、こういう、背が低くて目が大きい、童顔ばっかりだろが」
嫌そうな顔をした獄寺が、山本と綱吉の間に割り込むようにして入った。綱吉はそれを、DVDがよく見えないからだと思った。
「あ、ご、獄寺くんも、こういう人がいいの?」
何訊いちゃってんだオレは、と思いつつ、同じクラスの女子には目もくれない獄寺の好みは、単純な好奇心で、気になる。
「えっ!?あ、いえっ、滅相もない!……オレはどっちかってーと、」
獄寺は狼狽したようにそこまで言って、途中で我に返ったのか、赤くなってはっと口をつぐんでしまった。惜しい。
「そーいうダメツナはどうなんだよ?マジでDVD、貸してやってもいいけど」
綱吉はもちろん、アダルトビデオなんぞ見たことはなかった。好奇心もあるし、実用の面でも、当然、興味はあったが、大所帯の沢田家で、誰にも見つからずにこんなものを見られる機会は皆無だ。
第一、やきもち焼きの「彼氏」に見つかったら、何が起こるのか、悪い考えしか浮かばない。
「い、いやー、オレもいいかな、」
目を泳がせて、しどろもどろに答えた綱吉をどう思ったのか、竹山(仮定)はぐっと綱吉の肩を抱くと、顔を寄せ、人の悪い笑みでさらに訊ねてくる。上下関係の厳しい野球部で日々揉まれているためか、獄寺の離れろ!という怒鳴り声とにらみを、全く気にしていない。
「したことないってわけじゃねーだろ?ん?」
左手の親指と人差し指で輪を作り、それを上下に動かすという、わかりやすいが下品な動作に、綱吉が思わず顔を赤くすると、訳知り顔で、だよなー、などと、うんうん、と頷かれた。ただ、綱吉としては、自分でもするが、どちらかというと、人にする方を思い浮かべてしまう。相手はもちろん、「彼氏」だ。
「んじゃオカズはどうしてんだよ。笹川とか?」
「まさかっ」
思ってもみない名前を聞かされて、とんでもない、と激しく首を振る。恐れ多い、考えるだけで天罰を食らって死んでしまいそうだ。彼女と結婚したい、と夢見ていた時にだって、そんなことは考えたこともなかった。
「実は洋モノ好き?熟女とか?」
またぶんぶんと首を振る。
「日本人と。普通に若く。髪は?茶髪?」
みたび首を振って、そこでようやく答える義理はないと思ったが、イエスかノーかで訊かれると、反射的に答えてしまう。
「この女優は好みじゃねーの?」
少し迷って、首を縦に振る。
女の子の好みはさておき、綱吉が「自分でする」ときの「オカズ」なんて、特定の個人、ただ一人だ。
「じゃー、黒髪ネコ目とか?」
「ギャー!」
竹久(憶測)はきっと単純に、DVDの女優の、茶髪でどんぐり眼の逆を言ってみただけなのだろうが。
今の今、綱吉の脳裏をよぎった顔と、黒髪ネコ目という特徴が完全に重なって、どう考えてもツッコミどころしかない悲鳴をあげてしまった。ぱっと口を両手で押さえても、もう遅い。
「おっ、なになになに、誰誰、誰かいんの!?」
肩を抱いた腕か強くなり、頬がつくほどの距離で、追い詰められる。ど、どうしよう、何て言おう、どうやってごまかそう、全身からどっと汗が噴出して、綱吉がパニックになった、その直後、ごっ、という重い打撃音と、ぎゃっ!というカエルがつぶれたような声を残して、竹岡(不確定)がふっとんだ。
綱吉は、助かった、と安堵するより先に、冷や汗を倍増させた。むしろ、事態は考えうる限りもっとも悪くなったと言っていい。
「午後の授業はとっくに始まっているんだけど」
話に盛り上がるあまり、チャイムを聞き逃してしまったようだ。綱吉の前に、闖入者は立っている。うつむき加減に座っていたから黒いスラックスを穿いた脚しか見えないが、それが誰なのかは、よーく、知っている。
「うっせーな、ヒバリてめー、先公かよ」
噛み付く獄寺には目もくれず、つかつかとまっすぐ歩み寄ってきた、雲雀、綱吉の「彼氏」は、だらだらと汗を流して固まる綱吉のあごの下に、冷たい金属の棒(もちろんトンファーだった)をぐいと押し当てて、上を向かせた。ゆっくりと視線が交わる。
