綱吉が自分の生涯の伴侶を雲雀恭弥であると心に定めたのはもう十年も前、未だ少年だった頃のことである。幸いにもその決意は独りよがりのものではなく、雲雀の方も同様に定めてくれていたから、綱吉がボンゴレファミリーのボスとして名の知れはじめた頃にはボンゴレ内部に二人がパートナーだと知らぬ者はいなかった。

 もちろん、綱吉が持っているボンゴレの血を惜しんで、公的に認められない同性のパートナーとは別に、政略結婚でもして血を残してもらいたい、という意見がご隠居勢を中心にないではなかったが、綱吉がボスとしてボンゴレの存続を望んでいないこと、そして雲雀恭弥が雲雀恭弥であるがゆえに、声は大きくならなかったのである。

「ああ……」

 イタリア本部、会合から帰ってきたボンゴレ]世は、忠実な右腕に上着を脱がされ上等のネクタイを緩めながら、儚げなため息をついた。コートハンガーに上着をかけながらそれを心配そうに見やった右腕が、日本から三ツ矢サイダーが来てますよ、お持ちします、と言えば、疲れた顔ながら諸手を挙げて喜んだ。

 別に、会合で、この若僧が、とか、黄色人種が、とか、虐められたわけではない。むしろその逆だった。少年の頃からその片鱗はあった人たらしの能力はいまや大輪の華の如く咲き誇り、同盟ファミリーの爺どもはこの若きボンゴレ]世にメロメロである。同盟ファミリーの数自体も、どこから湧いて出た、というほど増えている。

「指輪でもつけようかなぁ」

 盆を持って戻ってきた獄寺がこぼれ落ちた呟きを聞いて苦笑いを浮かべた。自分の左手を見る綱吉の顔は魂が抜けたようになってしまっている。

 愛されているがゆえに。二十代も半ばになって独り者(世間的には)のボンゴレ]世に、よい娘さんを世話してやろうというやり手爺婆が後を絶たないのだった。


 イタリア本部滞在中のこと、朝から一日入っていたはずの予定が、急にまっさらになってしまった。商談の予定が、先方のご隠居が急に倒れたらしい。予定を告げる獄寺は申し訳なさそうにしているが、ボスになって何年も過ぎてもまともにイタリア観光もしたことのない綱吉は、降って湧いた休日にほっと顔を緩めた。ご隠居には心の中で謝罪する。

「何しようかなぁ、」

 抜けるような青空、予定があったから早起きしてしまった。書類仕事は並盛に置いて来てしまったし、ゲームなんかも持って来ていない。白いスーツに締めたグレーがかったオレンジのネクタイを少し緩める。

「散歩でもしようかな、オレ実は、この辺りまともに見て歩いたこともないんだよね」
「十代目がこっちに来る時はいつもお忙しいですからね」
「獄寺君もね」

 へへへ、と笑いあった。

「散歩なら、近くに小さいけど教会がありますよ」
「ああ、あの、うちが援助してる、」
「はい、この時間ならガキどもが歌でも歌ってんじゃないでしょーか」

 ぶらぶらと出かけることにした。外出用の白スーツだが、この後の日程でもう着ることはないから、着替えるのも面倒なのでそのまま出る。正面から出るとどこに行くんだとか一人で行くのかとか色々と心配の過ぎる人間もたくさんいるので、裏口からこそこそと、菜園へ抜けた。

「おお、十代目、おはようございます」

 帽子を取ってぶんぶんと振るのはここに長く勤める園丁である。本部滞在中に息抜きで庭をぶらぶらするうち仲良くなって、この裏庭の菜園で綱吉のために日本の野菜を育ててくれたり、祖父と孫のような交流が続いている。

「今日はどちらへ?」
「今日はね、ラッキーと言っちゃいけないんだろうけど、急に時間ができて。教会まで散歩」
「たまには息抜きも必要ですよ、日本人は働きすぎるからいけない」

