(中学生。七夕のはなし)




 雲が鳴っている。空気そのものが震動している気がする。
 にわか雨というより嵐の気配をつれて、生ぬるい風が吹き付ける。木々の隙間から、真っ黒い雲が恐ろしいような速さで動いているのが見える。

「シート、固定できましたよ」

 綱吉と雲雀、中学生が二人だけで作った山小屋は床と柱と屋根があるばかりで、夏の雨をしのぐには心もとない。テントのフライシートの要領で、大きなブルーシートを屋根に被せて固定した綱吉が、額の汗を首にかけたタオルで拭いながら報告する。

「こっちも、大丈夫」

 小屋の周囲に水が溜まらないように斜面下へと排水する溝を掘っていた雲雀も、作業を終えてシャベルを壁に立てかける。その辺に放り出してあった蚊取り線香をシートの下に避難させて、隙間だらけでブルーシートが見えている小屋の天井に蚊帳を吊るす。床もやっぱり隙間だらけだけれど、空気で膨らませるビニールのマットを敷いて、さらにそこへ厚手のバスタオルを敷けば、それなりに居心地のいい秘密基地になる。

「すごい、空、真っ暗」

 もごもごと蚊帳の中へもぐりこんだ綱吉は、屋根のむこう、青々と茂った葉が穏やかでない風に揺れるたびに、ちらりちらりと見える空に、感嘆したような声を上げる。

 朝は良く晴れていた。山の中へ入ってしまえば、夏の木々は濃く茂って薄暗い。小屋を補強したり、沢で遊んだり、夢中になっているうちにいつの間にやら、雲行きが怪しくなっていた。これからやってくるのはどう見ても激しい雷雨で、帰宅したほうが安全だろうが、今からここを出ても帰り着く前に降り出すのは明らかである。幸いに、工事用の大きなブルーシートが小屋に置いてあって(二人でゴミ捨て場に行って拾ってきたもので、ところどころの穴を布ガムテープで塞いであるのがご愛嬌である)、ここで嵐を避けることになった。

 リュックから飲み物や菓子を取り出していた綱吉が、ひく、と軽く息を詰めて、小屋の隅、蚊帳の外に目を留める。するすると蛇が床を這っている。よくよく見れば、柱にも、アリや、名前も知らない甲虫などが、ぞろぞろとのぼっている。荒れ模様を察知して、ここへ避難してきたのだ。

「ああ、青大将だね、まだ若い。あれは毒はないよ。……君、僕らの邪魔をしないなら、そこを貸してあげる」

 綱吉の視線を追って雲雀が、どこか微笑ましげに言う。まるで言葉がわかっているかのように、冷たそうな肌をした生き物は静かにとぐろを巻いた。綱吉も以前は、蛇や得体の知れない虫などを見るたびに、悲鳴を上げておびえていたが、卵を守って気が立っている時期を除けば存外気の良い連中だということがわかってくると、そんなには騒がなくなった……雲雀のように、愛しげな視線を向けることはまだ、難しいが。

「母さんたち、気づいてるかな、笹、出しっぱなしだったけど、」

 綱吉がへたくそに張ったブルーシートはぴんと張っておらず緩んでいて、ついに降りだした大粒の雨がひとしずく、ぶつかって、ぼつん、と低い大きな音を立てた。
 先週、綱吉と雲雀は、この山から笹を何本か切り出した。沢田家の子供たちが七夕の短冊を飾りたいとせがんだのである。色とりどりの短冊に、日本語、イタリア語、中国語、さまざまな国の言語が踊って、賑やかな七夕飾りができあがった。晴れた日は庭に出して、ご近所の奥様方に微笑を提供している。今朝、綱吉が家を出てくる時には、庭木に針金で留めてあった。そのままになっていなければいいのだが。綱吉は少し眉を寄せる。

「……帰るかい、」

 雲雀が苦笑して言う。けれど綱吉はそれにはっきりと、首を横に振った。

「どうせもうすぐ七日だし、七日が過ぎれば捨てるんですから」

 どちらにしろ、今から帰ったところで間に合わない。ただ、イーピンが先の丸い幼児用のハサミでするすると切り抜いて作った、元が百均の色紙とは思えない美しい中華風の紙細工が濡れてしまうのは、少し惜しい気がした。