(あああああ、)
どこをどう見ても、かなりの、ご機嫌斜めだ。
「その、手に持っているものは?」
「うっ、えー、あー、その、……今ここにいる、誰のものでも、ありま、せん、」
「へえ?」
雲雀が片眉を上げる。嘘は言っていない。そうなの?と残りの面子に確認するが、当然、全員が首を縦に振る。
「あの、雲雀さん、」
「なに?言い訳なら、今は聞くつもりないけど、」
その言い方じゃあ、風紀の取締りじゃなくて、ただの痴話げんかです、というツッコミを胸の奥深くに沈める。
「その、今のオレたちの話、聞いて、」
雲雀が、話?と首を傾げたから、ほっと胸をなでおろしたのもつかの間、
「そうだね、君の夜のオカズが、黒髪ネコ目、ってことしか、聞こえなかったけれど?」
もちろん、綱吉としては、そこが一番、聞かれたくなかったところである。
「あ、あああああの、それはっ」
一気に赤くなって、それから青くなって、忙しい綱吉の前にしゃがみこんだ雲雀が、にい、と唇の端を吊り上げた。わかってるくせに、なんて、こんなところで綱吉に言えるわけもない。
「それは?なに?こんな昼間から、神聖な校舎内で、風紀を乱す話題に興じるなんて、応接室でゆっくり、詳しい話を聞く必要がありそうだね」
ならばこの場にいる全員を連行するのが道理だが、雲雀は、まるで当然のこととして、綱吉だけを肩の上に担ぎ上げた。
「ぅわっ、ひ、雲雀さん、おろしてくださ、っ」
「黙りなよ、舌を噛むよ。……これは、没収するからね」
雲雀の手の中でくしゃっと紙袋が音をたてる。もう、どうにも逃れようがない。
「ヒバリ!十代目を離しやがれ!」
「おい、待てよヒバリ、ツナをどうするつもりだ?午後の授業は始まってるって言ったのはお前だぜ?」
獄寺と山本が、そろって綱吉を案じてくれるのは、友情として素直に嬉しかったが、雲雀の、拗ねてしまった「彼氏」の、ご機嫌を取るなら、早いにこしたことはない。ここは素直にお持ち帰りされるべきだろう。
「オレっ、雲雀さんのとこ行くから、二人は、授業、それに、保健室行かなきゃいけないだろ?」
いさかいに発展する前に、と慌てて口を開いた綱吉は、なかなか名前を思い出せない、隣のクラスの野球部員(元凶、と言ってしまってもいいだろうか)を、視線で示した。つられたように、獄寺と山本も、うめき声のしている方を見る。その、……あー、何だっけ何だっけ、とにかく、竹、がついたはずなんだけど、イライラするなあ、もー、と渋い顔になった綱吉に、ふと、天啓のようにひらめきが舞い降りた。
「佐竹!」
そうだそうだ、思い出した、あーすっきりした!と皺を寄せた眉間から一転、にこにこ顔になった綱吉は、突き刺さる視線に気づいて、すぐに笑顔をひっこめた。あまりに唐突な大声だった。獄寺と山本だけでなく、転がっていたはずの佐竹本人まで、びっくり顔で綱吉を見ている。
「あ、いやー、その、……お、おだいじに?」
誤魔化すようにへへ、と笑って、気遣う言葉を投げかければ、顔は見えないが、綱吉を米俵のように担いでいる人から、むっとした空気が伝わってきた。
(やきもちやき、)
自分でする、時だって、綱吉が想像するのは、たった一人の手、ほかに思い浮かばないくらい、心の中を占めているのは、雲雀だけなのに。
それがどうやったら上手く伝わるのか、必死に考えている綱吉を担いで、雲雀はずんずん歩いていく。
綱吉の唐突な大声に面食らった獄寺と山本が、やっと我に返って「ヒバリ!」と叫んだ時には、屋上から階段室へ続く扉がもう閉まるところで、綱吉は眉尻を下げた困り笑顔で、雲雀の肩の上から二人に手を振った。
サイトを始める前に途中まで書いて放り出していた話をリライトしました。
そんな頃からこんなことばっか考えていたんですか。
「真夜中は純潔」椎名林檎
2010年5月22日
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