(中学生。)




 校庭を二羽の鳥が行くのが見える。

 会話が途切れて、二階にある教室の窓から何気なく視線をやれば、黒と黄色の目立つ組み合わせが飛び込んできた。
「お、ヒバリ」
「げっ」
 綱吉の視線を追って、山本と獄寺がそれぞれ短くコメントしたが、それ以上の会話にはつながらない。雲雀恭弥といえば、風紀委員長で、暴君で、恐怖の象徴で、でも共闘したこともあって、仲間というほど気安くはないけれど、無関係とは言えない、微妙な距離感だった。例えばクラスメイトに、どんな関係なのかと尋ねられたとしても、答えられない。

「わぷ、」
 突風が抜けて、滅茶苦茶に髪が揺れる。見え隠れする視界の中で、肩にかけられた黒い学ランが羽ばたいて、翼を広げたように見えた。綱吉は別に鳥に詳しいというわけではない。黒い鳥といえば、鴉くらいしか知らない。
(なんか違うような、)
 風に逆らって、パタパタと必死に羽を動かしている黄色の小鳥は酷く健気だ。従えて歩いている雲雀の方は、肩にかけた学ランが風に吹かれても落ちるでもなく、向かい風を受けても悠然と歩いている。鴉のイメージではない。
 かといって、他に思い浮かぶわけでもない。
(……雲雀って、どんな鳥なんだろ、)
 綱吉は、「雲雀」が鳥の名前だということはさすがに知っていたが、その鳥を自分の目で見たことはなかったし、写真や映像でも見たことがなかった。

 雲雀を知りたい。
 ふと胸に、そんな思いが湧き上がって、その鮮烈さに動揺した。

「十代目?」
「ヒバリがどーかしたのか、ツナ」
 すげえ風だったッスね、すごい風だったなー、獄寺も山本も、反応のない綱吉を心配して、覗き込むように尋ねてきた。
 衝動に翻弄されていたのはきっと、ほんの一瞬のことだったろうけれど、綱吉はまるで長い夢から覚めたようにはっとした。
「あ、え、あの、なんでも、ない、」
 かあっと血の上った頬を隠すようにごしごしとこすった。雲雀がどんな鳥なのか知りたいと思ったことが、とても恥ずかしい、獄寺と山本には隠すべきことのように思われて、綱吉は不器用にごまかした。
「なんか、ぼーっとしちゃって、」
 大丈夫かとステレオで訊かれ、昨夜遅くまでゲームをやっていたのだと言えば、すぐに話題は変わった。


 強い西日が差し込んで、店員が眉をしかめてブラインドを下ろしている。

 夕暮れ時、学校が終わって、綱吉は一人で駅の裏にあるチェーンの書店に来ていた。いつもは商店街にある個人経営の書店へ行くのだけれど、人に見つかるのを恐れたのだ。年老いた店主が一人、レジから店内全てを見渡す商店街の書店とは違い、ここは書棚が高くそびえ立ち、なかなか人目にはつかない。
 漫画以外の本など買ったことのない綱吉は、図鑑を置いている書棚までかなりの時間をかけて苦労しいしいたどりついた。植物、きのこ、昆虫、クモ、とりどりの背表紙を、また時間をかけて追っていって、そしてようやく、『決定版 日本の野鳥』と書かれた本をみつけた。何故かどきどきと胸が強く打って、何度か深呼吸をした。手のひらにじっとりとかいた汗を制服になすりつける。それから左右を見て誰も、特に並中の生徒が、誰もいないか確認した。

 学校の図書室ではなくわざわざここまで来たのは、ただ、雲雀について調べている自分を誰にも見られたくない、その一点に尽きた。
 どうしてそんなに知りたいのか、どうしてそんなに「恥ずかしい」のか、綱吉自身にもよくわからない。けれど自分の中に突然生まれた何かに突き動かされるように、綱吉はここへ来た。

 ぐっと唾を飲んで、動悸もやっと落ち着いてきて、きゅっと握りこんでいた指を伸ばして、『決定版 日本の野鳥』の背表紙に指をかけた。その時だった。
「君が、鳥に興味があったなんて知らなかった、」
 ある意味で、今一番聞きたくない声が、すぐそば、1mも離れていないくらいのところから聞こえてきて、綱吉は自分でも滑稽に思うくらいに大きく肩を跳ねさせた。まるで熱く焼けた鉄に触れてしまったように、背表紙から手を引っ込める。聞き違いならいい、そう思ったけれど、ぱっと振り向けばそこに、すぐ後ろの書棚の角にもたれるようにして、腕組みをした雲雀が立っていた。
「あ、ヒバ、あの、」
 ぱくぱくと口を開いたり閉じたりして、綱吉は、全く意味を成さないうわごとのような言葉しか発することができなかった。
「鳥の図鑑なら、それより隣の『オールカラー野鳥図鑑』の方が内容が正確だよ」
 動揺の極地に突き落とされたまま、雲雀の言葉につられて書棚に視線を戻す。そして、ぶわ、と全身から汗がふきだしてくる。綱吉が興味があるのは、野鳥ではなくて、その中の雲雀というただ一種の鳥なのである。頬が熱い。きっと今、顔は真っ赤になっているだろう。
「あ、違、あ、あ、」
 うつむいてぎゅっと身体を縮こまらせて、真っ赤になって意味不明なうわごとを呟いている、綱吉の異常さにやっと気づいたのか、ぐっと雲雀が距離を詰めてきた。
「どうしたの、」
 声の近さにぎゅっと目を閉じた。
「まるで猥褻図書を押収された生徒みたいだ、」
 くす、と微かに、けれどはっきりと、笑ったような吐息が、後ろからかかった。それで綱吉は状況も忘れてぱっと顔を上げて目を開けた。
 雲雀でも冗談のようなことを言って笑うのだ。
「……それとも本当に、君は鳥に欲情するの?」
「違っ」
 思いきり振り返ると、雲雀はこぶしを口元に当てておかしそうに笑っている。獲物を前に唇を吊り上げるのとは違う、純粋な笑顔だ。雲雀が声を出してこんな風に笑うところなど、もちろん、初めて見た。綱吉の脳は、もともと高くない処理能力を超えて、パンクした。
「さっ、さようならっ!!」
 きゅ、と床が鳴るほどきれいに回れ右をして、全力でその場から逃げ出した綱吉には当然、雲雀がどうしてここに現れたのか、疑問に思うような余裕はなかった。





なれそめ。
2012年5月21日