(高校生)




 ヘルメットのシールドを跳ね上げる。晴れた夜空にぽっかりと月が浮かんだ、いい夜だった。空気を楽しむように、法定速度より心もち遅め、他に通行車両もない真っ暗な道を、どるどると緩い排気音を吐き出していたカタナが停車する。

 並盛町から隣町へ抜ける林道はきちんと舗装され、通行するには十分な幅があったが、対向車があるとなると少々窮屈だった。そのため、曲がりくねった上り坂のところどころに、待避所が設けてある。そろそろ山頂も近いか、というあたりの、そんな待避所の一つに、これといった特徴もない、自転車が一台、とまっている。人が見れば、山奥に放置自転車か、と思うだろう。

 ごついバイクをその隣に駐車して、ヘルメットを外す雲雀は、少し、眉を寄せる。けれどそうしていたって仕方がない。はぁ、と軽くため息をついて、林道から脇のけもの道へそれていく。晴れた夜空に、白い煙が一筋、上がっている。

「雲雀さん、いい夜ですね」

 真っ暗な林の中、一斗缶に焚き火を燃やし、串に刺した何かをあぶっている綱吉が、へらへらしながら片手を上げる。雲雀は無言のまま、やっぱり片手を上げて答える。

「今日、来ると思ってました、」
「僕も思ってた。から、君んち寄ったのに、僕んとこ行ったはずだけどって言われて、誤魔化すの苦労した」

 期末考査の最終日だった。試験週間は交尾厳禁、という綱吉の家庭教師からのお達しもあるが、無事に進級したいという思いは二人にも当然あって、試験前は自然とメールだけのやり取りになる。それが無事(?)終わって、雲雀でなくても出歩きたくなる気持ちのよい月夜だ。特に約束はしていなくても、当然この「秘密基地」に来るだろう、という思いがお互いにあった。

「夜は自転車で来るなって言ってるじゃない」
「オレだって、女の子じゃあるまいしって、そのたび言ってるじゃないですか」

 町外れの舗装された林道は、時々、走り屋や、もう少したちの悪い集団の、タイムトライアル会場になる夜がある。

「別に、強姦だけが犯罪じゃないよ」

 綱吉なら、男でも強姦の対象にされかねないと雲雀は思うが、さすがにそれは黙っておく。

「暴走族の釘バットより、雲雀さんのトンファーの方がなんぼか怖いで……いってて、」

 がす、とすねを蹴られて、綱吉が全く痛くなさそうに痛がる。雲雀がむっと黙って、沈黙が落ちた。廃材の燃えるぱちぱちという音と、風が梢を渡りざわめかす音だけが響く。

「……怖いものが少なくなっていくのが、怖い」

 燃える炎を大きな瞳に映していた綱吉が、ぽつりと呟いた。街で出会うガラの悪い男達も、夜道で見かける暴走族も、近頃では綱吉の心を竦ませない。カツアゲされようと、取り囲まれようと、逃げるのは簡単なのだ。死ぬ気になる必要もない。逃げるだけでいい。下手に反撃しては、殺してしまう。

「沢田にとって、僕は、まだ怖い?」
「雲雀さんが怖くなくなる日なんて、生きてるうちに来るんですかね」

 雲雀の問いに、ぼやくように綱吉が答えて、二人でくっくっと笑った。

「夜に自転車でここに来るのは、やめる気ありませんけど、雲雀さんのバイクの後ろに乗るのは好きですから、今度からは電話しますよ」
「僕を足に使おうなんて、いい度胸だ」
「どっちなんですか」

 マシュマロ焼きすぎちゃったなー、と言って、綱吉は真っ黒の小さな塊を串から火の中へ振り落とした。マシュマロー?と雲雀は嫌そうな顔をした。

「何でそんなもの焼いてるの、子供のキャンプじゃあるまいし」
「頭使った後は甘いもの食べたいじゃないですか」
「言うほど使ってないだろ、君は。どうだったのテスト」
「雲雀さんて、ほんと酷い人ですよね……まぁ、赤点はないと思いますよ、平均行くかはわかんないけど」

 綱吉の足元に置いてあるスーパーのビニール袋を、雲雀がごそごそとかき回す。最初から二人分のつもりで買ってきているので、特に咎めたりもしない。

「あ、おにぎり焼かない?」
「うーん、えー?炭になっちゃいそうな気がしますけど。醤油もないし」
「いいよ、僕の分だけやる」
「うわー、雲雀さんチャレンジャーだ」

 笑いながら焚き木を足す。二人のすぐ後ろに、山になって積み上げられている。ツリーハウスの成れの果てだ。試験週間の直前、突風が吹いて、崩壊してしまったのだった。真下にあった作業小屋はなんとか直撃を免れ、風で横転しただけだったので、元に戻した。

「明日は、再建計画進めましょう」

 綱吉は、自宅では子供らの愛に阻まれてなかなか勉強できないので、試験期間は主に図書館で勉強している。そこで息抜きと称して何冊かログハウス建築の本を読んだのだが、専門的すぎて参考にはならないと思いきや、これがなかなか、役に立ちそうに思えた。樹の選定の基準と、基礎の打ち込み方を、少し変えたらどうかと思っている。

「いいけど、今夜は手加減しないよ。さすがにたまってる」
「…………たまったら自分で適当に抜いてくださいよ」
「抜いてるけど、それとこれとは別。」
「別じゃないでしょ、出すもん一緒でしょ……オレ途中で寝ちゃうかも」
「だから一夜漬けはやめろって言ったのに」
「だからかよ!」

 そう言いながらも、夕飯はちゃんと家で食べてきた綱吉が、焼いたマシュマロを挟んだビスケットを3つに、ウインナー、結局焦がしたおにぎりまで食べたのは、腹ごしらえに他ならなかった。夜は無限にあるように感じられた。




2010年3月19日