 慈愛に満ちた視線に照れてしまう。

「そうそう、」

 教会に行くのならどうぞ、と今朝開いたばかりのばらだけを束にして持たされた。スーツに合わせてくれたのか、白を基調に、薄桃、ベージュ、と淡い彩りだ。

「ありがとう、丹精の成果が出てる、綺麗なばらだね」

 園丁は帽子を胸に当てて深く頭を下げた。


 広大な敷地内を、庭園を通って門に向かう。着いて来てくれた園丁に手を振って別れた。普段は車に乗って一瞬の道のりも、徒歩なら五分も掛かる。けれど、風は花の香りを乗せて鳥はさえずり、気分は上々だ。

「オレの小鳥さんは今どこで何をしてるんだろうねぇ」

 雀のような鳥を見かけて雲雀を想う。門を出ても市街地というわけではない。舗装もされていない道をのんびりと歩く。並盛で白スーツにばらを抱えて歩くなんて絶対に無理だと思うが、肩に力を入れずにそれができてしまうイタリアという国について考えた。大量の藁を乗せたトラクターとすれ違い、運転席の農夫が帽子を取って頭を下げ、色男は花が似合うだとかいうような声が遠ざかっていった。

「あ、あれか」

 質素だが一目で教会だとわかる品の良い建物が見えてきた。小さな塔にある鐘は長い間なかったものを、九代目が作らせたのだと聞いている。開いたままの扉から不ぞろいな聖歌が聞こえ、昔日のランボ、イーピン、フゥ太の姿を思い描いた綱吉は、顔を緩ませながら静かに中に入った。その途端、

「いまだっ」

 ぶわ、と白い網のようなものを頭から被せられ、はらはらと何枚かばらの花弁が散った。悪意や敵意がないので気づかなかったのだ。とりあえず身動きが取れない。交通機動隊に投網を投げられた暴走族のようである。思わずぎゅっと閉じてしまった目をそっと開けると、足元では子供たちがわらわらと、なにやってるのよ、破れちゃったらどうするの、だって被せろっていっただろ、などと男の子と女の子に分かれて大騒ぎだ。

「……マリアベール?」

 最初はレースのカーテンか何かと思ったが、そっとたぐり寄せてみれば、素材といい端にかがってあるレースといい、花嫁が花婿以外の者からその顔を隠す薄布である。

「哲の奥方のものだそうだよ、」
「うぇっ!?」

 今ここで聞こえるのはおかしい声を聞いた気がする。顔を覆ったベールを上げてきょろきょろと見回すと、祭壇の前にいつもの黒いスーツを着た雲雀が立っていた。

「え、何、本物ですか?雲雀さん?」
「すごい間抜け面だね君、百年の恋も醒めるような」

 失礼なことを言いながらすたすたと近寄ってくるが、混乱のあまり何も言い返せない。

「花、一本ちょうだい、」

 ぼんやりと言われるままにクリーム色のオールドローズを一本差し出す。紅茶のようなよい香りがする。ここにつけて、と言われてスーツの襟のボタンホールに挿し込んだ。

「青い靴下はいてきた?」
「なんで、……はいてますけど」

 いつものブラウンの靴下になぜかかぎ裂きができていて、新品ですからオレの予備どうぞ、と獄寺から渡されたのが、きれいなスカイブルーの靴下だった。色が合わなくてすいません、と言われたが、どうせスラックスに隠れて見えない。

「ほんとうかい?靴脱いで見せてよ」

 思考停止している綱吉は言いなりにすぽんと靴を脱いで水色の靴下を見せた。その間に雲雀が何か硬貨を靴の中に放り込む。

「6ペンス。そのまま履いて」
「これで全部揃ったわ」

 かぽん、と靴を履きなおした瞬間に、トン、と床を叩く音がして、天井から無数のフラワーシャワーが降ってきた。子供たちが歓声を上げて整列する。霧の幻術だ。

「クローム、」

 ここイタリアで犬と千種と生活しているはずのクローム髑髏が、可愛らしい黒のレースのワンピースで三叉槍を持って立っている。

「なにかひとつ古いもの、ボンゴレリング
 なにかひとつ新しいもの、今朝開いたばらの花
 なにかひとつ借りたもの、マリアベール
 なにかひとつ青いもの、靴下
 それから靴の中に6ペンス」