 薄暗い小屋の中を蚊取り線香の白い煙が揺れる。ゴミ捨て場から拾ってきたブルーシートと、中学生が二人で作った掘っ立て小屋と、雲雀が実家の押入れからかっぱらってきた蚊帳と、それからお互いに守られて、どしゃ降りの暗い山の中にいる。ジュースやスナック菓子をその辺に散らかして、綱吉は雲雀に引っ張られるままに膝に頭を預けて、髪を撫でてもらっていた。甘えて膝に頬をすり寄せると、くすぐったいよ、と言ってあごの下をくすぐられた。猫になったようだ。雲雀の飼い猫になれば、誰の目も気にせず四六時中一緒にいられるのだから、それもいいかもしれない、などと、詮無いことを考えた。

「このまま、七夕の夜も雨なのかな」

 雨音はうるさいほどで、雷はまだ遠くても、黒い雲をぴかぴかとあちこち光らせている。シートの端からぼたぼたと落ちて溝を流れていく雨を見ながら、ぼそりと呟く。

「……さあ、天気予報では、そうみたいだけれど」

 音にまぎれて雲雀の耳には聞こえないかと思ったが、答えがあって、綱吉は膝の上で寝返りを打って上を向いた。雲雀の、筋の浮いた首からあごにかけてのラインが、白く美しい。

「今年は会えない、」

 織姫と彦星の話である。落ち込んだ声になってしまうのは、どうしても自分たちを重ねてしまうからだ。ばかばかしい、女々しい、とは思うけれど、好きあっている者同士が偶の逢瀬を邪魔されていると思えば、やはり悲しい。

「それは、どうかな」

 けれど、沈んだ綱吉の声を聞いた雲雀は意味深に笑う。

「……違うんですか?」

 幼い頃、物知りの曾祖母にべったりだったという雲雀は、いろんなことをよく知っている。教科書には載っていないようなことを。綱吉は少し期待して、雲雀に話をねだる。

「沢田は、天の川見たことある?」

 雲雀が上から覗き込んでくる。綱吉は昔から、星座を観察するような学術的好奇心の強い子供ではなかった。正直に答える。

「ないです。」
「まあ、並盛じゃ難しいかもね。」

 都会とは言わないが、夜でもそれなりに明るい。今度見に行こうかという言葉に、わあい、と無邪気に歓声を上げる。天の川を見ることよりも、雲雀とどこかへ出かける、ということにかかったものだが、お見通しの雲雀は、笑いながらまた髪を撫でてくれる。

「牽牛星と織女星は、天の川の両側にある」

 七夕の物語の元となったのだから、当然と言えば当然である。

「二つの星が近づくと、間にある天の川から水が押し出されて雨が降る、という話もあるよ。七夕は雨乞いの祭りである地域もあるからね」

 単純なもので、その一言で綱吉の顔はぱっと明るくなる。

「じゃあいま、二人が近づいていってるんですか」
「かもしれないね」

 綱吉が嬉しそうにすれば、自然と雲雀の顔もほころぶ。

「それに、雨は地球上の気象だよ。牽牛と織女がいるのは宇宙だ。案外、雨が降ったほうが、地球からの野次馬の目に留まらなくて喜んでるかもしれない」

 一年に一度の密会を大勢にじっと見守られてるなんて嫌だろう、ともっともらしく言う雲雀に向かって、綱吉は身体を起こして両腕を伸ばし、首に抱きついた。

「隠れて会ってるんですね、オレたちみたいに」
「そう、僕らみたいに」

 別に、綱吉も雲雀も、お互いにかまけてその他を疎かにしたことはないし、むしろ、そうなることを避けて秘密の付き合いを続けているのだけれど、わずかな共通点から飛躍して、空の二人と自分たちを結びつけるのは簡単なことだった。二人ともまだ幼ければ、わずかな罪悪感はお互いへの想いを煽る道具にしかならない。
 くすくすと笑ってじゃれあう二人の姿を、激しく降り注ぐ雨が覆い隠した。




2010年7月12日