 はらはらと降る花の中で歌うように言う。

「嵐の人に頼まれたの、お前一応女なんだからこういうの詳しいだろって」

 雲雀の手で、ふわ、と丁寧にマリアベールを掛け直された。

「指輪が欲しいんでしょ?」

 はっとした。つい先日の、疲れた綱吉が愚痴をこぼすように洩らしたつぶやき。獄寺がらしくもなくこんな世話を焼いてくれたのだ。

「それとも、違う人から貰うあてがあった?」

 意地悪そうに笑う雲雀に、ぶんぶんと首を横に振る。マリアベールがふわりと舞って、今度はクロームに直された。子供たちがくすくすと笑いながら伴奏もなしに聖歌を歌いだす。

「ボス、祭壇の前へ行って?」

 首をかしげてにっこり笑ったクロームにうながされて、雲雀と一緒に前へ進んだ。

「……カトリックの教会で、同性婚に幻術使って、いいのかな」

 しょうもないツッコミでもしていないと目が潤んでしまう。

「掟破りはいまさらだよ、ここは並盛でもないしね」

 秩序を乱したってどうということはない、澄まして答える雲雀にばらの花弁で涙を隠して笑う。

「君はずっと僕のものだよ、誰が何を言って来たって、誰にもあげない」

 胸ポケットからまったく無造作に、ケースにも入っていないプラチナのシンプルなリングが出てくる。綱吉がそっと左手を差し出すと、当たり前のようにぴったりと薬指へおさまった。

「オレ、何にも用意してないです、」
「いいよ、僕は君と違って、引く手なんかない」

 ないと言うよりは、上がった手を端からへし折って回っているのだと思ったが、綱吉もクロームも口にはしなかった。

「これ、並盛で作ったんでしょう?お店教えてください、同じのを作ってもらうから」
「心配しなくても、僕だって君のものだよ」
「目に見えるものがあるなら欲しい、」

 それは綱吉の弱さだったけれど、雲雀は笑ってそれを許した。マリッジリングを男の分だけってオーダーは僕でもちょっと勇気が要ったよ、じゃあ一緒に行ってもらおうか、とおどけて言う。

「クローム、キスもするの?」

 子どもたちの見てる前で男同士で、情けなく眉をハの字にした綱吉に、クロームは容赦なかった。

「誓いのキスのない結婚式なんてダメよ、ボス」
「誓いの言葉も言ってないよ」
「ボスたちは神に誓ってるわけじゃないから言葉はいいの」

 退路を絶たれ、雲雀がそっとマリアベールを上げる。綱吉が目を閉じると、降る花弁のように柔らかく、雲雀の唇が触れた。わあっと子供たちの歓声と拍手、口笛が、開いたままの扉から、良く晴れたイタリアの朝の空に溶けて消えた。ジューン・ブライドね、クロームの優しい声でついに涙がひとつぶ頬を転がり落ちて、雲雀の指が拭っていった。







2011年6月19日に開催されたBlue Cloud Vにて配布させていただいた
『6月だしひばつなは結婚したらいいと思うペーパー』より再録です
2010年のBlue Cloud Uの際、
「6月のイベントなのになぜ結婚ネタをやらなかった!!」と当日気づいて
自分をぶん殴ってやりたい衝動にかられたので
2011年の新刊は「限りなく透明に近いマリッジブルー」
ペーパーはこのジューンブライドで
念入りに6月の結婚ネタを達成したのでした。
執念深い。
(2012年6月12日)